コメント
iNES、NESticle、パソファミ・・・このあたりをよく見ていたのはもう20年ぐらい前だな・・・年をとった
>パソファミ関連サービスにつきましては、故人の遺志により以下の形で対応させていただきます。老舗ファミコンエミュレータサイト。ジャンルが違ったのでたまに拝見する程度だったが。
みんな、この日は死ぬほど遊びまくって、持ち金を半分にする日にしよう! っていう日?明日5/27は、初代『ドラゴンクエスト』の発売日!なんと、日本記念日協会に「ドラゴンクエストの日」として認定されました! #ドラゴンクエストの日 pic.twitter.com/QCvz81u1Nn
— ドラゴンクエスト宣伝担当 (@DQ_PR) 2018年5月26日
ホイジンガの批判的継承者たるフランスの批評家ロジェ・カイヨワが主著『遊びと人間』で提起した古典的な分類体系を、本書では便宜的に踏襲していく。(省略)
むろん、このカイヨワの主張そのものは、〝未開〟から〝文明〟への素朴な社会進化論や西欧中心主義といった19世紀的価値観の残滓が根強く、現代的な人類学や社会学の学説としてはアナクロかつ粗雑に過ぎるものだ。しかしながら、ホイジンガの遊戯論を具体化して文化や文明の創造作用の機序をモデル化する大枠の作業仮説として、今もって包括性において容易に替わりの見つからない、一定の現象説明能力を有し続けている。
とりわけ、日米ゲームの比較文化論的構造の抽出を必然とする本書の立論においては、章を重ねるごとに「〈模擬(ミミクリ)〉〈眩暈(イリンクス)〉寄りの土俗的な日本ゲーム」対「〈競争(アゴン)〉〈運(アレア)〉寄りの理知的な欧米ゲーム」といったカイヨワ的ステレオタイプが、確かに超時代的に再生産されていくかのような見え方が鮮明化していくはずである。しかもそれは市場競争上の勝敗に基づく興亡のストーリーテリングをも伴うものでもあるため、社会ダーウィニズム的あるいは「文明の衝突(サミュエル・ハンチントン)」的な優勝劣敗のニュアンスが、必要以上に伝わりすぎてしまうかもしれない。そうした通俗単純化の危惧を甘んじて受け入れつつも、ひとまずは後進の議論の共有基盤となりうるデジタルゲームの史観形成のための補助線として、批判的に継承し活用していくことにしたい。
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