レトロ雑貨、玩具、ゲーム、しばしば懐古趣味と呼ばれるひとたちは、なぜ懐かしいものを集めたがるのか。なぜ部屋中びっしりと懐かしいもので埋めたがるのか。その答えは“懐かしい”という感情の本質にあるのではないか……という話。
※このエントリーは過去に掲載した記事を大幅に修正し、加筆したものですので、内容に多少重複した部分があることをご了承ください。 (写真はオロチのファミコン部屋の一角)<“懐かしい”を説明するのは難しい> ひとは思い出の風景や物に触れたとき「うわ、懐かしいなあ」って思うことがあります。そもそも“懐かしい”ってどんな感情なんでしょうか。Web辞書で引くと
「昔にもどったようで楽しい」とありました。
でも英語で“懐かしい”に相当する「Nostalgic」という言葉には、物悲しい、切ないというニュアンスのほうが強く含まれています。17世紀のヨーロッパでは、過去へ思いをはせて感傷的になる状態を「nostalgia」と言って、ホームシックのような
病気の一種と考えていたそうですよ。
一体どっちなんだって話なんですけど、そんなことはどっちでもいいんですよ。なぜなら僕が知りたいのは「昔を思い出すとなぜ懐かしいのか」であって、WhatじゃなくてWhyなんです。そもそも“懐かしい”という感情は楽しいとも悲しいとも違うから“懐かしい”のです。でも、そんなこと言ったら他の感情も同じように説明が難しいのでしょうか。ところがそんなことないんですよね……
<“うれしい”や“悲しい”が説明しやすい理由> たとえば宝くじに当たったらなぜうれしいのか考えてみると、でかい家に住めるから、かっこいい服が買えるから、美味しいものを食えるからって、色んな説明ができると思うんですよ。仕事をクビになったらなぜ悲しいのか。収入がないと生きていけないからですよね。
おそらく、うれしいとか悲しいとかいう感情は、動物としての
本能に直結しているから説明しやすいのだと思います。
うれしい=生存率が上がる
悲しい=生存率が下がる
という具合です。その場合、日頃から生存率を意識してるか。なんてのは関係ないんです。それは遺伝子レベルで受け継がれている人間の本能ですからね。我々はほぼ無自覚的に生存率が上がりそうな出来事をうれしいと感じ、生存率が下がりそうな出来事を悲しいと感じているはずなんです。
一方、“懐かしい”という感情はどうでしょう。ひとは思い出の風景や物に触れたとき、なぜ懐かしいと感じるのでしょうか。そこにも必ず本能に直結するくらいの理由があるはずなんですが、簡単には思い浮かびません。
<人間は生まれながらにして死に向かっている> その答えは意外なところからもたらされました。何年か前、知人A、Bと飲みに行ったとき、知人Aが酔っぱらって
「生きること=死に向かうこと」という持論を展開し始めたのです。彼が言うには、人間は生まれながらにして死に向かっているのだそうだ。たしかに死は誰にでもやってくる。それは紛れもない事実であり、言い換えると「人間は生まれながらにして死に向かっている」ってことなんですよね。
もしかすると我々は生きているのではなく、みんな、死んでいる途中なのかもしれないなあなんて冗談っぽく考えていると、ずっと黙っていた知人Bが「人間が死に向かっているなら過去へ近づくことは
“死を遠ざける”ってことじゃないの」と言ったのです。
僕はその言葉に酔いがさめたんですね。人間は実際に過去へ行けることはない。しかし思いをはせることはできるじゃないか。そう思った瞬間、僕の頭の中でパチーンと音がしたのです。
つまり過去を“懐かしい”と思う感情の正体は……
死への恐怖を忘れさせてくれる という安心感か!
本能に直結する理由がやっと見つかったんです。当然その場合は、実際に死を意識しているか。毎日死のことを考えて暮らしているか。なんてのはまったく関係ありません。なぜなら本人が意識しようがしまいが、人間は生まれながらにして死に向かっているからです。
したがってそのような現象(死を忘れることによる安心感の獲得)は無意識レベルで本能的に、ほぼ無自覚で行われているはずで、それを指して日本人は“懐かしい”と表現したのだと考えられます。
もちろん、年齢も関係ありません。理論的には5才の子どもが赤ちゃんの頃を懐かしんでも良いわけです。
※1<嫌な過去/希望の未来> でも嫌な過去を思い出したら安心感など生まれないのでは?
前回、このようなコメントを頂きましたが、そもそも
嫌な過去は“懐かしい”とは思わないはずです。なぜなら嫌な過去とは、疎外されていたとか、貧しかったとか、理由は何にせよ生存率が下がっている(=悲しい)状態だったと考えられるからです。それは今よりも死に近づいていた過去なんです。そんな過去を思い出しても“懐かしい”という感情にはなりませんよね。
じゃあ、未来に希望を持って生きている人間は不安しかないのか?
僕はこれは逆だと思うんですよね。我々は生まれながらにして死に向かっているが故に、希望を持って生きなきゃいけないんです。だからみんな夢だの希望だの恥ずかしげもなく語るんですよ。あれは哲学でもなけりゃ、迎合でもない。そうやって生きてたほうが生存率が高いってだけの話で、非常に
プリミティブな思考傾向なんだと思います。
おそらく明るい未来に向かってバリバリ生きているひとってのは、死が近づいているという本能的な不安を打ち消すだけの夢や希望を持っているのでしょう。それは素直に素晴らしいことだと思います。
じゃあ逆に、懐古趣味のひとたち(僕を含め)は未来に希望を抱いてないのでしょうか。そんなわけありませんよね。過去へ思いをはせることと、未来へ希望を抱くことは、二律背反するものではありません。人間はどっちもできるんです!
人生の長旅って疲れるじゃないですか。だから僕たちは“懐かしい”ものたちに囲まれて、ちょっと一息ついているだけなんですよ。きっと……
※1 ただし懐かしいという感情が発生するにはある程度のスパンは必要だし、そもそも幼い子どもは記憶や感情の機能が未発達なので、そのようなことが起こらない可能性は高い。
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