◆かつて存在した謎のページ◆ 先日、とある調べもので、開設して間もない頃の任天堂ホームページを掘っていたところ、トランプの紹介ページに
「ゴニンカントランプ世界選手権大会」なるリンクを見つけました。
出典:1997年頃の任天堂ホームページ「ゴニンカン」 下のリンクバナーが時代を感じさせる クリックすると、ゴニンカンというトランプ競技の由来やルールはもちろん、第3回世界大会の様子や、過去の優勝者の掲載、はたまた
募集要項の掲載までしているではないですか。どうやら任天堂はこの大会を後援していたようなんですね。それにしても自社サイトで参加者を募集するなんてガッツリ関わっていらっしゃる。もう、後援ってレベルじゃねえぞ!
ドラマの匂いがぷんぷんします。さっそく調査してみましょう。
ご存知のように任天堂は花札で創業し、トランプで成長し、ファミコンで大成功した歴史のある会社です。テレビゲームの分野で世界有数の大企業になった現在(2020年)でも麻雀、小倉百人一首、将棋、囲碁など非電源系ゲーム製品の取り扱いをやめてないところに矜持を感じますよね。また、このページが存在した1997年はインターネット黎明期であり、誰もが手探りでウェブサイトの運営をしていました。以上2点の要因から、かつて任天堂ホームページにこのようなコンテンツがあったとしてもおかしくはないのですが、それにしてもゴニンカンて聞き慣れない言葉、、、
そういえば思い出したぞ。その昔、山内社長が私財を投じて京都に建立した百人一首の施設がそんなような名前だったなと思ってググったら
「時雨殿(しぐれでん)」だったし。←最後の「ん」しか合ってねえ!
出典:ゴニンカントランプ世界選手権大会(青森県五所川原市) 調査を進めたところ公式サイトを発見。このゴニンカンなるものは、毎年1月に青森県五所川原市にて世界大会が開催されている
ローカルトランプ競技であることが判明しました。すごいですね。令和の時代になってもやってるんだ。さすがオカルト界隈ではキリストの墓があることで有名な青森やで!←関係ない
◆山内さんとの意外な関係◆ さらに調査を進めると、山内溥元社長について興味深い事実がわかりました。有志の運営する登録式辞典である
任天堂大辞典にて、山内さんは「ゴニンカントランプ協会の
名誉大会長を務めている」と記載されていたのです。一方、Web集合知である
Wikipediaによると「ゴニンカントランプ協会」の
名誉名人だったらしい、、、なるほどちょっと待って。
名人なのか
大会長なのか
どっちなの。その答えは青森がまるごと教えてくれました。情報サイト「まるごと青森」の2005年12月11日付けの記事に、以下のような記述を見つけたのです。
1995年(平成7年)に「第1回ゴニンカン世界選手権大会」が開催されました。名誉大会長には日本で初めてトランプを大量生産した任天堂の山内溥相談役、副大会長には津軽出身の歌手吉幾三さんを担ぎだし、第12回大会は、いよいよ平成18年1月22日(日)に開催されます。
どうやら大会長だったのは事実のようです。しかもあの吉幾三さんが副大会長とは驚きました。この
「担ぎだし」という言葉が、ねぶた祭りを想起させて秀逸ですよね(笑)←いや偶然だろ、、、
一方、名誉名人という情報はどこから来たのでしょう。現在(2020年)のゴニンカントランプ世界選手権大会のサイトにそのような記載は見当たらなかったので、アーカイブを掘ってみたところ、出た、出た、出た。段位認定のページに以下のような記載がありました。

組長ーッッ!!!
任天堂の横が「??」になっているのはおそらく「カッコ株」の文字化けでしょう。さすがに会社名が合ってるか自信がなかったわけではないと思います(笑)
それにしても平成13年ということは2001年か。山内さんの社長在任期間は1949~2002年なので、社長だったときから名誉名人だったのですね。ってことは第12回世界大会の名誉大会長になる前から名人だったのかな。正直、そのあたりはよくわかりませんでした。というのも、ゴニンカントランプ協会が控えめなのか、任天堂サイドの要望なのか、どの年代のページを確認しても
大会長の記載がまったく見当たらないのですよ。過去の大会記録もなぜか第11回で更新が止まっており、肝心の第12回の様子がレポートされてきませんでした。せっかく山内さんほどの超大物を引っ張って来た大会だったのに、なんだか不自然ですよね、、、

そういえば副大会長に担ぎだされたはずの吉幾三さんの名前も見当たりません。世間的には吉さんのネームバリューのほうが高いはずなのに、なぜでしょう。芸能人の名誉職が広告塔目的でないことなんて有り得るのでしょうか、、、
話を戻しましょう。ともかく山内さんは名誉大会長でもあり、名誉名人でもあったわけです。そういった意味では両wikiとも正解だったのですが、記載を分け合っているのはややこしいですよね。さらに事態をややこしくしてるのが
「大会長」という謎のポストですよ。WEB上には、山内さんがゴニンカントランプ
協会のトップをやっていたと誤解してるひともチラホラいました。ドラゴンボールでいう界王の上の
大界王みたいな、会長の上の
大会長みたいな勘違いでもしたのかな(笑)
◆意外なドラマ(ほぼ妄想)◆ さあ、ここからは少しドラマチックな話をしましょう。それは何の気なしに段位認定ページを古い順から眺めていたときのこと。アーカイブの記録に残る2001年からずっと名誉名人が山内さんで、それ以外の段位はおそらく地元の強者が名を連ねていたのですが、2004年に突然、名誉5段として任天堂東京支店長(当時)の
河原和雄さんの名前が浮上していたのですよ。

山内さんから「河原君もゴニンカンどうや」というお誘いがあったのか、それとも「社長がやってらっしゃるなら私も」という敬慕があったのか、名誉と冠されているとはいえいきなり5段になるなんて、そうとうな実力者かもしれません。そんなこといったら山内さんはどうなんだというツッコミが飛んできそうですが、山内さんは囲碁六段の腕をもった
ガチの非電源系ゲーマーでしたからかね。自分に勝てる思考ルーチンを開発するまで任天堂が囲碁ゲームを出すことを許さなかった話は有名です。(結局、いまだに出ず)
SNS上には、とあるライターさんが山内さんへインタビューを申し込んだところ「ゴニンカンで俺に勝ったらインタビューしてもいい」とやんわり断られたという逸話を語っている書き込みもあります(
※)。きっと山内さんもゴニンカンがそうとう強かったに違いありません。
しかし、それから5年後の2010年の段位認定ページを見てみたところ、まさかの事態になっていたのです。こちら↓

なんと河原さん、
名誉名人にまで登りつめてるではありませんか!(笑)
トランプの一競技とはいえ、絶対的カリスマである山内さんと肩を並べるような人物が社内にいらっしゃったとは、任天堂ファンとしては震えるほどの衝撃です。この河原さん、2011年には任天堂を退社されているので(
※)、支店長のときに地味にゴニンカンを頑張ったんでしょう。重役さんですからね。忙しい仕事の合間に腕を磨いたのかもしれません。
ただし、残念なことにこの輝かしい記録は2014~15年以来、段位認定ページから抹消されてしまったのですよ。

おそらく2013年に山内さんが亡くなったので、その影響だと考えられますが、ついでに河原さんの名前まで消しちゃうなんてあんまりじゃないですか。正直、社長の接待のために仕方なく始めたゴニンカンでしたけど(※筆者の想像です)、いつの間にかハマってる自分に気付いちゃってからは毎年、自費でわざわざ青森くんだりしてまで世界大会に参加し(※筆者の想像です)、挙句の果てに名人にまで上り詰めちゃったお方ですよ!(←ここだけは事実)
まあ、自ら辞退されたかもしれませんけどね。いずれにせよ、ファミコン時代は高橋名人をはじめ毛利名人、橋本名人など各メーカーが様々な名人を輩出していましたけども、
任天堂にも名人が2人いたという知見を得たことは、それだけでも白飯三杯くらいイケるくらいの収穫でした。ファミコンの名人ではないけどもね。
◆第12回大会に何があったか◆ それにしても、山内さんを名誉大会長に担ぎ上げるほどの第12回大会(2006年)に何があったのでしょうか。疑問に残りますよね。実は、その答えはすぐに判明しました。2005年末のゴニンカントランプ世界大会のサイトに思いっきり答えが載っていたのです。
出典:2015年頃のゴニンカントランプ世界選手権大会サイト なるほど。ニンテンドーDSソフト
『だれでもアソビ大全』の発売か!
同ソフトが発売されたのは2005年11月3日。世界大会は毎年1月に行われるわけですから、時期的にもバッチリだし、ビジネスが絡んでいたとなれば山内さんの名誉職就任もうなずけます。ゲーム内容を確認してみたところ、ゴニンカンはトリックテイキングというジャンルの中の1つといった扱いでした。非常に複雑な得点計算があり、なかなか骨太なゲームですね。まあ、レビューはまたの機会に譲るとして、それでも念願のゲーム化を果たしたわけですから
マイナー競技としては万々歳の快挙だったのではないでしょうか?

ローカル競技にありがちな
「その地域でしかやってないから世界大会を名乗れる」という理屈で、地元の有志が始めたこの大会も気が付けば2006年で12回を迎え、ただでさえ任天堂が後援していたという、やんごとなきバックボーンがあり、単体物ではないものの念願のゲーム化も果たし、あまつさえ山内さんという表舞台にまったく顔を出さないカリスマ的人物とコラボするという大金星をあげたのですから、これはもう後世に残る功績ですよ。
たとえば『だれでもアソビ大全』に収録されている他の競技でそれぞれに世界大会があるとして、その大会長に任天堂の元社長が就任してましたかって考えればわかりやすい。詳しく調べてませんけどおそらくしてないですよね。その事実だけでもこのゲームソフトにとって
ゴニンカンがどれだけ特別な存在だったのかがわかるんです。また、その逆で公式サイトのトップページに『だれでもアソビ大全』公式サイトへリンクを貼っていた競技はありましたかって考えてもわかりやすいですよね。おそらくどの団体もトップページにDSのゲームソフトのリンクなんて貼ってないんですよ。つまりゴニンカンにとってもこのゲームソフトは特別な存在だったわけです。いわば恋人同士だ。結婚しちまえっ!
それなのにですよ。
運命とはまったくもって残酷なものですよ、、、
実はその2年後、2017年4月19日に続編にあたる『世界のだれでもアソビ大全 Wi-Fi対応』が発売されたのですが、あろうことか
ゴニンカンは収録メンバーから外されてしまったのです。こんな悲しいことってあります?
※ゴニンカンを含む7種類の競技が削除され、新たな7種類の競技が収録された続編 考えられるとしたら、山内さんは2002年に社長職を退いたあと取締役相談役に就いてたのですが、2005年6月に取締役を退任しているんですよね(
※)。そのとき、相談役としての名前は残りました。しかしながら、その後どうなったのかいくら調べてもよくわからなかったんですよ。ということはたぶんこの時点で山内さんは任天堂から離れており、むしろ『だれでもアソビ大全』に
ゴニンカンを入れたのが山内さんの最後の仕事だったのではないかと考えると、何となくしっくり来るわけです。
この謎にいては、Yahoo!ゲームの攻略Q&Aに、私と同じ疑問をすでにもっていた方がいらっしゃったようで(
※)、結局、ハッキリした答えが得られなかった質問者さんは「任天堂へ直撃する」って言ってたので、その後、実行したのか、結果どうだったのか、教えてほしいものです(笑)
◆悲しい結末◆ さて、そんな悲しい出来事を乗り越えて今があるゴニンカンでありますが、なんと先月、2020年1月に開催された第26回世界大会が最後の大会になってしまったようです。陸奥新報 2020年1月20日付けの記事より以下引用。
冬の楽しみを増やそうと1995年に第1回が始まり、県内外から1000人を超える参加者でにぎわっていたが、少子高齢化に伴い参加者は年々減少。初心者の体験コーナーを設けたり、団体戦を6人から3人にしたりと参加しやすいように工夫してきたが、残念ながら今回で幕を閉じることとなった。
出会ったときが別れるとき!
なんと、ゴニンカンの世界大会は今年1月の大会で幕を閉じるとのこと(1月の話なのでコロナは関係ありません)。せっかく知ったのに。興味をもったのに。偶然、この事実にたどりついただけの、ほぼ通りすがりの人間ですけど、いっちょ前に悲しいよ。せめて公式サイトで販売しているゴニンカンの任天堂製オリジナルトランプを購入させて頂きました。

奇跡的に在庫が残っていたとのこと。いやあ嬉しいなあ。ちなみに五所川原商工会議所の担当者さんの話では任天堂への後援依頼はゴニンカン側からのアクションだったらしいです。任天堂は前例がなかったにも関わらず快く引き受けてくれたんだとか。知られざる歴史ですねえ。久しぶりに調べていてワクワクした案件でした。
関連動画:かつて任天堂には名人が2人いた!?
|  | ※こちら2月後半にアップ予定だった記事です |
|
- 関連記事
-