ファミコンについて面白いブログ記事があったので紹介します。
よく考えてみたら、任天堂のファミコンって・・・(Project corruption さん)
上の記事によると、任天堂がやっとファミコンを出したということです。どういうこと?ってひとは記事を読んでね。なるほど。ファミコン、つまりファミリーコンピュータって直訳すれば
家族のコンピュータってことになるわけだ。思い出してみればファミコン時代は親たちに、何かと目の敵にされました。皆さん考えられますか。
「テレビ見たいからゲームやめて」といわれ急いで復活の呪文を書きとめた時代。
「今家族がテレビ見てるから」といってファミコンやりに来た友達を追い返した時代。
今じゃ考えられないよね。昔は一家にテレビが一台だったんですよ。少なくとも僕はそうでした。だから1日1時間という制度が鳴り物入りで施行された。なによりそれを喧伝したのが本来ファミコン側であるはずの、つまり僕たちのような子供側でいるはずの某名人だったのだから仕方ない。
でも「はいそうですか」と守ってる奴なんて皆無だったな。だから親に怒られてファミコンを取り上げられる奴なんてごまんといた。僕もそうだった。たいてい押し入れかたんすの上に隠してあって、涙流して許しを乞うた思い出があるわ。
でももっとすごいのになると、
電源をいきなりはさみでチョッキンされたり、思いっきり踏んづけられて本体が粉砕したという奴も。僕の友達のなかにはクリスマスにしかファミコンをやらせてもらえず、毎年の聖夜をすべてドラクエに費やした奴もいた。
そう考えると昨今の任天堂ゲーム機Wiiに対する世間の認識はどうだろうか。ニュースサイトインサイドが先日伝えた内容によると、ネットエイジアが実施したゲームユーザー意識調査では
Wiiは家族で、PS3は1人で遊ぶゲームだという結果が出たとか。
Wiiは「家族で」、PS3は「一人」で…ユーザー意識調査 つい最近の調査記事ですよ。これを
ファミリーコンピュータと言わずして何て言うんだいというわけだ。まあそんな迫害されてきた世代が親になったから、ゲームに対して寛容なのだという見方もあるが、さらに調べてみたらまた面白い記事を見つけた。
ファミリーコンピューター (イカリヤのバカ野郎絵日記 さん)
上の記事では「ファミリーコンピュータ」という名でありながら家族のだんらんを奪ったゲーム機としてファミコンが紹介されています。さらに同記事ではファミコンの開発中の名前は「ヤングコンピュータ」だったとか。開発者はこのゲーム機を出したら家族のだんらんが失われてしまうだろうと思いながらも、あえて「ファミリー」の名を冠したとか。
でも僕はあえて違う見解を述べされてもらいます。だって初期のファミコンのCMでは最後に「家族そろってファミリーコンピュータ」って言ってるじゃない。
任天堂は(最初からとは言わないが)かなり家族を意識してファミコンを作ってたんじゃないだろうか。(そのCM↓)
正直言って僕は昨今のWiiだDSだという流れにまったくついていけない(スーファミにすらついていってないじゃないかというツッコミは無しで)。なにが脳トレだ、なにがWiiフィットだとも思った。酒におぼれ。毎晩違う女と寝たよ!(なんじゃそりゃ)
でも脳トレならマインドシーカー、Wiiフィットならエアロビスタジオがあったじゃないか。そんなことはもうとっくにやってるんですよ。(細かいツッコミは無しで)つまり
任天堂の姿勢は一貫していたのだ。そして今も自分を貫いているのだ。
そう思うとなんか、すごいなあって。感慨深いものがありませんか。まあだからといって明日からWiiやりだしたりすることはないですけどね・・・
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麻雀やゴルフ(このゴルフには今のゴルフゲームの基本が全て入っているという名作だ)なんて渋いタイトルがありましたっけ。その辺任天堂は意図的なんでしょうね。
数々の失敗作がありながら、任天堂がリーディングカンパニーなのはそこに理由があるのかもしれません。
そういえば任天堂が書かせていたゲームの広報マンガに、未来のゲーム…みたいな回があって、
その中であげられた要素がほぼ的中していると言う話を聞きました。
(ネット配信ゲーム、体の動きでの操作、軽量薄型大容量の情報媒体)
任天堂の場合、予言を自分達で実行出来るわけですから、ある意味自作自演なんですが、やはりこれも明確なビジョンあってのことでしょう。