コメント
>※以上はあくまでもファミコンにおける90年代に起こった「クソゲーを愛でる文化」の話であって、それ以降の機種についてはまったく当てはまりません。
それ以降も違うがそれ以前もずいぶん違いますよ
セガSG-1000やスーパーカセットビジョンはまだしもカセットビジョン以前のソフトは、ゲームとしてはちゃんと完成していても画面も音もショボ過ぎて全部クソゲー扱いされるという理不尽さですよ。
代表としてカセットビジョンの場合だと、ソフト交換式にもかかわらずソフト総数11本ですよ?ランク付けなんかできやしない。画面の解像度(54x62)についても、ポケットステーション(32x32)やビジュアルメモリ(48x32)よりはあったけど(そんなものと比較できるということがそもそも……)、音源も音程変更できるビープ音1音だけだし。
ファミコンは、家庭用ゲームにおいてそれ以前と以後を分ける文字通りの意味での「エポックメイキング」でした。
なによりもファミコンはそのソフト資産の数、そう圧倒的な数をもって、明らかにソフトにランク付けができるようになったのですから。
私に言わせれば、クソゲー「を」愛しているのではなく、クソゲー「も」愛しているのだ、となります。そこを間違えたらダメなんです。
それ以降も違うがそれ以前もずいぶん違いますよ
セガSG-1000やスーパーカセットビジョンはまだしもカセットビジョン以前のソフトは、ゲームとしてはちゃんと完成していても画面も音もショボ過ぎて全部クソゲー扱いされるという理不尽さですよ。
代表としてカセットビジョンの場合だと、ソフト交換式にもかかわらずソフト総数11本ですよ?ランク付けなんかできやしない。画面の解像度(54x62)についても、ポケットステーション(32x32)やビジュアルメモリ(48x32)よりはあったけど(そんなものと比較できるということがそもそも……)、音源も音程変更できるビープ音1音だけだし。
ファミコンは、家庭用ゲームにおいてそれ以前と以後を分ける文字通りの意味での「エポックメイキング」でした。
なによりもファミコンはそのソフト資産の数、そう圧倒的な数をもって、明らかにソフトにランク付けができるようになったのですから。
私に言わせれば、クソゲー「を」愛しているのではなく、クソゲー「も」愛しているのだ、となります。そこを間違えたらダメなんです。
改めてもう一個コメントを。
クソゲーグランプリのノミネート作の一覧にも異議あり、ですね。
ノミネート作は
移植版で、移植元は良ゲー
ゲームシステム・ゲームデザインが理不尽(タッチとかもここに入るかな)
難易度が高い
難易度が理不尽なまでに高すぎる
クソゲーではなく単にバカゲー
デバッグできてない未完成ゲー
が混じっていると思います。
ライターの側に思い出補正があるのか、もしくはそもそもわかってないのかどちらかでしょうね。
クソゲーグランプリのノミネート作の一覧にも異議あり、ですね。
ノミネート作は
移植版で、移植元は良ゲー
ゲームシステム・ゲームデザインが理不尽(タッチとかもここに入るかな)
難易度が高い
難易度が理不尽なまでに高すぎる
クソゲーではなく単にバカゲー
デバッグできてない未完成ゲー
が混じっていると思います。
ライターの側に思い出補正があるのか、もしくはそもそもわかってないのかどちらかでしょうね。
ファミコンより前のゲームについては勉強不足でわかりませんが、大昔に、ともだちのうちで、あれはぴゅう太だったのかな。フロッガーをやったことがあって、むちゃくちゃ面白かったですね。たぶん私のゲーム体験のなかでも、ゲーム&ウオッチをのぞけば、かなり原初の部類ですから、テレビでゲームができること自体が、面白かったのでしょうけども。あと私が語れるのはホビーパソコン RX-78 GUNDAMぐらいかな。クソゲー「も」愛しているというのはわかります。クソゲー愛好家とはいえ名作をいっさいやらないわけじゃないですからね。
ノミネートについては、明確な基準をもうけるというのは、まあ、不可能でしょうね。誰にもできません。本文にも書きましたが、すべての人間がクソゲーと思うソフトなんてそうそうないわけですし。
ノミネートについては、明確な基準をもうけるというのは、まあ、不可能でしょうね。誰にもできません。本文にも書きましたが、すべての人間がクソゲーと思うソフトなんてそうそうないわけですし。
ファミコンリアルタイム世代ですが、もう全面的に同意ですね。特に記事タイトルが全て。
クソゲーの記事に出てくる「愛すべき」とか、クソゲーの話になると(当時は話題にすらならなかった)みうらじゅん氏が引き合いに出されるのとか、違和感しかないんですよね。いかにも後追いの空気がプンプンで。
それから、「今の基準で見るとクソゲー」という考え方が私には全くわからんのですよね。
そもそも今の基準で見る必要性を感じないから。
私はテレビゲーム15(9だったかもしらん)もカセットビジョンも当時プレイした経験がありますが、そら当然今の基準で見ると凄まじく原始的だけど、それで「クソ」という評価になる感覚が全くわからない。当時どうだったのかが全てじゃないの?って考えだから。
クソゲーの記事に出てくる「愛すべき」とか、クソゲーの話になると(当時は話題にすらならなかった)みうらじゅん氏が引き合いに出されるのとか、違和感しかないんですよね。いかにも後追いの空気がプンプンで。
それから、「今の基準で見るとクソゲー」という考え方が私には全くわからんのですよね。
そもそも今の基準で見る必要性を感じないから。
私はテレビゲーム15(9だったかもしらん)もカセットビジョンも当時プレイした経験がありますが、そら当然今の基準で見ると凄まじく原始的だけど、それで「クソ」という評価になる感覚が全くわからない。当時どうだったのかが全てじゃないの?って考えだから。
10618さん
クソゲー(正確にはクソゲーム)はみうらじゅん氏の発言だったっていうのは、私も当時は知らなかったです。これは私も反省するべき点で、まるで当時から有名だったかのように、言ったこともあるかもしれません。これからは気を付けます。
過去の視点、現在の視点、これは難しい問題ですね。なぜかというと、ファミコンより前の機種は、ほぼプレイする機会がないんです。したがって、正直いうと、私はファミコンより前の機種のゲームが、現在、誰かにクソゲー呼ばわりされている現場を見たことがありません。その原因として考えられるのは、あまりにもプレイする機会がないから、現在は、もうすでに歴史上の物として語られる存在になっている可能性、つまり、ファミコンのように現役でまだ活躍しているものと見られてない可能性があるという点が挙げられます。逆に言うと「過去の視点」のみで語られるものになっているということは、もはや歴史上の物ということになります。
その点、ファミコンはスイッチオンラインなどの存在により、現在の子どもたちでも遊ぶ機会が充分にある。現行機種なんですよね。つまり、そこには過去の視点とともに、「現在の視点」が介在する余地が充分にあると考えられます。いや、むしろ介在しないとおかしい。現在の視点があること自体は何もわるいことじゃないのです。
問題なのは、そのような「現在の視点」を過去の視点と混同してしまうことだと思っております。混同してしまうと、おかしなことになります。件の記事のように。
クソゲー(正確にはクソゲーム)はみうらじゅん氏の発言だったっていうのは、私も当時は知らなかったです。これは私も反省するべき点で、まるで当時から有名だったかのように、言ったこともあるかもしれません。これからは気を付けます。
過去の視点、現在の視点、これは難しい問題ですね。なぜかというと、ファミコンより前の機種は、ほぼプレイする機会がないんです。したがって、正直いうと、私はファミコンより前の機種のゲームが、現在、誰かにクソゲー呼ばわりされている現場を見たことがありません。その原因として考えられるのは、あまりにもプレイする機会がないから、現在は、もうすでに歴史上の物として語られる存在になっている可能性、つまり、ファミコンのように現役でまだ活躍しているものと見られてない可能性があるという点が挙げられます。逆に言うと「過去の視点」のみで語られるものになっているということは、もはや歴史上の物ということになります。
その点、ファミコンはスイッチオンラインなどの存在により、現在の子どもたちでも遊ぶ機会が充分にある。現行機種なんですよね。つまり、そこには過去の視点とともに、「現在の視点」が介在する余地が充分にあると考えられます。いや、むしろ介在しないとおかしい。現在の視点があること自体は何もわるいことじゃないのです。
問題なのは、そのような「現在の視点」を過去の視点と混同してしまうことだと思っております。混同してしまうと、おかしなことになります。件の記事のように。