幻の発売中止SFCソフト『サウンドファンタジー』をめぐる物語 (2/3)
当時、バリバリのメディアアーティストだった岩井俊雄(敬称略)はこのソフトを、あくまでも「ミュージックインセクト」の延長線上にあるメディアアート作品として制作していた。
しかしあるとき、任天堂側から「もっとゲーム要素を入れてほしい」と要求され、彼はキャラクターをただのドットから、虫のような姿にすることで最大限の譲歩をした。

※画像:「ピクセル・カルテット」 SNES Sound Factory (JP Sound Fantasy)
ゲーム性を要求する任天堂とゲーム性を排除したい岩井敏雄。その温度差は彼をひたすら消耗させていったことだろう。
しかし任天堂の要求は止まらなかった。悩んだ末、岩井は「ピクセル・カルテット(ミュージックインセクト)」の他に、別の音楽ゲームを追加するという苦肉の策を思いつく。まず最初は「ビート・ホッパー」という、ブロックを何度か踏んで消していくモードを追加した。続いて任天堂側のプロデューサーが「アイス・スイーパー」というブロック崩しのようなモードをねじ込んだ。
やがて発売日が1994年8月27日に決まった。
岩井はどうしてもメディアアート的要素を濃くしたかったので最後に「スター・フライ」という星を配置して演奏させるモード(これは一度ボツになっている)を追加した。それは彼の意地だったに違いない。
かくして、ついに……
スーパーファミコンマウス専用ソフト『サウンドファンタジー』は完成したのだ。
しかしそれは突然やってきた。
彼はそのときの様子をこう振り返る。
※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000) サウンドファンタジーより1年以上かけて完成させ、『サウンドファンタジー』というタイトルでパッケージデザインやコマーシャル制作も進んでいたのだが、急になぜか任天堂が発売を中止し、残念ながら幻のゲームソフトになってしまった。
驚くべきことに作品が完成して、あとは売るだけの状態だったのにも関わらず、任天堂から告げられたのは「発売中止」という決断だったのだ。

※画像:「ビート・ホッパー」 SNES Sound Factory (JP Sound Fantasy)
岩井は2006年、wiredマガジンの取材に対し「当時の任天堂は時勢を鑑みて、アートよりもアクションを重視したんじゃないか」と述べている。(※出典)
『サウンドファンタジー』発売中止の理由について、妥協のないスタイル(ちゃぶ台返し)で知られる宮本茂(敬称略)は、以下のように言及している。
出典:岩井氏、岩田氏、宮本氏が『エレクトロプランクトン』を語る!(ファミ通)より以前、『サウンドファンタジー』をやられているときに、任天堂もこういうもんを作るんやったら俺にも未来はあるなあ、とすごく期待してたんです。それがだんだんビジネスのほうで考えるようになって、「もっとゲームじゃなければ売れないだろう」と。それでゲームに歩み寄るうちに、"触ってるだけでうれしい"という岩井作品らしさがだんだん弱っていくような感じがしてました。
ゲーム要素を増やせと要求しておきながら(要求したのは彼ではないかもしれないが)、いざそうすると「らしくない」とは、なかなかデレないツンデレである。
そんな無念が2005年4月――
DS版『エレクトロプランクトン』で結実したと言ったら、この物語はハッピーエンドだったのかもしれないが……

※こちらは今回の記事のためにオロチが入手した『エレクトロプランクトン』。しかしDS本体を持ってないためプレイすることができない。
その点について任天堂の故・岩田聡社長(当時)が以下のように語っているので引用してみよう。
出典:岩井氏、岩田氏、宮本氏が『エレクトロプランクトン』を語る!(ファミ通)よりご褒美の返しかたはいろいろあるんですが、例えば泣かせるストーリーであったり、CGムービーの豪華な映像であったり。岩井さんの場合は、音と光りを返すタイミングとセンスだけで勝負してる。(中略)
『エレクトロプランクトン』は、触る人の好奇心の大きさによってすごくおもしろいものになったり、逆につまらないものになったりする作品だと思います。(中略)本当にこれは、"好奇心測定装置"だなと思いました。
そもそも好奇心旺盛なひとは、どんなゲームでも楽しめるのではないだろうか。
※ちなみに岩井は、これに先駆けて1996年3月27日にパソコン用ソフト「SimTunes」をリリース。『サウンドファクトリー』の要素の多くは、むしろこちらへ引き継がれていた。
さて話を幻の発売中止SFCソフト『サウンドファンタジー』に戻そう。
前段であえて名前を伏せていたが、実は、このソフトのプロデューサーはあの横井軍平(敬称略)だった。彼は任天堂がまだゲーム会社ではなかった時代から、ウルトラハンド、ラブテスターといったヒット商品を連発。自らのものづくり哲学を「枯れた技術の水平思考」と呼び、その後もゲーム&ウオッチ、ゲームボーイなどのゲーム機などを次々に生み出した凄腕の開発者である。
岩井は彼の印象を自身の著書のなかでこう語っていた。
※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000) サウンドファンタジーよりはじめてプレゼンに行ったとき、僕の「ミュージックインセクト」を見て「これは水琴窟やね」と言ったおじさんがいてびっくりしました。(中略)
僕の作るものが、作曲というより、音と純粋に戯れるものだとすぐに見抜いて、そういうコメントをしたのだろう。
そんな横井が任天堂を退社したのは1996年8月15日だった。岩井は以下のように綴っている。
※ 『岩井俊雄の仕事と周辺』(六曜社/2000) サウンドファンタジーより『サウンドファンタジー:』完成後しばらくして、横井さんは長年勤めた任天堂を突如辞めて、周囲を驚かせたりもした。(中略)
亡くなったあと出版された本などで、横井さんのつくってきたオモチャの全貌を知ったり、インタビューを読んだら、そのアイデアや考え方にものすごく共感を覚えた。
僕の仕事は、アートよりもずっと、横井さんがやってきた仕事に近いんじゃないかなって思えたりした。
岩井と横井との共通点については、2010に出版された彼の著書にも見出すことができる。

『アイデアはどこからやってくる? (14歳の世渡り術) 』 (河出書房新社/ 2010)
岩井はこの著書の中で「アイデアは歴史の中に埋もれている」とし、見向きもされなくなった過去の技術を活用した事例などを挙げていたのだ。まさに「枯れた技術の水平思考」そのものである。しかし皮肉にも彼が横井との不思議なつながりを見出したとき、すでに『サウンドファンタジー』は未発売ソフトとして、お蔵入りになっていたのだった……
幻の発売中止SFCソフト『サウンドファンタジー』をめぐる物語
・第1章 歴史に埋もれた幻のSFCソフト
・第2章 あくまでも目指したメディアアート作品
・第3章 ゲーム性とアート性は両立するのか?
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