コメント
> 「日本人のゲームのやり方は禅に通じる」的なところから一気に胡散臭くなる
とは私は全く思わなかった。
この若ゲのいたりを全く胡散臭くない議論として私は読んだから。
①外見が変わっても中身が変わらないもの
②外見も中身も別だけど部外者から見て似て見えるもの
この区別がつかない人が書いた文章だと思った。
例えばこの人に「女にとっての宝塚は、男にとってのプロレスに等しい」とか超面白い事を言っても分かって貰えないだろうな、って感じ。
科学と似非科学もこの人に判別がつくとは思えない。
この記事を書いた人が「こういうのに名前つかないの? 」と言うのであれば、
私は「お前はカブトムシとクワガタの区別が付いていないのに昆虫について"この分類の仕方は間違い"みたいな事を言っている。興味ないなら黙っておけ。」と言うね。
って、ここに書いてもた。ごめんね
いやしかし、「ゼビウス」について聞いたなら「ドルアーガの塔」についても聞いて欲しかった。
私は「ドルアーガの塔」は革命的だと思ってる。
ゲームの外のメタ世界=現実での情報交換が前提として作られているなんて、とんでもないアイデアだよ!と私は思うんだよね。
とは私は全く思わなかった。
この若ゲのいたりを全く胡散臭くない議論として私は読んだから。
①外見が変わっても中身が変わらないもの
②外見も中身も別だけど部外者から見て似て見えるもの
この区別がつかない人が書いた文章だと思った。
例えばこの人に「女にとっての宝塚は、男にとってのプロレスに等しい」とか超面白い事を言っても分かって貰えないだろうな、って感じ。
科学と似非科学もこの人に判別がつくとは思えない。
この記事を書いた人が「こういうのに名前つかないの? 」と言うのであれば、
私は「お前はカブトムシとクワガタの区別が付いていないのに昆虫について"この分類の仕方は間違い"みたいな事を言っている。興味ないなら黙っておけ。」と言うね。
って、ここに書いてもた。ごめんね
いやしかし、「ゼビウス」について聞いたなら「ドルアーガの塔」についても聞いて欲しかった。
私は「ドルアーガの塔」は革命的だと思ってる。
ゲームの外のメタ世界=現実での情報交換が前提として作られているなんて、とんでもないアイデアだよ!と私は思うんだよね。
そうそう「自分が決めたゴールに到達出来たらやめる」って、このサイトでもあった企画じゃん。
「自分ルール」みたいな、なんて名前だったか?
・シューティングは1機やられたらそこで終わり
・なんとかかんとかで、腕立てとか今日はもう寝る
みたいな。
それを言ってるのに。「道」は。
「自分ルール」みたいな、なんて名前だったか?
・シューティングは1機やられたらそこで終わり
・なんとかかんとかで、腕立てとか今日はもう寝る
みたいな。
それを言ってるのに。「道」は。
超個人的なこと言うと、遠藤さん「ゲームの神様」ってブログをされてますよね。何年前だか、私はそれ見つけたとき、正直ちょっと引いてしまったんですよ。そう呼ばれていたのは知ってましたが、自分から、、、ねえ、、、自称神様ですよ? 私は宗教とか神話とか大好きなので、神様については個人的な思いが強いのかもしれません。どうしても一歩引いて見てしまうんですよ、、、
もうちょっと深く読み返して来ますね!
もうちょっと深く読み返して来ますね!
日本のゲームの捉え方って、家族のゲームって感じ じゃなかったっけか。やっぱそういう印象はあるんだなあ。他者とやる、見知らぬ誰かとやるってのも、家族に引き入れてく感じはあるんだなあ。
遠藤さんの漫画、自分的には大変読み応えのあるものでした。
ここの管理人さんは否定的みたいですケドねw
ここの管理人さんは否定的みたいですケドねw
「自分が決めたゴールに到達出来たらやめる」見付けた!
これが「道」だね。
「自分的GAMEOVER」
私はこれをすぐに思ったよ。
みんな楽しんでこれをやってるよね。
これが「道」だね。
「自分的GAMEOVER」
私はこれをすぐに思ったよ。
みんな楽しんでこれをやってるよね。
正座しながら読み返して来ました。
たしかに自分的GAMEOVERと通じるものがあると思いました。ラスボス手前でゲームをやめるってのも心当たりあるし、非常に興味深い内容でした。ただ、それが日本人特有かって言われると、もう少し慎重になる必要があるんじゃないでしょうか。やり込みプレイなんてときどきニュースになってますけど、ほとんど海外の方じゃないですか。
そして私がもうひとつ解せないのは、やはり、遠藤さんほどのクリエイターが、なぜクリエイターとしてではなく、研究者として日本のゲームを研究するのかということです。別にクリエイターのまま研究して、作品として研究成果を発表すればいいじゃないですか。そのメソッドを共有したいということなんでしょうか。日本人だけで?いまいちわかりません。その引き金となった出来事、息子の言葉、漫画の中で語られていましたよね。日本のゲームを研究してメソッドをつくると仰ってました。日本のゲームが海外のゲームに負けるわけがないって。日本のゲーム?ここもよくわかりません。日本のゲームの定義って?日本人がつくったゲームということでしょうか。だとしたら、そもそも負けてないですよね?宮本さんとか世界で活躍されているクリエイターさんはたくさんいますし、世界で評価されてるゲームなんてたくさんあるじゃないですか。プレステもスイッチも売れてますよね。なぜ日本のゲームが負けてるのでしょうか。そしてなぜ日本のゲームしか研究対象じゃないのでしょうか。いまいち私にはわからんのです。語弊を恐れずにいうなら氏が「日本のゲーム」にこだわるのも、ゲームに「日本人の精神論」を持ちだすのも、もしかしたら海外コンプレックス?のようなものの裏返しなのかなって思えてしまうのですよ。氏がおっしゃってることは大変、興味深いですし、ロボ平さんおっしゃる通り、僭越ながら私の提唱する「自分的GAME OVER」とも通じるところがありますが、なぜ、そこから日本人の精神云々になってしまうのか、ちょっと論理が極端じゃありませんか?唐突すぎるのですよ。
この漫画はそんな一連の唐突さをまったく説明しないまま、自己賛美にあふれていて、なんか、やっぱり一歩引いてしまうのですよ。
たしかに自分的GAMEOVERと通じるものがあると思いました。ラスボス手前でゲームをやめるってのも心当たりあるし、非常に興味深い内容でした。ただ、それが日本人特有かって言われると、もう少し慎重になる必要があるんじゃないでしょうか。やり込みプレイなんてときどきニュースになってますけど、ほとんど海外の方じゃないですか。
そして私がもうひとつ解せないのは、やはり、遠藤さんほどのクリエイターが、なぜクリエイターとしてではなく、研究者として日本のゲームを研究するのかということです。別にクリエイターのまま研究して、作品として研究成果を発表すればいいじゃないですか。そのメソッドを共有したいということなんでしょうか。日本人だけで?いまいちわかりません。その引き金となった出来事、息子の言葉、漫画の中で語られていましたよね。日本のゲームを研究してメソッドをつくると仰ってました。日本のゲームが海外のゲームに負けるわけがないって。日本のゲーム?ここもよくわかりません。日本のゲームの定義って?日本人がつくったゲームということでしょうか。だとしたら、そもそも負けてないですよね?宮本さんとか世界で活躍されているクリエイターさんはたくさんいますし、世界で評価されてるゲームなんてたくさんあるじゃないですか。プレステもスイッチも売れてますよね。なぜ日本のゲームが負けてるのでしょうか。そしてなぜ日本のゲームしか研究対象じゃないのでしょうか。いまいち私にはわからんのです。語弊を恐れずにいうなら氏が「日本のゲーム」にこだわるのも、ゲームに「日本人の精神論」を持ちだすのも、もしかしたら海外コンプレックス?のようなものの裏返しなのかなって思えてしまうのですよ。氏がおっしゃってることは大変、興味深いですし、ロボ平さんおっしゃる通り、僭越ながら私の提唱する「自分的GAME OVER」とも通じるところがありますが、なぜ、そこから日本人の精神云々になってしまうのか、ちょっと論理が極端じゃありませんか?唐突すぎるのですよ。
この漫画はそんな一連の唐突さをまったく説明しないまま、自己賛美にあふれていて、なんか、やっぱり一歩引いてしまうのですよ。
絵も音楽もできた根拠づけが通知表のオール5って…そのくだりいるかな…??
自己愛は強い方なんでしょうね
自己愛は強い方なんでしょうね
オロチさん、返信ありがとうです。先ずこれ。
> 遠藤さんほどのクリエイターが、なぜクリエイターとしてではなく、研究者として日本のゲームを研究するのかということです。
ですが、私は神様ブログの記事を見て理解しました。
「2015-06-13 22:01:21 なぜ遠藤が研究者を目指したのか?」
ここに書かれている内容で私は納得でした。
なので私は真剣に学術的成果を期待しています。
それと、遠藤さんは「求められるものを提供するのが好き」なエンターティナー的性格があるんじゃないのかなぁと思いました。
で、ブログのタイトルが「ゲームの神様」を理解しました。
それと、遠藤さんの言ってる事は私は分かります。
ゲームの学術的な研究に今はまだ日本人のゲームの楽しみ方が評価される基準が無いんだと思います。
そして、日本人には他に無い「自分的GAME OVER」なゲームの楽しみ方があると見つけたので興奮したんでしょう。
私もロードランナーの自作面を作ってたりしたので、海外と日本とゲームの楽しみ方が違うなーとは感じてました。
マリオメーカーがどんなタイプの面であふれるかもちょっと予測してたりしました。
飛躍しますが、そんな事から私は「自分的GAME OVER」なゲームの楽しみ方はクリエイター向けの視点となるかなーと思っていて、この学術的な評価が非常に楽しみですね。
日本人の精神がウンヌンは私は飛躍とは思わないです。
例えば、数学の岡潔(きよし)先生も、日本情緒でラテン文化で掘りつくされた数学界に新しい切り口を提供出来ると、それを実践しましたし^^
ゲーム研究でもそれが起きる事を楽しみです。
(なんだか飛躍の多い文章ですが)
> 遠藤さんほどのクリエイターが、なぜクリエイターとしてではなく、研究者として日本のゲームを研究するのかということです。
ですが、私は神様ブログの記事を見て理解しました。
「2015-06-13 22:01:21 なぜ遠藤が研究者を目指したのか?」
ここに書かれている内容で私は納得でした。
なので私は真剣に学術的成果を期待しています。
それと、遠藤さんは「求められるものを提供するのが好き」なエンターティナー的性格があるんじゃないのかなぁと思いました。
で、ブログのタイトルが「ゲームの神様」を理解しました。
それと、遠藤さんの言ってる事は私は分かります。
ゲームの学術的な研究に今はまだ日本人のゲームの楽しみ方が評価される基準が無いんだと思います。
そして、日本人には他に無い「自分的GAME OVER」なゲームの楽しみ方があると見つけたので興奮したんでしょう。
私もロードランナーの自作面を作ってたりしたので、海外と日本とゲームの楽しみ方が違うなーとは感じてました。
マリオメーカーがどんなタイプの面であふれるかもちょっと予測してたりしました。
飛躍しますが、そんな事から私は「自分的GAME OVER」なゲームの楽しみ方はクリエイター向けの視点となるかなーと思っていて、この学術的な評価が非常に楽しみですね。
日本人の精神がウンヌンは私は飛躍とは思わないです。
例えば、数学の岡潔(きよし)先生も、日本情緒でラテン文化で掘りつくされた数学界に新しい切り口を提供出来ると、それを実践しましたし^^
ゲーム研究でもそれが起きる事を楽しみです。
(なんだか飛躍の多い文章ですが)
なるほど。遠藤さんの研究というのはゲームの世界を岡潔先生のいうところの情緒的な感覚でもって研究しようという試みだったのですか。数学に限らず学問の世界はもう長いこと、西洋的な考え方が支配してますからね。日本人には日本人の「世界の捉え方」がある。日本人が古来から培っていた価値観でもって世界を考えたっていいと言ったのは誰だったか忘れてしまいましたが、そんな言葉を思い出しました。少し納得できた気がします。
岡潔先生といえば著書「春宵十話」の中で、クリフォードの定理について「神秘性が失われるから」という理由でわざと証明してなかった、みたいなエピソードがありました。遠藤さんに言わせればそれこそ「残心」ということになるんでしょうけど、それはあくまでも「通じるものがある」ってだけの話で、それだけで日本人ゲーマー=求道者と結論づけるのは、もう少し深い考察があってもよいかと思います。通じるものがあるだけでいいなら、ゲーマー=数学者ということにもなってしまいますからね^^
この漫画では、ページ数の問題もあると思いますが、?マークが浮かんでしまう私のような読者とは対称的に、受け手である田中氏がまるで通販番組のタレントみたいに呑み込みが良すぎて、「そうか!」「だからそうなんだ!」とポンポン話が進んでいくんですよね。そういうところも胡散臭いと形容されてしまう原因ではなかったかと考えます。本腰入れてこのテーマを漫画で描こうとしたら、それこそ何十ページ何百ページとなるでしょうから。そこは私も仕方ない側面があったと思いますよ。
この漫画では、ページ数の問題もあると思いますが、?マークが浮かんでしまう私のような読者とは対称的に、受け手である田中氏がまるで通販番組のタレントみたいに呑み込みが良すぎて、「そうか!」「だからそうなんだ!」とポンポン話が進んでいくんですよね。そういうところも胡散臭いと形容されてしまう原因ではなかったかと考えます。本腰入れてこのテーマを漫画で描こうとしたら、それこそ何十ページ何百ページとなるでしょうから。そこは私も仕方ない側面があったと思いますよ。
まあ本来は日本人とゲームみたいなところの研究をもっと他の研究者も含めて、進めてもいいのかもしれない。
ただまあ個人で進めた結果の結論、仮定なんだろうとは思うが。
ただまあ個人で進めた結果の結論、仮定なんだろうとは思うが。
日本人とゲームというテーマ自体はすばらしいと思うし、僭越ながら私も過去にはレトロゲームと水墨画を比較したりしてましたから、在野として研究を続けて行きたいですね。
私も子供の頃、バトミントンや卓球をした時、相手を打ち負かすよりも息を合わせてラリーを続けような遊び方を好みました。
つまり、これは「残心」だったのだなぁと今になって思います^^
つまり、これは「残心」だったのだなぁと今になって思います^^