先日発売された『
ファミコンとその時代』は、ファミコンの生みの親である上村雅之氏が著者に名を連ねていることから、30年目のファミコン正統史として注目され、この手の本(お堅いゲーム関係の本)としては異例と言えるくらいのセールスを記録している。
しかしその内容が前半部分では、ファミコンが誕生するまでのテレビゲームを中心とした時代背景が、淡々と記述されており、後半のファミコンに関する部分も、いかにも大学教授が書いたような客観的な味気ない文章が続く。
したがって
“ファミコン製作者ならではの面白エピソード”や、“当時の任天堂社内の面白エピソード”なんかを期待して購入したひとは、なんなら脱臼するくらい肩透かしをくらったことだろう。
そういう僕も、テレビゲーム史については読み飛ばしてしまった。わざわざ本著で読まなくても他にも詳しい本があるからね。しかもちょくちょく間違ってるらしいし。(
こちら参照)
じゃあ、なんでそんなことになってるのかというと、朝日新聞のインタビュー記事において上村氏はファミコンに対して「とんでもない家庭用ゲーム機になってしまった」と語っている。
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「ファミコン」発売30周年 ゲーム時代の開拓者 (朝日新聞)
ちなみにこの記事には、私オロチのファミコン部屋の写真が載っているぞ(笑) つまり、製作者側の思い。各メーカーの思い。子どもたちの思い。大人たちの思い。ファミコンをとりまく様々な人たちの思いが「ファミコン」という怪物をつくりあげていったのではないかということだ。そして30年経った今、製作者ですら正確に捉えることのできないものになってしまったということであろう。
だから『ファミコンとその時代』は皆の期待から、微妙にズレたものに仕上がっているのではないだろうか。(もちろん、期待通りだったという人も多いけどね)
しかし安心してほしい。
そんな僕たちの熱い思いを直接、製作者である上村氏にぶつけることができるかもしれない機会が設けられることになったのだ。
こちら↓
※サムネイル画像 2013年7月30日(火)、立命館大学にて『ファミコンとその時代』を題材とした研究会が開催されるのだ。当然、立命館の教授である上村雅之氏が教壇に立と、自ら発表を行うとのこと。これは是非とも参加したいものだ。
議論内容は以下。
・何故、「ファミコンの誕生」ではなく「テレビゲームの誕生」としたのか? ・執筆上の一番の問題点は何であったのか? ・「ファミコンとその時代」で発表者は何を伝えようとしたのか? ・「結びにかえて」への思い ・ファミコン30周年の出版の意義はどこにあるのか? ・ファミコン50周年は存在するのか? ・出席者全員の「ファミコンへの思い」を一言聞かせて下さい |
なんだか、とっても面白そうじゃないか。
詳しくは
立命館大学ゲーム研究センター公式サイトまでどうぞ。
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