ゲームには「ゲーム的な不気味の谷」があるのだろうか(※やや閲覧注意)
こちらの記事を読みました。
要約すると筆者である親父さん(40才)が昔、ゲーセンでハマってた『ファイナルファイト(1989年/アーケード)』を息子(11才)といっしょにやったら、コンティニュを何度かしつつもサクサク進み、ものの30分でクリア。「どうだった」と感想を聞いたら「もうやらない」と言われてへこんだという話です。
この記事に対して、ネット上では以下のようなコメントが寄せられていた。
まあ、いろいろ言われてますけど、僕が注目したいのはPS2「カプコンクラシックスコレクション」に収録されている『ファイナルファイト』を使用したという点だ。皆さんは不気味の谷という言葉をご存じだろうか?
不気味の谷現象とは……
主にロボット工学の分野で用いられている言葉である。たとえば小学生の工作のような原始的なロボットが、技術の進歩によって、徐々に人間らしい動作などを取り入れていくと、最初のうちは好感が持てるのだが、ある地点に達すると、とたんに不気味になるという現象である。

たとえば昔、キンチョーのCMで屋外で女性が虫よけスプレーしてるんだけど、なんか妙に動きがぎこちなくて、そしたら「彼女はアンドロイドです」という注意が書きが出て、「なーだん、やっぱり」なんて思ってたら最後、顔のアップが映し出されるというものがあった。その何とも言えない不気味さを憶えているひとも多いはず……

※イメージ図
たぶん、ゲームにも不気味の谷みたいな現象があるのではないだろうか。
テレビゲームのグラフィックもドット絵から精巧なCGへと移り変わっていった歴史があるわけだが、それはグラフィックだけではなく、ゲーム性だったり、操作性だったり、サウンドだったり、ゲーム全体ひっくるめての不気味の谷。こうなってくるとだいぶ解釈が変わってくるので“ゲーム的”とつけさせてもらうが、要するに単純だったものが複雑になっていく過程で起こる一時的な拒否反応ともいうべき現象である。
しかもそれはファッションみたいに時代性があって、当時は何とも思わなかったものが、改めて俯瞰的に見ると気づくものかもしれない。したがってリンク記事のように、若い世代だからこそより感じてしまう。
つまり、その息子にとって『ファイナルファイト(1989年/アーケード)』PS2版はグラフィックだったり、迫力や演出だったり、ちょうど絶妙な中途半端さだったという可能性もあるということだ。いっそのことカクカクピコピコのファミコンやらせてたら反応は違ったかもと思うのである。
※ こちらのシリーズも併せてご覧ください
私オロチは、少なくとも個人的にはそのような懸念があったので、息子にはファミコンから順番にやらせたいと思っていた。実際に、ファミコン、PCエンジン、メガドライブと順調にやらせて来たが、スーパーファミコンへ行く前に、結局はWiiUを買ってしまったけどね(笑)
息子は、今ではレトロゲームもそうじゃないゲームも関係なく楽しんでる立派なゲーマーに育ったよ。取っ掛かりでファミコンやらせたのが良かったと僕は信じてる。
そもそもの話、子どもにはレトロゲームだの何だのなんて関係ないと思うんだけどね。だって考えてみたら、我々が初めてファミコンに触れたのは子ども時代だったし、ファミコンは子どもに流行ってブームになったのだから、子どもにウケないわけないと思うのだ。
と、話がだいぶ脱線してしまったが、はたしてゲームにはゲーム的な不気味の谷があるのだろうか。そんなこと思った記事でした。まあ、何にしても、子どもに親の趣味を押し付けてはいけないぞ!(お前が言うな)
・私(40歳)が楽しんだ『ファイナルファイト』を息子(11歳)は楽しめるのか? (automaton)
要約すると筆者である親父さん(40才)が昔、ゲーセンでハマってた『ファイナルファイト(1989年/アーケード)』を息子(11才)といっしょにやったら、コンティニュを何度かしつつもサクサク進み、ものの30分でクリア。「どうだった」と感想を聞いたら「もうやらない」と言われてへこんだという話です。
この記事に対して、ネット上では以下のようなコメントが寄せられていた。
・無限コンテニューでは醍醐味が伝わらないのは当たり前
・ゲームを面白くする最大の要素は「制限」だってこと
・思い出補正で古いゲームを薦めてくる懐古厨はウザい
まあ、いろいろ言われてますけど、僕が注目したいのはPS2「カプコンクラシックスコレクション」に収録されている『ファイナルファイト』を使用したという点だ。皆さんは不気味の谷という言葉をご存じだろうか?
不気味の谷現象とは……
主にロボット工学の分野で用いられている言葉である。たとえば小学生の工作のような原始的なロボットが、技術の進歩によって、徐々に人間らしい動作などを取り入れていくと、最初のうちは好感が持てるのだが、ある地点に達すると、とたんに不気味になるという現象である。

たとえば昔、キンチョーのCMで屋外で女性が虫よけスプレーしてるんだけど、なんか妙に動きがぎこちなくて、そしたら「彼女はアンドロイドです」という注意が書きが出て、「なーだん、やっぱり」なんて思ってたら最後、顔のアップが映し出されるというものがあった。その何とも言えない不気味さを憶えているひとも多いはず……

※イメージ図
たぶん、ゲームにも不気味の谷みたいな現象があるのではないだろうか。
テレビゲームのグラフィックもドット絵から精巧なCGへと移り変わっていった歴史があるわけだが、それはグラフィックだけではなく、ゲーム性だったり、操作性だったり、サウンドだったり、ゲーム全体ひっくるめての不気味の谷。こうなってくるとだいぶ解釈が変わってくるので“ゲーム的”とつけさせてもらうが、要するに単純だったものが複雑になっていく過程で起こる一時的な拒否反応ともいうべき現象である。
しかもそれはファッションみたいに時代性があって、当時は何とも思わなかったものが、改めて俯瞰的に見ると気づくものかもしれない。したがってリンク記事のように、若い世代だからこそより感じてしまう。
つまり、その息子にとって『ファイナルファイト(1989年/アーケード)』PS2版はグラフィックだったり、迫力や演出だったり、ちょうど絶妙な中途半端さだったという可能性もあるということだ。いっそのことカクカクピコピコのファミコンやらせてたら反応は違ったかもと思うのである。
<かわいい子にはレトロゲームをさせたほうがいい理由> |
私オロチは、少なくとも個人的にはそのような懸念があったので、息子にはファミコンから順番にやらせたいと思っていた。実際に、ファミコン、PCエンジン、メガドライブと順調にやらせて来たが、スーパーファミコンへ行く前に、結局はWiiUを買ってしまったけどね(笑)
息子は、今ではレトロゲームもそうじゃないゲームも関係なく楽しんでる立派なゲーマーに育ったよ。取っ掛かりでファミコンやらせたのが良かったと僕は信じてる。
そもそもの話、子どもにはレトロゲームだの何だのなんて関係ないと思うんだけどね。だって考えてみたら、我々が初めてファミコンに触れたのは子ども時代だったし、ファミコンは子どもに流行ってブームになったのだから、子どもにウケないわけないと思うのだ。
と、話がだいぶ脱線してしまったが、はたしてゲームにはゲーム的な不気味の谷があるのだろうか。そんなこと思った記事でした。まあ、何にしても、子どもに親の趣味を押し付けてはいけないぞ!(お前が言うな)
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