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嘘から始まった「スウェーデンの任天堂」奇跡の物語 ~北欧ゲーム市場を開拓した一介の電気店~

 これは――
 スウェーデンの青年がついた嘘から始まった物語である。

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【目次】
1.運命の出会い
2.行動力と無計画性
3.日本人の商談ルール
4、G&Wバブルの崩壊
5.北欧ゲーム市場の開拓
6.「クラブニンテンドー」の創設
7.世界で唯一の任天堂支店

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 スウェーデンは北欧スカンジナビア半島の中央に位置する人口1000万人弱の王国。
 首都はストックホルム。ノーベル賞やイブラヒモビッチで知られる。



◆運命の出会い◆

 1981年初頭、シンガポールへ訪れていたオヴェ・バーグステン(Owe Bergsten)は、クリスマスシーズンに向けて輸入販売できそうな製品を探していた。彼は母国で電気店を営んでいる若きスウェーデン人である。野望に満ちた彼は輸入販売で一山当てようと画策していたが、とくに何の収穫もないまま帰国の日となっていた。するとフライトまでの空き時間、何気なく空港内を歩いていたらショーウィンドウの中に「Fire(RC-04)」という電子ゲーム機を発見する。

 まさかこれが運命の出会いになろうとは、、、

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image:Game & Watch: Fire (Silver Series) (1980 Nintendo) by youtube

 バーグステンがこの電子ゲーム機を購入したのはまったくの気まぐれだった。フライト中の手持ちぶさたを解消できればそれで御の字だったのだ。機内のシートに座ると彼はさっそく「Fire」の電源を入れた。燃え盛るビルから落下する小さな人間を消防士たちがピコピコと救助しはじめる。それから何時間が経っただろう。飛行機は予期せぬ濃霧によって迂回を余儀なくされた。予定時刻よりもずいぶんと遅れてスウェーデンの空港に到着したのだが、なんと彼の操作する消防士たちはその間ずっと避難者を救助しつづけていたため、彼はそれに気付かなかったのだ。

 いったい誰がこんな怖ろしく楽しいものをつくったのだろう。改めて電子ゲーム機をよく観察してみるとGame&Watch、Nintendo、Made in Japan、答えはそこかしこに刻まれてた。社に戻ったバーグステンが任天堂のテレックス番号を入手して一も二もなくメッセージを送ったのは言うまでもない。「貴社の製品に興味があります」。しかしバーグステンのテレックスにようやく反応が返ってきたのは1ヶ月後、3回目のことだった。北欧の見知らぬ国から届いたテレックスが疑われても無理はない。まさに三顧の礼である。任天堂はやっと重い腰を上げ、彼が営む会社の実態を説明するよう求めてきたのだった。



◆行動力と無計画性◆

 バーグステンはここで勇者となる。あろうことか、彼は自分が営む電気店を実際よりも遙かに大きい規模であるように任天堂へ説明してしまったのだ。

 どういう訳か信用されたバーグステンはひとまず250台のゲームウオッチ(以下G&W)を特別に輸入販売させてもらえることとなった。しかしここからが本当の苦難だった。なぜならそれらは彼の予想に反しまったく売れなかったからだ。値段が少々高かったこともあるが、そもそもスウェーデンには電子ゲーム機を流通させるような市場そのものがなかったのだ。彼の友人が香港から新しいタイプのG&Wを持って帰って来たのはちょうどその頃だった。 それは最初のものより明らかにスクリーンが大きく、見栄えが良く、高級感にあふれていた。それを見た彼は落胆するどころかギラギラと目を輝かせ自分の見る目が間違ってなかったことを確信するのだった。このどこまでも前向きな男よ。


image:「FIRE」のワイドスクリーン版。画面がカラーになるなど明らかに改良されているのがわかる。 by 駿河屋

 バーグステンはまだビジネス的にはまったく成功してなかったものの、居ても立っても居られず飛行機のエコノミーチケットを取っていた。日本へ飛び立ち、任天堂を訪ねるためである。彼は日本語も英語も話せなかったが、そんなことがパスポートを置く理由にはならなかったのだ。しかし試練はフライト当日にやってきた。バーグステンは意気揚々と日本行きの飛行機に乗り込んだものの、エンジントラブルによってその機体は1mmも動かなかったのだ。仕方なくそのまま空港で一泊することになってしまった。それは日本滞在時間が削られることを意味する。彼は考えあぐねた末、東京支社への訪問をあきらめ京都へ直行することにした。

 日本に到着したのは木曜日の夜のことだった。金曜日の朝になって、バーグステンはさっそく任天堂へ電話をかけた。すると留守番電話へつながったのだが、何を言ってるのかさっぱりわからない。そこでホテルの従業員に翻訳してくれるようお願いすると、その従業員は信じられないことを口走ったのだ。

 「今日は祝日なので会社はやってないと言っています」

 なんということだ。このままでは誰にも会えずゲームオーバーだ。バーグステンは最後の手段として航空会社に帰国便をずらしてもらえるよう交渉することにした。出発の便が遅れたこと、それが自分のせいではないことを必死で訴えた。すると交渉はうまくいった。彼はモヤモヤしながら週末を過ごし、月曜日になんとか任天堂へアポを取ったのだった。



◆日本人の商談ルール◆

 バーグステンは任天堂へ訪問する前に「日本のビジネスマンと商談するための4つのルール」を友人から教えてもらっていた。すなわち以下である。

1.お土産を持参する
2.しつこくしない
3.昼食を共にする
4.偉いひととは会えないと思え

 バーグステンはルール1に基づき、持参したクリスタルの灰皿を担当者に渡すと、さっそくスウェーデンにおける販売権を求め、それからスカンジナビア全域を、あわよくばヨーロッパのすべての販売権を求めた。任天堂はとくに反応を示さない。なぜだろう、、、そうか。彼は慌ててルール2を思い出し、一転、スウェーデンの歴史や文化について話しはじめた。すると作戦がうまくいったのか、任天堂の担当者からランチに誘われたのだった。バーグステンは何食わぬ顔で「もちろんです」と答えた。さらに幸運なことにその遅いランチはディナーへと引き継がれ彼らは共に酒を酌み交わした。すると任天堂の担当者がとうとう口を開いたのだ。

 「OK、スウェーデンはあなたのものです」

 バーグステンはついに任天堂と固い握手を交わしたのである。しかし後日、彼は再び難題を突き付けられることになる。帰国後、任天堂からG&Wの輸入販売に関する具体的な話があったのだが、その条件が「最小注文10,000台」というとんでもない内容だったのだ。250台を売るのですらヒーヒー言ってたのに1万台とは、ぐぅの音も出ない。また、それを輸入するための代金は日本円にして約1500万円以上の大金だった。この時代、まだファミコンは存在してないが、最初に大口注文させるやり口は、のちのファミコンのロヤリティ商法を想起させる。しかしバーグステンは不屈の男だった。何とか資金をかきあつめた彼はそれを3セット注文したのだ。もう一度言おう。彼はそれを3万台注文したのだ。このイカかれたナイスガイ。

 バーグステンは消費者にさえリーチすれば、G&Wは必ず売れると確信していたのである。むしろ問題はディーラーだったが、すでに信頼できる時計の小売店ディーラーを見つけていたのだった。



◆G&Wバブルの崩壊◆

 そして迎えた1981年のクリスマスシーズン。3万台のG&Wを仕入れたバーグステンに大きな誤算が待っていた。なんと彼の仕入れた3万台は瞬く間に売り切れてしまったのだ。しかもそれは一時的なブームに終わらず、年が明けた1982年になっても売れ続け、最初の3か月で合計18万台ものG&Wが跳ぶように売れていった。それはバーグステンが最初に賭けに出た数字の実に6倍であった。

 82年6月、バーグステンは再び来日。目的はマルチスクリーンを採用したDK-52だ。かの宮本茂がつくった『ドンキーコング』の電子ゲームが売れない訳がない。彼はありったけの資金を積んでそれをありったけ仕入れたのだった。

 ここからはさらに破竹の勢いである。



 結果的にいうとバーグステンは1983年までにスウェーデンで170万台ものG&Wを販売した。1983年時点でスウェーデンの人口は約830万人だったことを考えると、これは驚異的な数字だ。さらに細かく見ると主なターゲット層は7~12歳の男子であり、 スウェーデンの国勢調査によると、当時その世代の少年は約33万人いたので、彼らは一人5台ものG&Wを持っていた計算になるのである。これは喜ぶべき事態ではなかった。むしろ明らかな飽和状態だ。案の定、彼は83年4月には膨大な在庫を抱えることになった。ついにG&Wバブルが弾けたのだ。

 1983年といえば日本では7月にあのファミコンが発売される年である。一方、ヨーロッパのテレビゲーム市場は80年代初頭にはとっくに崩壊していた。子どもたちの関心はパソコンに向けられていたのだ。本家、ファミコンですら爆発的ブームになるのは発売の数年後のことである。しかしバーグステンはそんな不況期においても任天堂と連絡をとりつづけた。支払いを滞らせたこともない。83年の8月には三度来日を果たし、初めてファミコンの実物を目にした。彼はすぐに確信するのだ。ファミコンは第二のG&Wになると、、、



◆北欧ゲーム市場の開拓◆

 是非、ヨーロッパでファミコンを販売させてほしい。バーグステンは必死に懇願したが、任天堂は前年に起きたATARIショックの二の舞になるのを警戒してなかなか首を縦に振らなかった。しかし彼はその後もことあるごとに任天堂へ訪問しつづけ、懇願しつづけた。1984年には『スーパーマリオブラザーズ』のプロトタイプ版を見せられたが、いたずらに期待で胸を焦がすだけだった。ようやく願いが届いたのは翌85年のこと。何度目かの訪問のとき彼は任天堂から「ヨーロッパで唯一興味があるのはあなたの国です」という思わせぶりな言葉を引き出すと共に、電圧と出力方式に改造が施された日本のファミコン本体をプレゼントされたのだ。スウェーデンに帰った彼はスタッフたちと夢中になってプレイした。そして改めて確信したのだ。ファミコンは死にかけたヨーロッパのゲーム市場を復活させる劇薬になる。必ず!



 間もなく、バーグステンの積年の願いは叶った。ファミコンをPAL出力へ改造して販売する許可を任天堂から得たのだ。その数1万台。おそらく心情的にはそれでも足りなさ過ぎたであろう。彼は100万台くらい注文したかったはずだ。しかしそこに想定外の悪魔が舞い降りるのだった。

 1万台の注文が突然キャンセルされたのだ。

 理由は任天堂が方針を変えたためである。バーグステンはあくまでも日本のファミコンとの互換性を望み、一時は注文段階まで進んだのにもかかわらず、その約束は儚く消え失せたのだ。今思えばこの判断は、かつてスーパーファミコン専用CD-ROMドライブとして開発されていた「プレイステーション」をめぐりSONYを牽制した任天堂のムーブを想起させる。ただし実際のところ、この気まぐれな親分が何を考えていたかは誰にもわからない。ひとつだけ確実なことが言えるとしたら、最終的に任天堂が採用したのはビデオデッキ型のファミコンだったということだった。Nintendo Entertainment System(NES)の誕生である。


 ※欧州版NESのパッケージ

 NESは1985年10月にアメリカで、1986年9月にヨーロッパでリリースされた海外向けファミコンである。残念ながら日本のファミコンとの直接的な互換性はない。さらにヨーロッパのNESは地域によってAタイプとBタイプに別けられ、Aタイプの販売は大手玩具メーカーのマテル社が請け負うことになった。そしてバーグステンの会社はBタイプを売るその他大勢のモブ代理店のひとつに過ぎないポジションに甘んじることとなったのだ。

 しかしながら、ここまで読み進めておいて、もはや、我らがバーグステンがそんなことでめげる男だと思ってる読者はいないだろう。彼はそのような処遇を受けながらも任天堂を信じつづけ、大型トイストアを足掛かりに販路を広げることに成功。結果的に北欧だけで80万台ものNESを売ったのだった。その数字はヨーロッパが巨大ゲーム市場へ化ける可能性を秘めていることを任天堂へ示すには充分なインパクトだった。



◆「クラブニンテンドー」の創設◆

 そろそろバーグステンの知られざる功績として「クラブニンテンドー」の創設を挙げておかなければなるまい。

 1986年9月、NESがヨーロッパへ進出し、次第に人気が出てくると、彼の会社は在庫の確保に苦労するようになっていた。そこでゲームを楽しみにしている子たちへ、新作や攻略の情報を提供しようとひねり出したのが任天堂の会員制クラブをつくることだったのである。メンバーになると会員カードが発行され、毎月、ゲームに関する情報が満載された会報誌が届けられた。すると子どもたちは競うように会員カードを持つようになり、全盛期のクラブメンバーは45万人を超えた。この数字は当時のスウェーデンの人口の約5%である。

 会員制クラブといえば、アメリカのNintendo Power誌を想起する任天堂ファンもいるだろう。

NintendoPower01.jpg

 1988年に創刊されたゲーム雑誌「Nintendo Power」は当初、Nintendo of America(NOA)が創設した会員制クラブの会報誌だったのだ。それはNOAのビジネス戦略の成功例としてあまりにも有名である。一時期は200万部を越える発行部数を誇った同誌は、アメリカのゲーム文化を語る上で欠かせない存在となったのだが、この戦略が北欧の小さな代理店の成功例をお手本にしたことまで言及する人間は少ない。

 ちなみに日本の「クラブニンテンドー」は2003年にようやく発足され、10年以上つづくも2015年にはサービスが終了してしまった。バーグステンの功績が日本でまったく知られてないのは、おそらくそのような文化的背景も要因なのであろう。



◆世界で唯一の任天堂支店◆

 逆に言えば任天堂だけは注意深くバーグステンの手腕を見届けていたということになる。もはや彼の会社は任天堂にとって特別な存在になっていたのだ。1990年に設立されたNintendo of Europe(NOE)の業務内容からも、その事実をうかがい知ることができる。NOEはヨーロッパ全体の流通を管理しているが、その範囲にスウェーデンを含むスカンジナビア半島は含まれてないのだ。それが何を意味するかというと、スカンジナビア半島の流通事業はバーグステンの会社に引き継がれたということだ。

 もともと一介の電気屋に過ぎなかった会社が、今や世界的大企業になった任天堂の公式代理店になってしまったことが「奇跡」でなかったら何なのか!

 Bergsala(バーグサラ)社。それが彼の会社の名前だ。おそらくほとんどの日本人は聞いたことすらないだろう。驚くべきことに同社は現在、世界で唯一の任天堂が直接支配しない支店であり、正式な「任天堂スウェーデン」なのだ。そのグループ規模はデンマークを含む北欧地域のゲーム市場全般を管理するほどである。


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 画像はBergsala社のホームページの様子である。

 NINTENDOのロゴが掲げられたお世辞にも大きいとは言えない建物の前には会社設立40周年のとき建立された土管のモニュメントがそびえている。() 同社のロビーはちょっとした任天堂ミュージアムになっており、今まで取り扱った任天堂製品が展示されている他、「Thank you Bergsala」から始まるメッセージとマリオが描かれた宮本茂の直筆サイン入り3DSや()、G&Wの山に囲まれる若きバーグステンの姿が誇らしげに飾られている。


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image:nostalgi.forum24.se

 この微笑ましい光景が彼のついた「嘘」から始まったことを知らないスウェーデン人はひとりもいない。ヨーロッパで唯一、任天堂と固い握手をした男「オヴェ・バーグステンの成功譚」はこれからも同国で語りつがれていくだろう。

 (了)




orotima-ku1.png日本人の商談ルール4とは何だったのか、、、



参考サイト
Bergsala
Bergsala AB
Bergsala - Wikipedia
Opportunity Sweden
The Lie That Helped Build Nintendo - IGN
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コメント

1600人はバーグサラ社じゃなくて2009年当時の任天堂の社員数では?

ご指摘助かります。修正しました!

普通にアンビリバボー辺りで紹介されても良い気がするが…。(スポンサーも任天堂だし)

先見の明もさることながら、普通だったら「何だよやってらんねぇよ!」となっても誰も責めないレベルの失敗や任天堂側の対応があったりするのにそれでも食らいついてここまで成し遂げたのは商売魂だけなのか、任天堂の商品に惚れ込んでしまったからなのか…。

任天堂側も良い意味で「この人は本当に真っ直ぐな大馬鹿者だ」と解った(下品な下心がない、本心からビジネスパートナーとしてやっていける相手だと伝わった)からその地域の全権を担うだけの権限まで与えたんだろうなぁ…。

そう考えると考えるより行動せよ!って一見無鉄砲なだけに見えるけどそこに邪な考えなく動く人なら見る人は見てくれるんだなって思う記事ですね。

アンビリーバボー!再現ドラマとかつくってほしいですね。私も調べれば調べるほど彼のファンになりました。決して計画的ではないところが人間味あふれるというか。この話はもっと知られてほしいです。

拝読して、大変感動致しました。
アンビリバボーなどのテレビ番組で取り上げて欲しいですね!

コメントありがとうございます。採用されるかわかりませんがアンビリーバボーのサイトから情報提供してきました^^

誤字を見付けました。

>見せらたが
>45万人を越えた

ありがとうございます。修正しました。
45万人はじっさいに越えてますので、そのままです。

間違えて更新した時間で記事を更新してしまったため、最新記事になってしまいました。まあ、いいか^^

釣本直紀さんは「超える」と「越える」の使い分けについて言及していると思います。
数値の場合は、「超える」が正解なんじゃないかと、私も思います。
他の方だったらこんなこと指摘しませんが、オロチさんは「物書き」でもいらっしゃるので、キッチリされたほうが良いんじゃないかと思いました。

それはそうと、この記事は読み飛ばしていたようで、うっかり?トップに来てくれたおかげで楽しめました。ありがとうございます。

恥ずかしながらきづきませんでした。
修正しました!

オロちゃんニュース!!
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Seach

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