「レトロゲームには余計なものがないから面白い」よくこんなこと言うひといます。
レトロゲームは容量が制限されていた分、創意と工夫にあふれており、面白い要素だけが凝縮されている。それにくらべ、最近のゲームは余計なものが多すぎてつまらんといった論調だ。なんだか、もっともらしい意見に聞こえるけど、僕は「ちょっと気になる言い回しだな」と思ったのである。
<コノハムシに「頭いい」って言っちゃうやつ> まず、間違っちゃいけないのが、レトロゲームは
“結果的にそうなっている”ということだ。当時の開発者が、当時の技術で、当時の環境で、できる限りのことを尽くして、制作した結果が、今日に残るレトロゲームなのだ。
写真:ゆんフリー写真素材集 たとえば「コノハムシ」という昆虫は、その名の通り、見た目が“葉っぱにそっくり”なので、敵の目をあざむくことができる。
テレビでそういう虫が出てくると「頭いいなあ」って思わず感心しちゃうことあるけど、よく考えると、コノハムシだって、あえてそうなったわけではないのだ。ダーウィンの進化論風に言うなら、彼らはたまたま厳しい自然環境の中で、より葉っぱに似てる固体が、(途方も無い年月を経て)、生き残ってきただけである。
だからコノハムシのことを狡猾だとか、自然の知恵とか言って、持ち上げるのは、ちょっとズレてる気がするし、まあズレてるだけなら別にいいんだけど、「それにくらべて他の虫は」とか言い出したら、どんどんおかしくなってくる。バッターボックスでテニスのラケットを構えてるようなもんだ。(うーん、たとえが下手!)
レトロゲームはコノハムシじゃないけど、結果的にそうなっているだけなのに
、あえてそうなっているかのように扱われがちという点では似ていると思うのだ。
<対立をあおっているのは誰か?> そもそも人々がゲームに対して何を望んでいたのか。それはゲームの進化が、すべてを物語っていると思う。
当時のゲーム開発者たちは、もっと色んな要素を詰め込みたかったはずなのだ。もっと綺麗な画像で、リアルな音で、ゲームをつくりたかったはずなのだ。容量の関係で泣く泣くデータを削っていたなんていう開発エピソードは枚挙にいとまがない。
一方、我々ユーザーも、もっと綺麗で、もっとリアルなゲームを望んでいた。そして、お望み通りゲームは進化していったはずではないか……
それなのに「レトロゲームこそ芸術」だとか「レトロゲームこそ至高」とかいって必要以上に持ち上げているひとたちがいる。そしてそういうひとたちに限って、「レトロゲームvs最近のゲーム」という対立構造をつくりたがり、最近のゲームをやたら攻撃したがるのだ。そのくせ、懐古主義者というレッテルを貼られることに対して、異常に反応したりするんだよね。
そもそも対立をあおっているのは、自分たちなのに……
<余計なものが多すぎるのは最近のゲームではない> 逆に考えてみよう。
レトロゲームに余計なものがいっさいなく、面白さが凝縮しているなら、ゲームは進化する必要がなかったはずだ。グラフィックもカクカクのままで、音楽もピコピコのままでよかったじゃないか。任天堂も
ずっとファミコン出してりゃ良かったじゃないか。ゲーム業界は、なぜそうしなかったのか?
バカバカしい疑問だよね。いい大人がこんなこと言ってたら大恥だ。
それでも昔は良かった。最近のゲームがつまらないと言うならば、理由は簡単だ。それは「あんたが年を取った」それだけのことである。
年を取れば反射神経もにぶってくるし、素直に感情移入もできなくなるし、ゲームにどっぷり向き合う時間もなくなってくる。つまり余計なものが多すぎるのは最近のゲームではなく、自分の体であり(脂肪とか)、頭であり(固定観念とか)、実生活だったのだ(残業とか、キャバクラ通いとか)。
そう考えると「最近のゲームは余計なものが多すぎてつまらん」というひとたちは
ゲームが楽しめなくなった原因を、ゲームになすりつけているだけなのかもしれない。僕の抱いた違和感はこれだったのか!
<最後に> 面白いとか、つまらないとかいうのは、感情の問題であり、それ自体を否定するつもりは、まったくありません。今回は「最近のゲームは余計なものが多すぎる」とかいった論調に、僕が抱いた違和感は何だったのか、考えてみただけです。
したがって、実際に余計なものが多い最近のゲームもあるでしょう。しかしながら、ひとは何かの原因を(まったく無条件に)他者に求めがちなんじゃないでしょうか……
まずは、自分自身を見つめ直すところから始めないといけないのかなと、今回は、そんな教訓を得たような気がするのでした。(とくにオチはない)
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似たものに「最近のゲームはぬるくてダメ。難易度の高い昔のゲームは良い」とかもあるよね。そこからさらに「昔の難易度の高い(または理不尽な)ゲームを知らない若い奴らはダメ」みたいなふうに持って行ったりして。
まるで当時のプレーヤーは皆、時には理不尽でさえあった難易度の高いゲームに何の疑問も抱いていなかったかのように言う。