コメント
当時の1プレイヤーとしてはスパルタ訓練の一環と解釈してた
ブログ主はハットリ君のメインプログラマの奥野さんだと思います
今更こんなところにコメントして申し訳ないですが、あれからほぼ5年経ったのにあのブログは更新されないままですね。
「お友達のいわさき君に死ぬまでにあのゲームがああなったのはなんでかを書くと約束した」というあのゲームとは多分あれだな…… イース移植のライセンス料がえらいことになった原因らしい、「ファ〇〇〇ゥ」。
結局いわさきさんがブログで今年になって簡単にまとめて書いてるのが正しいならあれ以上の内容はないよね。あんなデータの多いゲームをバッテリーバックアップのない時代のファミコンに移植するのは当時RPGを作ったことのないハドソンでは結局無理だったんじゃないかと。
ところでそのソフトの発売と同じ1987年11月にファルコム自身がその元のゲームのMSX ROM版(MSX1 8KRAM対応版)を発売したのはなかなか移植が終わらないハドソンに対する意趣返しだったんじゃないかと思うんですよね。真相はわかりませんけど。しかも、MSX版は同じ2MbitROMで、バッテリーバックアップだったわけだし。
「お友達のいわさき君に死ぬまでにあのゲームがああなったのはなんでかを書くと約束した」というあのゲームとは多分あれだな…… イース移植のライセンス料がえらいことになった原因らしい、「ファ〇〇〇ゥ」。
結局いわさきさんがブログで今年になって簡単にまとめて書いてるのが正しいならあれ以上の内容はないよね。あんなデータの多いゲームをバッテリーバックアップのない時代のファミコンに移植するのは当時RPGを作ったことのないハドソンでは結局無理だったんじゃないかと。
ところでそのソフトの発売と同じ1987年11月にファルコム自身がその元のゲームのMSX ROM版(MSX1 8KRAM対応版)を発売したのはなかなか移植が終わらないハドソンに対する意趣返しだったんじゃないかと思うんですよね。真相はわかりませんけど。しかも、MSX版は同じ2MbitROMで、バッテリーバックアップだったわけだし。