◆Amazonの1円本◆ 先日の日曜日、子どものサッカーを見に行った。
試合と試合の間にけっこう待ち時間があるのだが、その間、他のママ友たちと気さくに喋っていられるほど私は気さくじゃないのだ。むしろ滅多に来ないレアキャラである。かといってスマホをいじってるわけにもいかず、じゃあ潔く本でも読もうかと思って、たまたま本棚から手に取ったのが1998年発行。麻倉怜士(著)「
ソニーの革命児たち」だった。

なんとこれ1円だったのですよ。(送料別)
プレステとか中途半端に古い時代のゲーム業界の本は
Amazonで1円で売ってることが多いのだ。私はこういう中途半端で誰も読んでないような本をあえて読むのが大好きである。プレステを題材にした書籍といえば、他に2008年発行。西田宗千佳(著)「美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」や、2012年発行。「漂流するソニーのDNA プレイステーションで世界と戦った男たち」等が挙げられる。


これらの本についてまた機会を改めて紹介するにしよう。
◆なぜ、こんなものを、、、◆ さて本題だ。本書「ソニーの革命児たち」はプレステの生みの親・久夛良木(くたらぎ)健氏を中心としたソニー側から見たプレステ誕生物語であり、言うまでもなく
ソニー側の視点で描かれていることに注意を払いたい。その中で、私が注目したのは、40P「任天堂への売り込みに奔走」の冒頭の一節である。
「なぜ、こんなものを採用したんだろう」
これは任天堂のとある製品について漏らした久夛良木の一言とされる。そう、1986年に鳴り物入りで登場した
「ディスクシステム」のことだ。

久夛良木は入社当時、デジタル技術を毛嫌いするソニーの古い体質に馴染めず、どちらかというと「はみ出し者」扱いをされながらも、液晶ピークレベルメーターや2インチフロッピーなどを開発。実績をつみながら「これからはコンピュータの時代が来る」と、同僚や先輩方にデジタル技術の重要性を説いて回っていたそうだ。彼はファミコンを出した任天堂にも注目しており「ソニーもゲーム機を出すべきだ」と力説することもあったらしいが、社内では誰も相手にしてくれなかったという、、、
そんなある日、任天堂が大々的に発表したのがディスクシステムだった。彼はその性能を見て、以下のように語っている。
わずか300回転のディスクで、容量もたった64キロバイト。ランダムアクセスもできないもので、なぜこれを発売したのか理解できなかった。我々の開発した2インチフロッピーは、3600回転で1メガバイトの容量です。(略)任天堂は、こんないい技術があるのを知らないから、ディスクシステムなんか使ってるんだと思いましたよ。
細かい数字に多少見解の相違があるようだがそれは重要なことではない。要するに久夛良木は
「自分たちの技術のほうが優れている」と言いたかったのだ。そんな彼が次にどういう行動をとったのかお分かりだろう。「行動力の化身」と書いて「くたらぎ」と読む。なんと彼は一も二もなく京都へ乗り込んだのである。
◆風桶理論◆ 結局、最初のアプローチは実らなかったようだが、その後、彼が任天堂へ売り込みをかけたPCM音源システムが御眼鏡にかない商談が成立。晴れてスーパーファミコンに採用されたのだった。ちなみにこの件で本書は
「ファミコンはFM音源だった」と記載しており、「聴き比べ対決までした」と書き散らしているとAmazonの評価欄にて指摘されているのを見たが、これは(話の流れから)ディスクシステムのことを指しているのだろう。
※ ディスクシステムの音源については「FM音源ではない説」が根強いものの、現在では「FM音源の一種といえる」という見解が再び支持されている。詳しくはググってちょ。
出典:スーパーファミコンに積まれた制御用チップ(Wikipedia) そんな久夛良木の猛烈アタックからはじまったソニーと任天堂の蜜月関係は、やがて「SFC専用CD-ROM計画」として結実する、、、はずだった。あえて経緯は詳しく書かないが、なんやかんやで結局、この計画は頓挫。いい意味で諦めがわるかったソニーが単独でゲーム機を開発することになったことはあまりにも有名な話。(
※)
――1994年12月、プレイステーションの誕生である。

「風が吹けば桶屋が儲かる」とはよく言ったものだが、色んな意味でゲーム史上最大の奇跡みたいな存在であるディスクシステムが、久夛良木に
「自分たちの技術を売り込める」と商機を感じさせるくらいの性能だったことが、任天堂へ営業に行くきっかけをつくり、それがなかったらPCM音源がスーパーファミコンに採用されることもなかったかもしれない。当然、そのつながりで生まれた「SFC専用CD-ROM計画」もなかったであろう。いや、これに関しては実際に
"なかったことになった”のだけども(ああ、ややこしい)、そんな挫折がなければ、ソニーが単独でゲーム機を出すこともなかったわけで、、、
つまり、プレイステーションが誕生したのは
ディスクシステムがあんな感じだったおかげだと捉えるならば、何とも“歴史の妙”だなあと思ったという話。あくまでも私のささやかな読書感想文である。
、、、おっと、そろそろ息子の試合が始まるようだ。今日はこのへんで本を閉じることにしよう。続きはまた別の機会にでも。
麻倉 怜士
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|  | SFC互換機版プレイステーションが実現していれば、ファミコンでいうツインファミコン的なポジションになるはずだったみたいやね! |
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