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「ファミコン世代=クソゲーを愛している」という誤解

 私はファミコン現役時代を小学生として過ごした、いわゆるギリギリ最後の世代でありまして、本格的にファミコンを集めだしたのはそれよりも、ずっとあとの時代。西暦でいうと1990年代中頃なんですよね。当時は、まさにファミコン氷河期でしたから、ファミコンソフトなど一瞥(いちべつ)もされません。地元ゲームショップ、レンタルビデオショップ、ディスカウントショップなど様々なお店で、それこそ、山積みにされていたわけですよ。おいおい、またおっさんの「昔は安かった話」かと眉をひそめた方は安心してください。そんな話をするつもりは1mmもございません。現在でいうDSとかPS3ぐらいのポジションだったということが言いたいだけです。

 ただし、ひとつだけ決定的にちがうところがありました。それは時代背景なんですよね。当時は現在ほど「レトロゲームを遊ぶ」という行為が理解されてなかった時代でしたから、たとえば大量のファミコンソフトをレジへもっていくじゃないですか。すると店員さんにガッツリ白い目で見られましたし、とある個人店舗では「今どき、こんなもの買うなんて奇特(本来の意味で)な方だ」と思いっきり皮肉を言われたこともあります。

 そのような時代背景もあり、当時、ファミコンソフトのゲームとしての評価は実体以上に低くかったのです。ゲーム産業もイケイケで、皆、未来しか見てませんでしたからね。したがって、時代に逆行してファミコンを集めて楽しんでいるやつなんて、ごく少数の物好きであり、クソゲー愛好家のレッテルを貼られるのが関の山でした。(もしかしたら現在、底値のゲーム集めてるコレクターさんならばシンパシィ感じてくれるかな)

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※スクリーンショット

 だったら迎えにいってやろうじゃねえかということで、私がクソゲー愛好家を名乗り「オロチのクソゲーな日々」というWebページをはじめたのが1997年のことです。Webページとしてはわりと早いほうでしたが、すでに同志と呼べる方々がいらっしゃって、小さなコミュニティのようなものがいくつかあったんですよね。だから、少なくともそんな私が思う「クソゲーを愛でる文化」ってのは、ファミコン現役時代に生まれたものではなく、1990年代に誰ひとり見向きもしなかったファミコンを楽しんでいた、ごく少数の紳士たちが自分たちの嗜好を正当化するかのように始めた典型的なカウンターカルチャーだったわけです。あえて高尚な趣味でもしてるかのように、世間からはゴミ扱いされていたファミコンを遊ぶという一種のノリだったんですよね。クソゲーという言葉には元々「そこがいいんじゃないの精神」が宿っていたといった解釈も、私がそのとき勝手におこなっていたことであり、ファミコン現役時代にそのような解釈が浸透していたわけではありません。

 何度も言うようですがファミコン現役時代には「クソゲーを愛でる文化」など存在しなかったのですから。

 なぜ、こんな話をしているのかというと、先日、商業メディアのライターさんを中心に「メディアがクソゲーという言葉を使うべきか」という議論が一部で起こっていたのにも関わらず、そんなタイミングでYahoo!ニュースに愛すべきクソゲーを決めよう!クソゲーグランプリ「ファミコン編」という目が疑うような記事があがっていたからです。

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 ※スクリーンショット

 案の定、Twitterを見てみると「○○はクソゲーではない」「解説が適当するぎる」「文章から愛を感じない」と手厳しい反応ばかりが目立っていました。それは、なぜかといえば、まさに「クソゲーを愛でる文化」ってのは、ファミコン現役時代に生まれたものではないからですよ。考えてみて下さい。現役時代に定価近くの値段でファミコンソフトを買って、あるいはやっとの思いで親に買ってもらい、いざ、やってみたらクソゲーだったという体験をした人間が「クソゲーを愛してます」なんていうわけがないでしょ。

 逆に、たとえそれが後世の視点では、まぎれもない「クソゲー」だったとしても、当時の小学生は必死こいてやってましたよ。お前らまだマリオやってんのかと言わんばかりに『元祖西遊記スーパーモンキー大冒険』とかやってたんです。この記事を読んでもらったら、きっとわかっていただけるでしょう。作者がクソゲーを公認してしまっている『スーパーモンキー大冒険』ですら、誰かにとっては「最高の西遊記シミュレータ」なんですから。なぜならゲームは体験だからです。どんなにくだらないことだって、子どもの頃に一生懸命やったことってのはいつまでも憶えているものじゃないですか。大袈裟に言っちゃうとそれは人生の財産ですよ。少なくとも「クソゲー」だとか、いわんや「神ゲー」だとかいった陳腐な言葉で言い表せるようなもんじゃない。

 つまり、ファミコン世代はクソゲーと言われているファミコンソフトについて、皆が皆、クソゲーと思ってないし、逆にクソゲーと思っているソフトのことなど愛してないのです。どうですか。私はバカバカしいくらい当たり前のことしか言っておりません。

 メディア「ファミコンの○○は愛すべきクソゲー!」
 ファミコン世代A「クソゲーちゃうわ!」
 ファミコン世代B「愛してねえわ!」

 したがって、ファミコンの「クソゲーを愛でる文化」が上述のような経緯で生まれたカウンターカルチャーだったという事実はけっこう重要でありまして、万が一、そのような理解もなく、完全に評価がかたまってしまった後世の視点から、ファミコン世代の全員がクソゲーを愛しているかのように勘違いしてる記事があったならば↑このような齟齬(そご)が起こってしまってもおかしくないわけです。面倒くせえけど仕方ありません。何度も申し上げますが、ファミコン世代の人間はクソゲーを愛していたわけではないのですから。クソゲーを愛していたのは一部の変態だけなんです。どうか誤解なさらぬよう願います。



orotima-ku1.png誰が変態や! 

 ※以上はあくまでもファミコンにおける90年代に起こった「クソゲーを愛でる文化」の話であって、それ以降の機種についてはまったく当てはまりません。
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コメント

>※以上はあくまでもファミコンにおける90年代に起こった「クソゲーを愛でる文化」の話であって、それ以降の機種についてはまったく当てはまりません。

それ以降も違うがそれ以前もずいぶん違いますよ
セガSG-1000やスーパーカセットビジョンはまだしもカセットビジョン以前のソフトは、ゲームとしてはちゃんと完成していても画面も音もショボ過ぎて全部クソゲー扱いされるという理不尽さですよ。
代表としてカセットビジョンの場合だと、ソフト交換式にもかかわらずソフト総数11本ですよ?ランク付けなんかできやしない。画面の解像度(54x62)についても、ポケットステーション(32x32)やビジュアルメモリ(48x32)よりはあったけど(そんなものと比較できるということがそもそも……)、音源も音程変更できるビープ音1音だけだし。

ファミコンは、家庭用ゲームにおいてそれ以前と以後を分ける文字通りの意味での「エポックメイキング」でした。
なによりもファミコンはそのソフト資産の数、そう圧倒的な数をもって、明らかにソフトにランク付けができるようになったのですから。

私に言わせれば、クソゲー「を」愛しているのではなく、クソゲー「も」愛しているのだ、となります。そこを間違えたらダメなんです。

改めてもう一個コメントを。

クソゲーグランプリのノミネート作の一覧にも異議あり、ですね。

ノミネート作は

移植版で、移植元は良ゲー
ゲームシステム・ゲームデザインが理不尽(タッチとかもここに入るかな)
難易度が高い
難易度が理不尽なまでに高すぎる
クソゲーではなく単にバカゲー
デバッグできてない未完成ゲー

が混じっていると思います。

ライターの側に思い出補正があるのか、もしくはそもそもわかってないのかどちらかでしょうね。

ファミコンより前のゲームについては勉強不足でわかりませんが、大昔に、ともだちのうちで、あれはぴゅう太だったのかな。フロッガーをやったことがあって、むちゃくちゃ面白かったですね。たぶん私のゲーム体験のなかでも、ゲーム&ウオッチをのぞけば、かなり原初の部類ですから、テレビでゲームができること自体が、面白かったのでしょうけども。あと私が語れるのはホビーパソコン RX-78 GUNDAMぐらいかな。クソゲー「も」愛しているというのはわかります。クソゲー愛好家とはいえ名作をいっさいやらないわけじゃないですからね。
ノミネートについては、明確な基準をもうけるというのは、まあ、不可能でしょうね。誰にもできません。本文にも書きましたが、すべての人間がクソゲーと思うソフトなんてそうそうないわけですし。

ファミコンリアルタイム世代ですが、もう全面的に同意ですね。特に記事タイトルが全て。
クソゲーの記事に出てくる「愛すべき」とか、クソゲーの話になると(当時は話題にすらならなかった)みうらじゅん氏が引き合いに出されるのとか、違和感しかないんですよね。いかにも後追いの空気がプンプンで。
それから、「今の基準で見るとクソゲー」という考え方が私には全くわからんのですよね。
そもそも今の基準で見る必要性を感じないから。
私はテレビゲーム15(9だったかもしらん)もカセットビジョンも当時プレイした経験がありますが、そら当然今の基準で見ると凄まじく原始的だけど、それで「クソ」という評価になる感覚が全くわからない。当時どうだったのかが全てじゃないの?って考えだから。

10618さん
クソゲー(正確にはクソゲーム)はみうらじゅん氏の発言だったっていうのは、私も当時は知らなかったです。これは私も反省するべき点で、まるで当時から有名だったかのように、言ったこともあるかもしれません。これからは気を付けます。

過去の視点、現在の視点、これは難しい問題ですね。なぜかというと、ファミコンより前の機種は、ほぼプレイする機会がないんです。したがって、正直いうと、私はファミコンより前の機種のゲームが、現在、誰かにクソゲー呼ばわりされている現場を見たことがありません。その原因として考えられるのは、あまりにもプレイする機会がないから、現在は、もうすでに歴史上の物として語られる存在になっている可能性、つまり、ファミコンのように現役でまだ活躍しているものと見られてない可能性があるという点が挙げられます。逆に言うと「過去の視点」のみで語られるものになっているということは、もはや歴史上の物ということになります。
その点、ファミコンはスイッチオンラインなどの存在により、現在の子どもたちでも遊ぶ機会が充分にある。現行機種なんですよね。つまり、そこには過去の視点とともに、「現在の視点」が介在する余地が充分にあると考えられます。いや、むしろ介在しないとおかしい。現在の視点があること自体は何もわるいことじゃないのです。

問題なのは、そのような「現在の視点」を過去の視点と混同してしまうことだと思っております。混同してしまうと、おかしなことになります。件の記事のように。



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 失われたファミコン文化遺産「ショップシールの世界」2020年6月26日発売

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