<スーパーマリオのステージ構成> もはや『スーパーマリオブラザーズ』のステージ構成については、「スタート時マリオが左にいるのは、右に進めという説明」とか、「キノコが土管に跳ね返ってくるのはパワーアップアイテムに関するチュートリアル」とか、ゲーミフィケーション論やらレベルデザイン論といった観点から語りつくされた感がありますが、意外と触れられてない要素があります。
それは、
なぜ1-3と5-3が似てるかって話です。
<World 1-3>

<World 5-3>

どちらもジャンプが楽しいステージですが、1-3と5-3の違いはリフトの大きさとキラーが出てくるかどうかくらいしかありません。
<マイナーチェンジ面が存在する謎> 実は、スーパーマリオの世界にはこの2つの他に、お城ステージの1-4と6-4、2-4と5-4、水中ステージの2-2と7-2、プクプクステージの2-3と7-3など、似ているステージがたくさんあるんです。
って、そんなこと、ゲーム世代の皆さんなら誰でも知ってますよね(笑)
いずれもその特徴は数字の大きいステージのほうが
「ちょっと難しくなっている」ということでした。正直言って当時、小学生として洟をたらしていた僕は、なんとも思いませんでしたが、大人になって改めて考えてみると、これっておかしいですよね……

だって、いくら容量が限られていたファミコン時代の作品だからって、背景などのグラフィックは難しいとしても、ブロックの配置などは、まったく違う構成にすることは出来たわけだし、むしろ、そのほうがふつうの発想だと思いますよ。なるべく
いろんなステージをつくってプレイヤーを楽しませたいって思うのが人情ってやつじゃないですか。
まさか宮本さんほどの人物がコピペで手抜きしてたとも思えないし……
それぞれのワールドを、まったく別の魅力を持ったステージにしようと思えばできたはず。それなのに宮本氏は、なぜ悪い言い方をすれば、ただのマイナーチェンジみたいなステージを、わざわざ、いくつも入れたのでしょうか?
<マルチメディア時代の到来を前にして> その答えは1994年6月に発行されたテレビゲーム総括本「電視遊戯時代」の対談記事にありました。
※「電視遊戯時代 テレビゲームの現在」 (ビレッジセンター出版局)より スーパーマリオの生みの親・宮本茂氏のお相手は、 まだポケットモンスター(赤・緑は96年発売)を生み出す前のゲームフリーク田尻智氏。1994年の日本はまさにマルチメディア時代の夜明けでしたね。そもそもマルチメディアって言葉が時代を感じさせます(笑)
その年の暮にはセガサターンや、プレイステーションが発売されることになり、まさに嵐の前の静けさともいえる時期なのですが、お二人は「マルチメディア」をどう捉えるかというテーマで、独自のテレビゲーム哲学を語っていました。
ここで1994年がどういう時代だったのか、いまいちど振り返る意味も込めて、記事中で印象的だった宮本氏の発言をピックアップしてみましょう。テレビゲームの原理的おもしろさについて、彼が語ったところによると以下引用。
何が変ったかというと、それは表現能力だけなんです。
ゲームの本質の部分は何も変わっていないということですね。
トンガった部分を強調してどんどん先の世界を追及する人は、それなりに脚光を浴びるかもしれませんが、そういう人達は、そのトンガった部分と一緒にどこか別の場所にいってほしい(笑)
誰のことを指してるのかはわかりませんが、当時はスーパーファミコンの勢いに陰りが見え始めており、宮本さんも方々からいろんなこと言われるようにっていた時代でした。実際にこの記事の中でも同氏は最近、
私のことを「時代遅れ」と言いたいひとが多いみたいですが、と前置きしつつ以下のような発言をしています。
我々はファミコンの初期からやっているわけで、時流には関係なく扱ってもらえるポジションを築けるところにいますし、それに憧れているんです。
よくも悪くも、こういうところが任天堂スタイル。もともと浮き沈みの激しい会社ですし、2016年現在もおそらく同じ信念を持ってバリバリやってるでしょうね!(笑)
参照記事1:
任天堂「失敗の歴史」 ~インスタントライスから3DSまで~参照記事2:
歴代ハード・主要ソフトから見た任天堂株価の30年史<1-3と5-3が似てる理由> さて、本題に戻りましょう。
ファミコン版『スーパーマリオブラザーズ』で、同じようなステージがいくつか出てくる件について、まずは宮本氏がマルチメディア時代の展望として以下のように語ったことが前提となっています。
コンピュータとしては本当にひとつの箱庭のような世界を提供するだけで、その中をどのように拡大するかはユーザーにすべて任されることになります。私自身、そういう方が好きですね。
この発言には、まさに今、うちの息子がハマってる『マインクラフト』(Wii U版)を思い浮かべましたね。しかもスーパーマリオの世界を再現してるステージがあるらしく毎日せっせと何かやってますよ。まるっきり仰る通りの未来になってます。20年以上も前から見据えていたとは。(マインクラフト自体は任天堂のオリジナルじゃないってところはアレですが……)

そしていよいよ核心に迫ります。宮本氏は続けて以下のように語ります。
だからマリオでも、8ワールドあるんですが、すべてがまったく違うマップというわけではなく、ある面とカラーや敵キャラクターを変えて、難易度をちょっとあげてるくらいで上の面にしてあったりするんです。
なるほど……
つまり、元の部分はできるだけコンパクトにつくりたいなと思っていました。
うん、うん。
……
……
……
わからん(笑)
<シンプルなステージに込められた哲学> そして文章は以下のように締めくくられていました。
それが、最初から全然別の8ワールドがあるのがあたりまえで、最初から違うものを作ろうとすると、我々は本当にこんなもの作りたいんだろうかと考えてしまうんですね。それよりは、今クリアしたコースを逆に走ってみたらもっとおもしろかったとか、そういう方に興味を持っていく方が好きなんですよ。
ぶっちゃけて言いましょう。私オロチには宮本さんの言いたいことがストレートには刺さりませんでした。次元が高すぎて何言ってるかわかりません(笑)
でも、だいたいこんなことだろうなってムリヤリ解釈するならば、つまり、スーパーマリオというスケートボード場で、僕たちの想像力というスケーターが演技してるという感じでしょうか……
あくまで演技=想像力が主役なので、舞台はなるべくシンプルで、かつ、いろんな技(もっと広く言えば自分にとって気持ちいいポイント)が生み出せるようなものがいいんです。たとえばお城ステージ1-4で出てくる、色違いの思わせぶりなブロックは6-4ではファイヤーバーになっているわけだし、また、それがある程度、想像しやすくデザインされているんですよね。それって、いろんな想像力に応えてくれる優れた構成のステージってことだと思うんですよ。
逆に舞台が派手派手だったり、凝り過ぎたりしていると、なんかもう「やらされてるだけ」って感じがして、プレイヤーがちっとも主役になれないんです。

それは『スーパーマリオメーカー』なんかやってると痛感しますよ。スーパーマリオのステージをつくるのは小学校のころからの夢でしたけど、いざやってみると難しいったらありゃしない。ついつい趣向を凝らしまくったステージをつくっちゃうんだけど、そんな面は結局、誰もやってくれないし、自分自身もすぐ飽きちゃうんですよね(笑)
その原因がまったくわからないので、そのうちステージ作り自体に飽きちゃうか、自動面みたいな、まったく違うベクトルに走っちゃうんです。もちろん、それはそれで面白いのですが、ただただ実感したのは、何度やっても飽きないようなシンプルなステージを作るほうが、よっぽど難しいってことだったんです。
宮本さんが言ってるのは、たぶん、そういうことだ思うんだけど違うかなあ。
ちなみにこの発言を聞いた田尻さんは
「いやぁ、本当に同感です」と即座に理解を示していました。さすが天才同士(笑)
はたして、あなたの胸には刺さったでしょうか。
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