先日の3月6日に高橋名人が東京大学で講演したときの記事の紹介です。内容はこんな感じ。
・ハドソンに入社する前の名人 札幌のスーパーマーケットの青果部で働きながら伝票整理のため当時、車より高かったマイコンをローンで購入。それがきっかけでカルチャースクール講師になり、地元のパソコンソフト会社ハドソンの面接を受け合格。
・ハドソンのファミコン参入 任天堂からシャープ経由でファミコン用のBASICを作ってくれと依頼され、それがきっかけとなって参入を決意。ロードランナーを発売するやいなや大ヒットを記録する。
・高橋名人の冒険島4の裏話 ハドソンがファミコンで出した最後のソフト。ファミコン末期、まだ売れると思って、出そうと決意したが版権物は出せないということでこれになった。売上は数万本だがそのおかげでプレミアソフトに!?
・コロコロコミックと提携 ハドソン側から講談社や集英社など当たった結果、小学館のコロコロコミックだけがいっしょにやりましょうと言ってくれた。ちょうどゲームセンターあらしが終わったところだったのでファミコンロッキーを開始、ウソテク満載のカオスな内容となった。
・毛利名人誕生秘話 ファミコン大ブーム到来!ハドソンは年間500回ものイベントをしていた。そんな中、とあるマイコンショーにて名人になる前の毛利名人が同人誌を持ってハドソンブースへやって来た。「ゲームがうまい」と豪語していたので、「君ゲームうまいならバイトしないか」という話になりイベントに同行。トントン拍子で毛利名人に。
・”裏技”誕生秘話 ロードランナーではしごに右手をあげた状態だと無敵になっちゃうというバグを発見、全部回収、そして倒産か!?と思われたが「これはこういう技なんだ」と開き直ることにして、これは表の技じゃなく裏の技だから「裏技」だということになる。
・全国キャラバンファミコン大会 TDKがスポンサーをしてくれたのでキャラバンカーを1台増やすことができた。MCの女の子がアドリブのきかない子で役に立たなかった。
・とにかくすごかった任天堂伝説 山内「店頭の宣伝いらない、金があったらテレビCM流せ」ということで店頭宣伝はあまりしなかった。ファミコンが300万台売れ、あまりに売れるので店頭で安売りがはじまったら、任天堂が怒って3ヶ月ファミコンの生産をストップさせた。その間(1986年1月から3月)は、あのファミコンテレビ、シャープC1までもが品切れ状態だった。
・名人になって後悔したこと風俗街に行けないこと
以上、後半につづくということでした。面白いです。詳しくは記事を読んでください。
“高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (Business Media 誠)
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