愛する息子へ――
君が初めてファミコンをやったのは3才のときでしたね。まだ十字ボタンの意味がわからず、君のマリオは、ほぼ
その場でジャンプするだけだったことをよく憶えています。
ちょうどその後日、高橋名人に会う機会があって、3才の息子にファミコンデビューさせたことを報告したら「まだ早いよ」って怒られたっけ(笑)
お父さんは仕事でぜんぜん家におらず、お母さんもケーキ屋さんで忙しかったから、君は早くもiPadでyoutubeを見ることを憶えましたね。3才にして
音声入力を自在にあやつっている姿を見たときは驚愕しました。
ファミコンバカ親父は、たまに君と遊ぶときも決まってファミコン。「子どもと遊ぶ」という大義名分を盾に、結局は
ただ自分がファミコンをやってるだけだったけど、それでも君は横でキャッキャ言いながら笑ってましたね。
その頃の君は絵に描いたような暴れん坊で、あたりを走り回っては
すれ違った友達を全員ラリアットでなぎ倒すような子どもでした。おかげでお母さんは野球部員でもないのに、常に滑り込みしてたって聞いています。(君を止めるため)
そんな君も、アパートから引っ越したり、弟が生まれたり、保育園に入ったりして、だいぶ落ち着きましたね。お母さんが冗談で「ファミコンばっかりやってるお父さんは山に捨てる」って言ったら、
「お父さんを山に捨てないで!」って泣きながら反対してくれたときは、心の優しい子に育ってくれたなあと思ったんだよ。
※息子が保育園の年少さんのときに描いた絵 あの頃はいっしょに色んなファミコンソフトをやりましたね。保育園で描いてくれたお父さんの似顔絵は今でも大切に取ってあります。君はスーパーマリオも好きだったけど、ロックマンも大好きでしたね。
職場から、くたくたになりながら家に帰って来ると、いつも君は「ねえ、お父さん、ロックマンやって!」って言ってきましたね。正直言って
『ロックマン』は真剣にやると仕事より疲れるんだよ。それでもお父さんはバカだから全力でプレイしちゃって「敵なんかいちいち倒すな」とか「アイスマンにはエレキ攻撃だ」とか、熱血指導してましたね。
その昔、お父さんは、まだ結婚する前のお母さんといっしょに『テトリス』をやったとき、ついつい熱血指導しちゃってお母さんを泣かしちゃったことがあるんだよ。人ってそう簡単に変われないんだね。一方、そんな女の子女の子してたお母さんは、ずいぶん変わってしまったけどね!
🐍🐍🐍
年中さんになった君はいつの間にか、ひとりでもファミコンを遊べるようになって、毎日毎日『ロックマン』をやってましたね。仕事から帰るといつも「今日はどこどこまで行った」「今日はだれだれを倒した」って教えてくれてたっけ。たまに君のプレイを見ることもあったけど、ファミコンバカ親父はあいかわらず
「そんなところでE缶を使うな!」とか言うばかりでしたね。
ときどき君は親戚のうちに預けられていましたね。そのとき、いつもそこの年上のお兄ちゃんたちとwiiのマリオを遊んでいたけど、「ヘタクソ」とか「コノヤロウ」とかボロクソ言われながらも(小さい子はゲームやると口が悪くなるよね)、必死になってお兄ちゃんたちについていく君の姿を見て、たまに迎えに行っていたお父さんは苦々しく思いながらも、黙って見守っていたんだよ。
そんなある日、君は友達のうちで「(息子)くんはファミコンしかできないから」って言われて
『スーパーマリオメーカー』をやらせてもらえず泣いていたという話を聞きました。結果的に君は友達に一目置かれる存在になったのだけど、お父さんがファミコンバカ親父だったせいで、君を悲しませていたんだね。
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『スーパーマリオメーカー』をやらせてもらえなかった息子の話 その年のクリスマスに君は念願の『スーパーマリオメーカー』を手に入れて、飛びあがって喜んでましたね。サンタさんは清水の舞台から飛び降りたきり上がって来れないらしいけど(笑)、きっと後悔してないと思います。
それから君は毎日のように机の下とか、ソファーと壁の間とか、せまい場所に潜り込んで『スーパーマリオメーカー』の世界を冒険していましたね(前世が猫なのかな)。小さいときにマスターした音声入力を駆使して、
本当の意味で『スーパーマリオメーカー』を使いこなしていたときなんか、さすがのお父さんも赤面したよ。
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本当の意味で『マリオメーカー』を使いこなしていた息子の話 その頃、お父さんは君といっしょにファミコンを遊ぶ機会が減ってしまったけど、君はWiiUもファミコンも同じくらい遊んでくれていたらしいですね。
そんなある日、ファミコンバカ親父が何を思ったか
「PCエンジン買ったぞー!」ってハイテンションで帰ってきたときは、さぞかし驚いたでしょうね。なんたって今は2016年だから。でも、それから1か月もしないうちに100本くらいPCエンジンのソフトをかき集めてきて、さらにびっくりしたんじゃないでしょうか。何度も言うけど今は2016年なんだよ(笑)
でも君はすぐにPCエンジンにもハマってくれて、友達を家に呼んでストII大会や
ボンバーマン大会をするようになりましたね。お父さんはレトロゲーマーの端くれとして、そんな君たちの姿を誇らしげに思ってるんだよ。
※ ストII大会をする息子たち (詳細はこちら) その頃から我が家はファミコン、PCエンジン、メガドライブ(実は前から持ってた)、WiiUの4ハード体勢になりましたね。君はマリオと同じくらいソニックも好きだけど、一番好きなソフトはなぜか『鮫!鮫!鮫!』でした(笑)
メガドライブといえばこんな事件(というほどでもないけど)もありましたね……
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嫁にメガドライブ『大魔界村』をやらせてみた結果…… 月日が流れ、小学校にあがった君は今
『マインクラフト』に夢中ですね。
何回か、やり方教えてって言われたけど、お父さんにはちんぷんかんぷんで、何も教えてあげられませんでした。でも君はyoutubeで動画を探して、見よう見まねで、いつの間にかやり方を憶えてましたね。それって“勉強”って言うんだよ。学校の授業もゲームも同じなんだよ。好きなことだったら誰だって勉強してるんだ。
お父さんはここ最近、仕事でめっきり疲れていて、君の「ねえ、お父さん、ファミコンやって!」の声に応えられないことを、本当は心苦しく思っています。やる気が起きないのは年のせいなのかな。お父さんは目の筋肉が老化したのか、外が眩しすぎて
サングラスがないと車が運転できないようになっちゃいました。
子どもの頃、いつもサングラスかけてるおっさんを、よく見かけたけど、あれは格好をつけてるんじゃなくて、わりと切実な理由だったんだって、やっと気付いたよ(笑)
🐍🐍🐍
そして先日、君はずっと念願だった、お父さんと、お母さんと、弟くんと、4人で『ボンバーマン』を対戦することができましたね。でもね、4人で『ボンバーマン』をやるのは
お父さんの子どもの頃からの夢でもあったんだよ。お父さんはファミコン買ってもらったのが遅かったからPCエンジンまで欲しいって言えなかったんだ。ファミコンの『ボンバーマン2』は最高でも3P対戦だったからね。
君と『ボンバーマン』を対戦したのは2年ぶりくらいかな。ずいぶんやってなかったね。あのときはファミコン版で、お父さんと、お母さんと、君の3P対戦でした。当時、お父さんは一強で、はさみ討ち、閉じ込め、時間差攻撃、
思いつく限りのあらゆる手段を尽くして無双していたのをよく憶えています(笑)

でも今回は違いました。
手を抜いていたせいかな!?
仕方ない本気だすか……
……
あれ、おかしいな……
まあ、ブランクがあるからね。
……
おいおい爆弾、蹴れるとか、卑怯だろ!
……
ワープって意味不明なんですけどー!?
なんだこの動く床は!
……
こんなんだったっけ、PCエンジンのボンバーマン……

気づいたら君のボンバーマンは胴上げされてましたね。それから
お父さんは何戦しても君に勝てませんでした。いったい君はどれだけ友達とボンバーマン大会を開いていたのかな。
いつかこんな日が来るとは思っていましたけど……
あまりに早すぎませんか?
こういう日が来たとき親父はうれしいものだとよく言うけれど、正直に言っていいかな。お父さんは、
これっぽっちもうれしくありませんでした。ただただ悔しくて、悔しくて仕方ありませんした。
最後に泣きの3本勝負でなんとか勝ち越したお父さんは「このヘタレどもめ!」と全力で勝ち誇ってましたね。お母さんは呆れてたけど、そのとき弟くんが絶妙な間で「アホ」って言って、みんなで顔合わせて大笑いしたっけ。(親に向かってアホとは何だ!)
でもね、アホになれるって、素敵なことなんだよ。
大人になっても、好きなことに全力でアホになれる。とことんバカになれるってことは、人生に余裕があるってことなんだ。それは、ほんのちょっとの時間的余裕だったり、ほんのちょっとの金銭的余裕だったりするけれど、一番大切なのは心の余裕なんだと思います。
逆に言うとさ、
好きなことに全力でバカになれない人生のなんとつまらないことか!
お父さんなんか誰よりもバカだったから、ファミコンサイトを20年もやってるんだよ。それは世間からしたら大したことないことかもしれないけど、お父さんはこのサイトを誇りに思ってるし、いつも遊びに来てくれるひとたちや、たまーに読んでくれてるひとたち、みんなの存在がすごく励みになっているんだよ。
だから君にも見つけて欲しいんだ。
何でもいいから思いっきりバカになれることを。お父さんはそのためならファミコンを全部捨ててもいいと思ってるよ。(ごめんウソついた)
それじゃあ、また対戦しようね。今度は絶対に負けねえぞ!
ファミコンバカ親父より。
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