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誰も知らないゲーム機「XaviX PORT」物語(上) ~元ファミコン開発者の挑戦~

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◆そもそもゲーム機ではない!?◆

 2015年1月15日――
 とあるWEBサイトが人知れず幕を閉じていた。

 北米で先行リリースしてから満を持して日本デビュー。勢いそのまま香港、台湾へワールドワイドに展開した日本発の新世代ゲーム機「XaviX PORT」の公式サイトである。ただし皆さんもうお気づきであろう。その知名度は震えるほど低い......。

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 ※最新ニュースの更新自体は2009年で止まっていた。

 試しにSNSで検索してみたところ、執筆時点では現役プレイヤーを見つけることができなかった。それどころかごく一部の好事家がごく稀に知識として名前を挙げる程度。俗にいうマイナーハード数あれど本機は不気味なほど誰にも語られず、まるでゲーマーたちの記憶から存在自体が抹消されているかのようである。(※1)

 しかしながらあえて言おう。
 それはある意味で当然の帰結なのだ。
 なぜならXaviX PORTはそもそもゲーム機ではないのだから!

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※筆者所有のXaviX PORT

 ゲーム機でないならゲーマーが語る道理などあるまい。いやいや、タイトルでゲーム機言うてますやんというツッコミが飛んできそうなので、もう少し具体的な説明を付け加えるならば、XaviX PORTは実質ゲーム機だったのにも関わらずゲームファンからはゲーム機として見られず自らもゲーム機を名乗らなかったということなのだ。あくまでも結果論的な側面もあるのだけれど、XaviX PORTは何もかもことごとく噛み合わないちぐはぐなハードだったため玉石混淆ひしめくゲームの歴史の表舞台へ一度も出ることはなくひっそりと儚(はかな)く散っていったのだ。

 今回はそんな不遇なマイナーハードを開発・販売した新世代株式会社の栄光の歴史をふりかえりつつ、3つの皮肉な運命によって「XaviX PORT」が終焉するまでの物語を紐解いていこう。





◆とあるファミコン開発者の挑戦◆

 1979年、任天堂本社――
 面接室にて自作の「お風呂カラオケ」をアピールするひとりの青年が居た。のちにファミコン開発の中心メンバーとなる中川克也(敬称略)である。彼はそれから16年もの間、任天堂の歴代ハードの開発にたずさわることとなるのだった。

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 ※2000年に移転された本社(Googleマップ)

 そんな中川が任天堂を去ったのは1995年のことだった。世は3DO、セガサターン、プレイステーションなどいわゆる「次世代ゲーム機」が続々とデビューしていたマルチメディア全盛時代。一方の任天堂はSFCでサテラビューのサービスを開始したものの振るわず株価が5000円台(現在の約10分の1以下)にまで暴落するなど、これまで幾度となく失敗と成功を繰り返してきた任天堂の長い歴史においても稀に見る暗黒時代だった。(※ただし任天堂には莫大な内部留保があったため倒産するほどではなかったといわれる)

 そんな環境が背中を押したのか中川は任天堂から離れる決意を固めたのだ。彼は退社理由について以下のように述べている。

 自分たちが開発した先端技術が、無用に「子供の時間」や「親子のコミュニケーションの時間」を奪い、そして一部のマニアや特定の目的にのみ使われることに納得がいかなかった。
 出典:「私のチャレンジ人生(1)」(滋賀ガイドセレクトブックス/2006年)

 そう。彼はゲームのマニアック化を危惧したのだった。ここでゲームの歴史にあかるい御仁ならば「ニンテンドーDS」を思い浮かべたことだろう。DSで最大級のヒットを飛ばした『脳トレ』シリーズの購買層が主にライトユーザーだったことは記憶に新しいところ。中川はそんなDSよりもはるかに早いSFC時代から、そのような懸念を胸に秘めていたのだった。

 いや「秘めていた」というのは少し違うのかもしれない。なぜなら彼はそれが原因で実際に任天堂を飛び出しているのだから。その内には隠しきれないほどの並々ならぬ熱い思いがあふれて返っていたに違いない。

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 ※新世代株式会社公式サイトより

 さっそく中川はその年の12月に早くも故郷である滋賀県に「新世代株式会社」というベンチャー企業を立ち上げている。創立メンバーは7人。多くはファミコンの開発に関わっていた元任天堂のエンジニアだった。

 当時38歳――
 今までのコネはすべて捨てた。
 商談の席でも元任天堂だったことは一切話さなかった。

 とあるインタビュー記事で彼はそう述懐している。任天堂という世界的な超一流企業に在籍していたというだけで、そのアドバンテージは計り知れないものがあったはずのに、しかもファミコンをつくっていたという伝説級のメンバーだったのにも関わらず、中川はそのような過去を一切ビジネスの場に持ち込まなかったというのだからグゥの音も出ない。私のような一介の任天堂ファンはそんな彼の殊勝な心がけに、確固たる信念に、どことなく山内イズムをおぼえるのである。



 しかし熱い思いとは裏腹に会社はすぐに資金難に直面。国の補助金(中小企業創造活動促進法)を取り付けるなどしてなんとか乗りきるなど、常にギリギリの状況がつづいていた。そんな苦しいなかで開発に成功したのがプレイヤーの動きをテレビ画面へ反映させる「XaviXシステム」である。

 未知なる象徴のX、Audio(音声)、Visual(映像)、Interactive(インタラクティブ)、それぞれの頭文字からXaviX(ザビックス)と名づけました。
 引用:ホームページより名前の由来

 新世代にとってそれが大きなターニングポイントとなったのだった。

 「XaviXシステム」とはその名のとおりシステムのことでありこの段階ではまだ単独のゲーム機ではない。このシステムを採用した“まったく新しいジャンルのゲーム機”がのちに空前の大ヒットを記録することになるのだ。ほら、ハードオフのジャンクコーナーの棚にたいてい置いてあるけど、だいたいボロボロの箱に入っていて、ゲーム界隈広しと言えどこのジャンルを集めてるコレクターに出会ったことがないくらい、少し特殊な位置づけのあのゲーム機たちだ......。

 思い浮かんだだろうか。そう、XaviXシステムが搭載されたまったく新しいジャンルとは、いわゆる家庭用体感ゲーム機のことなのである!





◆家庭用体感ゲーム機という稀有なジャンル◆

 西暦2000年――
 タカラの「Plug It!」シリーズ、エポック社の「体感ゲーム」シリーズが販売を開始。この年は家庭用体感ゲーム機のビックバン元年だった。なんとそのほとんどの体感ゲーム機が採用していたのがXaviXシステムだったのだ。

<各メーカーの主なシリーズ>



2000年 『体感ゲーム』シリーズ エポック社
2000年 『Plug It!』シリーズ タカラ
2001年 『テレビで遊び隊』シリーズ トミー
2004年 『Let's! TV プレイ』シリーズ バンダイ
2004年 『PLAY-POEMS』シリーズ コナミ


 もちろん、それまでこのようなゲームが存在しなかったわけではなかった。

 ゲームの歴史には「体感ゲーム」という呼ばれるジャンルがいくつか存在する。ひとつはアーケード系である。最初に登場したのは『ハングオン(SEGA/1985)』だった。やがてこの流れはリアル化・大型化への道を辿っていくことになる。もうひとつは周辺機器系である。ファミコンでいえば『ファミリートレーナー(86年)』や『トップライダー(88年)』などがそこに含まれるだろう。これらの体感ゲームはあくまでも特定のハードの周辺機器に過ぎなかった。

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 ※筆者所有のファミコンの体感ゲームたち

 一方、XaviXシステムが搭載された家庭用体感ゲームはアーケードや周辺機器のそれとは系統がまったく異なり、テレビに接続したらすぐに遊べることからプラグ&プレイ型ゲーム機とも呼ばれるひとつのジャンルを形成していたのである。いや、ここでは中川たちが開発した技術がそのジャンルを築き上げたと表現したほうがいいだろう。

 しかしそれ故にゲームファンからは受け入れがたい特徴を内包していたのだった。その要因はいくつか考えられるものの主な点を挙げるならば以下である。

・対象年齢が低い
・ハードとソフトが一体型
・ゲーム流通でなく玩具流通

 多くの体感ゲームがその性質上ゲーム性よりも遊戯性を重視した内容となっており、その玩具然とした見た目やハードとソフトの一体型という視点からゲーム機とは見なされずテレビにつなげて遊ぶ玩具だと認識されていたのだ。加えて、その流通事情からそもそもゲームファンの目に触れる機会が少なかったという分母の問題が重なったことが拍車をかけたのだった。

 ただし、そんな家庭用体感ゲーム機のなかにはゲームファンから注目された例外的な存在もあった。2003年にリリースされた『剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣(エニックス)』だ。

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 出典:こちらは筆者がハードオフのジャンクコーナーで見つけた一品。

 『剣神ドラクエ』はそのクオリティの高さから異例の大ヒットを記録。その年のCESAゲームアワード特別賞を獲得するほどゲーム業界から高い評価を受けたのだった。搭載されていたのはもちろん「XaviXシステム」である。このシステムとドラクエを掛け合わせたことによって家庭用体感ゲームの最高傑作が出来上がったのだ。きっとこの快挙が中川たちの背中を押す一助となったであろう。

 やがてXaviXは裏方であり続けることをやめ、カートリッジ交換方式を採用した独自ハード「XaviX PORT(ザビックス・ポート)」へと進化を遂げることになるのだった。





◆独自ハードの設計思想◆

 XaviX PORTの開発について中川はアメリカ市場を強く意識していた。当時のメディアは以下のように説明している。

 アメリカの玩具市場は日本と性格が大きく異なっており、単体機能のゲーム玩具を投入したとしても日本同様の展開を図るのが非常に厳しいという考えから、こういったカセット交換式のシステムを採用したのだそうだ。

 つまり元々XaviX PORTはアメリカ市場で体感ゲームを売るために独自ハードになったと言っても過言ではあるまい。実際に本機はアメリカで先行販売されているのだ。

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※XaviX PORTの箱裏面

 この独自ハードの設計思想について彼は地元紙の取材に対して「ゲーム機とは全く違うコンセプトをもつ製品にしようと決めた」と語っている。以下引用。

 例えば、ザビックス・ポート システムは、ゲーム機のように陳腐化せず、LSIなどのハードウェアやソフトウェアの進歩など時代と共にシステムが進化し、本体(ザビックス・ポート)を買い換えなくても良いように工夫を凝らした。
出典:「私のチャレンジ人生(1)」(滋賀ガイドセレクトブックス/2006年)

 中川の言う工夫とはハード側ではなく、カートリッジ側へ心臓部であるXaviXプロセッサを搭載することだった。そうすることで、本体を買い替えることなく常に新しい技術に対応できると考えたのだ。したがって港は変わらないのだけれど、船から降ろされる積荷は常に新しいという意味でPORT(港)なのである。

 陳腐化とはまた強い言葉だ......。





◆世界&日本デビュー◆

 ともかく「XaviX PORT」のアメリカ進出が火蓋を切った。

 第一歩は2004年1月8日から11日にかけて米ラスベガスで開催されたゲームの国際見本市CES2004への出展である。その様子を伝えるASCII.jpの記事によるとアメリカで夏ごろ発売予定とのこと。販売価格は本体が79.99ドル、ソフトは各59.99ドルだった。

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 ※アメリカでの対応ソフト一覧(当時のショッピングサイトより)

 2004年7月には世界的アクション俳優のジャッキー・チェンと共同で開発会社JCXをアメリカにて設立。8月には発売前イベントが開催されXaviX PORTは無事リリースまでこぎつけたようだ。正直いうとその後、本機がアメリカでどのように展開してどれほどの売れたのか日本の公式サイトにはまったく情報が載ってなかったため詳細はわかっていないが、海外有志が運営するVideo Game Console Libraryの情報によると翌年1月には再びCES2005へ出展。バージョンアップした「Super XaviXシステム」を搭載した2タイトルが披露されたようである。

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※かつて存在した米Amazonページの評価

 またXaviX PORTはアメリカの他に冒頭で述べた香港や台湾、そしてロシア()やタイ()へ販路を広げており、2007年12月にはヨーロッパへ進出を果たしたことがわかるWEB痕跡()が見つかっている。

 一方、国内では2004年11月24日付のITmediaの記事で日本向けに輸入通信販売が開始されたというニュースが確認できた。ただしこれは一般向けではなかったらしく日本国内での本格販売はその10ヶ月後である2005年の9月まで待たなければならなかった。

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 出典:ジャッキー・チェン監修の体感ゲーム、新ハードと同時発売 - ITmedia NEWS
 
 そしてついにその日はやってきた――

 2005年9月22日。XaviX PORTは満を持して日本デビューを果たしたのだった。当時のニュースリリースによると、本体と共にジャッキー・チェン共同開発の健康フィットネスアプリケーション『AEROSTEP』と『POWERBOXING』をはじめとして、Sportsシリーズ『テニス』と『ボウリング』の4本がローンチタイトルとして名を連ねており、その1ヶ月後の10月20日には『ゴルフ』と『ベースボール』がリリースされたのだった。


 出典:当時のCM

 ここでYoutubeにあがっていた当時のCMをご覧いただきたい。

 白々しいほど「ゲーム機」という言葉がいっさい出てこないではないか。その代わりフィットネスマシーンであることを強調した演出となってる。XaviX PORTの狙いはまさしくこれだったのだ。日本発売イベントでジャッキーが「私が毎日やっているようなクレイジーなトレーニングではなくファミリーで楽しめるエクササイズを目指した」と語っていたが、宙吊りになっている時点で十分クレイジーやないかい!というツッコミは脇へ置くとしても、ゲーム機から離れてしまった、または、そもそも近づいたことのないライトユーザー層を獲得することこそXaviX PORTの至上命題だったことがこのようなCMひとつからも見てとれるのだ。

 言うまでもなくそれは中川がわざわざ任天堂を辞めて会社を立ち上げてまで実現したかった夢だったはず。彼を含む7人の創立メンバーたちの悲願だったはず......。ついに彼らの熱い思いはここに結実するのである!




◆運命の行く末◆

 こうして華々しくデビューしたXaviX PORTは、健康エクササイズ、幼児教育、認知症トレーニングというような、今までのゲーム業界が本格的に取り組んで来なかった分野をつぎつぎと切り拓いて行くのだった。いや、切り拓く予定だったといったほうが残念ながら正しい。なぜならそんなXaviX PORTの後を追うように、あの「白い怪物」が現れてしまったのだから......。

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※『エアロステップ』説明書より

 そのゲーム機の出現はXaviX PORTの運命を大きく揺るがすことになるのだった。


 (つづく)



orotima-ku1.png(下)へのリンクはこの下です。




<調査協力>
 日本ビデオゲーム考古学会

<注釈>
 ※1 筆者が確認した中で言及しているのは「負け組ハード列伝 家庭用ゲーム機編」という書籍のみ。

<参考資料>
「日経エレクトロニクス」2005年4月11日号
「私のチャレンジ人生(1)」(滋賀ガイドセレクトブックス/2008年発行)
社団法人コンピュータエンターテインメント協会 「8th CESA GAME AWARDS」
GAME WATCH「XaviXベースの体感ゲームがアメリカでも発売へ カートリッジ式で複数のゲームが楽しめる」
ITMediaGamez「ジャッキー・チェン監修の体感ゲーム、新ハードと同時発売」
GAME WATCH「ジャッキー・チェン本人も登場! ゲーム感覚で楽しめるXaviXベースのフィットネスツール」
ITmedia NEWS「家庭用体感ゲーム「XaviXPORT」、Vis-a-Visにて販売開始」
Video Game Console Library「SSD Company XaviXPORT」


 誰も知らないゲーム機「XaviX PORT」物語
(上) 元ファミコン開発者の挑戦
(下) 3つの皮肉すぎる運命
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