弊ブログでも先日、お伝えした35年間集めた膨大な数の
ゲームコレクションを処分する男性の話。ゲームレガシーさんが詳しく翻訳してくれました。
ゲームレガシー : モノより時間~引退を決めたレトロゲームのコレクターがその心境を語る コレクションは5月31日に公開オークションで一括放出(ただし要現地集合) モノよりも時間。
おいおい、それを
コレクターが言ったらおしまいだよ。
ああ、そうか。だから引退するのか……
今回の主役はニュージャージー州に住むBill Loguidice氏。彼のレトロゲームコレクションはPCゲームからコンシューマから多岐にわたっており、レトロのみならず最新ゲームまで手広くカバー。その物量はハードが500点、ソフトが3000点。なんだか
ハードの数に対してソフトが少ない気がするが、おそらく厳選してるんだろう。っていうかハード500種類ってすごいなっ!(笑)
↓こちらから画像を見ることができるぞ。
リンク:auctionzip.com そんな彼、10年前からはライター業も始め、複数の関連書籍も出版しているという。だったら、なおさら、なぜ、コレクションを売るというのだろうか。
部屋の整理もしだいに行き届かなくなった。それをするだけの時間がないのだ。それに、いくら広い部屋があるといっても、すべてを整えた状態にしておけるだけの余裕もない。とにかくモノが多いのだ。
いくら広い部屋があるといっても、か……
さすがアメリカだよね。こんなセリフ言ってみたいわ!
執筆のためにいろんな機種を使う必要が出てくると、いちいちいろんな機械を出し入れしなければならないのだが、それが面倒に感じるようになった。(中略)ぼくがコレクターに戻ることは二度とない。
ほら、昔からよく言うじゃない。
好きなことを仕事にしたらダメだよって。もちろん中には天職みたいなひともいるけどさ、面倒に感じるってことは「レトロゲーム=金儲けの手段=仕事=かったるい」になっちゃってる可能性が高いね。

自慢じゃないけど僕なんか仕事が大嫌いだからね。レトロゲームを仕事にした途端、いっさいやらなくなる自信あるよ(笑)
もうひとつ理由をあげると、たとえば昔のゲームソフトを手に入れたとして、もうそれを試すための時間がないのだ。ハードとなると、もはや考える気にすらなれない。
わかるんだなあ、これ。
とくに年を取ってくると痛感するよ。まず、仕事から帰るとリビングで子どもたちが大騒ぎしてるでしょ。それを眺めながら飯食ってさ、洗濯物たたんで、風呂掃除して、上の息子の宿題を見て(やれてなかったら)、下の息子と人形遊びして、子どもたちを風呂に入れたら、仕上げの歯磨きして、寝かしつけてからやっと自分の時間が来るから、あれもやろう、これもやろう、なんて思い描きながら子どもを寝かしつけてたら、
結局は自分も寝ちゃうってやつ。いつゲームやるんだよ!(笑)
まあ、↑はフルコースの日ね。いつもは妻と分担してるが。
利便性には勝てない。今の環境にすっかり慣れ切ってしまった。分かりやすいし、便利で速い。そして昔のソフトウェアも、そうした環境で走らせるほうがずっといいと思うようになった。
これは個人的に「でしょうね」としか言えない案件だ。でしょうね案件。
なぜなら、僕はファミコンは
「不便を楽しむもの」でもあると思ってるから、利便性を求めれば求めるほど“不便の魅力”を否定することになっちゃうんだよね。たとえばキャンプ場でつくったカレーって美味しいじゃない。あれにはいろんな理由があるけど、ひとつは、不便な環境でつくることによって
感動のハードルが下がってるから旨いんだよ。

僕はかつて「
なぜ古参は「昔のほうが良かった」のか? たった1つの理由」という記事で、そのカラクリを説明している。
少なくとも僕がレトロフリークを導入しない理由はまさにこれなんだなってことに気が付いたよ。レトロフリークは本当に素晴らしい互換機だとは思いつつも、僕はその
便利さに慣れてしまって彼みたいになるのが怖いのだな、きっと……
かといって現代社会で生きている以上、「便利」をまったく取り入れないのも極端すぎるから、ひとそれぞれ用法・用量を守って正しく取り入れていくべきなのが、レトロゲームコレクターにとっての「便利」なのだろう。
まあ、僕の場合、不便どころか……
逆にファミコンの魅力が尽きなくて困ってるけどね!(笑)
|  | 早くスーファミデビューしたい…… |
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