コメント
クソゲーの人のNOTE読んだけど、結局なぜそこまでしてクソゲーという言葉を使いたがるのか理由がさっぱりわからなかった。
注目を集めやすいからという理由で安易に使いまくった結果がクソ以下のゴミみたいなクソゲー本とかクソゲーレビューの乱発なので。もう嫌われるべくして嫌われ呆れられている。もう遅いよ。
それにしてもメディアでクソゲーという言葉を使う事の是非を話し合ったという話はすごいね。小学生の学級会でもなかなかないレベル。
注目を集めやすいからという理由で安易に使いまくった結果がクソ以下のゴミみたいなクソゲー本とかクソゲーレビューの乱発なので。もう嫌われるべくして嫌われ呆れられている。もう遅いよ。
それにしてもメディアでクソゲーという言葉を使う事の是非を話し合ったという話はすごいね。小学生の学級会でもなかなかないレベル。
やることが苦痛なくらい酷いゲームなら「苦楚ゲー」という呼び方もあるかなと思いますが、
まあ大抵は少し親しみも込めて「クソゲー」と呼ぶかな。クソおやじとか呼んでても、心のどこかでは好きな感情と同じかと。
まあ大抵は少し親しみも込めて「クソゲー」と呼ぶかな。クソおやじとか呼んでても、心のどこかでは好きな感情と同じかと。
毒蝮三太夫が「長生きしろよ!ババア!」とはいうけど、「クソババア」とは言わないっていう話をこの議論のなかで何故か思い出しました。
愛情なのは分かるけど、それを言葉のどこまで内包してそして、それを相手にドコまで伝えられるのかというのはどんな問題でも難しいと改めて痛感しますね。ライターさんならなおのことでしょうし。
愛情なのは分かるけど、それを言葉のどこまで内包してそして、それを相手にドコまで伝えられるのかというのはどんな問題でも難しいと改めて痛感しますね。ライターさんならなおのことでしょうし。
10570さん
>嫌われるべくして嫌われ呆れられている
ええー、そうなんですかー。もうそこまで落ちていたとは。
10573さん
くそお世話になりました。みたいなあれですね。
ノアノハコブネさん
>ライターさんならなおのこと
そうですね。そもそもがライターさん側の問題ですし。
>嫌われるべくして嫌われ呆れられている
ええー、そうなんですかー。もうそこまで落ちていたとは。
10573さん
くそお世話になりました。みたいなあれですね。
ノアノハコブネさん
>ライターさんならなおのこと
そうですね。そもそもがライターさん側の問題ですし。
クソゲーという言葉が陳腐化しているというオロチさんの指摘には同感。
でついでに言うと、クソゲーとか神ゲーってゲームなんてロクに遊んでないエアプ勢には便利な言葉なんですよ。
そんな人でもクソゲー神ゲー言っとけばゲームの話題に参加出来るから。
実際一番クソゲー言ってるのがこの層じゃない?
動画を見てクソゲー、ゲームカタログwikiにクソゲーと書いてあったからクソゲー、AVGNでクソゲーと言ってたからクソゲー、もうそんなのばっかり。
ファイナルソードにしてもクソゲー言い出したのは遊んでる人達じゃなくてただ動画を見ただけの、身銭を切った訳でもない外野の人間っていうね。
クソゲーという言葉はミームとして定着しているとか言うけど、大概ロクな使われ方してないから陳腐化を通り越してもうただの痛いワードになってる。
でついでに言うと、クソゲーとか神ゲーってゲームなんてロクに遊んでないエアプ勢には便利な言葉なんですよ。
そんな人でもクソゲー神ゲー言っとけばゲームの話題に参加出来るから。
実際一番クソゲー言ってるのがこの層じゃない?
動画を見てクソゲー、ゲームカタログwikiにクソゲーと書いてあったからクソゲー、AVGNでクソゲーと言ってたからクソゲー、もうそんなのばっかり。
ファイナルソードにしてもクソゲー言い出したのは遊んでる人達じゃなくてただ動画を見ただけの、身銭を切った訳でもない外野の人間っていうね。
クソゲーという言葉はミームとして定着しているとか言うけど、大概ロクな使われ方してないから陳腐化を通り越してもうただの痛いワードになってる。
神ゲーもまあ陳腐化してるとは思うけど、この言葉を言い出した人って誰なんだろ?メディア発初はどこだろ?
一般からの出方、広まり方だと思うけど、ちょっと気になる。
一般からの出方、広まり方だと思うけど、ちょっと気になる。
検証ネタで10583さんに便乗なんですけど、当時ゲームファンにクソゲーという言葉が広まったのは少年ジャンプのファミコン神拳の影響が絶大だと思ってたんですが認識違いですかね?
宮岡寛氏が「メディアで最初にクソゲーという言葉を使ったのは俺達」だとFCメタルマックスの連載記事で言ってた記憶があるんですが。
当時の子供にとってみうらじゅん氏の影響なんてはっきり言って1ミリも無いと思いますよ。ってか皆さんそんなにBeep読んでました???
私は逆にジャンプは読んでなくてBeep読者で例の対談記事もリアルタイムで読みましたけど、みうらじゅん氏が言うクソゲーの「そこがいいじゃないの精神」なんてのはもうね、完全に財力と心に余裕のある大人目線の考え方でガキんちょには理解し難いものでしたよ(笑)。
ファミコン神拳は子供目線で、なけなしのお小遣いでゲームソフトを買う子供に悲しい思いをさせたくないからクソなゲームははっきりクソゲーだと言うぜ!って姿勢でクソゲーを使ってたから、文字通りのクソレベルのゲームを指す蔑称だったと思うんですがね。
いやなーんか、クソゲーという言葉を使いたがる人達がBeepの対談記事を黄門様の印籠のように持ち出して定義がどうのこうの言うのが違和感が拭えないんですよね。
どうにもこれもまたファミコンの歴史が曲げられた案件に思えてしまうんですよねぇ・・・。
宮岡寛氏が「メディアで最初にクソゲーという言葉を使ったのは俺達」だとFCメタルマックスの連載記事で言ってた記憶があるんですが。
当時の子供にとってみうらじゅん氏の影響なんてはっきり言って1ミリも無いと思いますよ。ってか皆さんそんなにBeep読んでました???
私は逆にジャンプは読んでなくてBeep読者で例の対談記事もリアルタイムで読みましたけど、みうらじゅん氏が言うクソゲーの「そこがいいじゃないの精神」なんてのはもうね、完全に財力と心に余裕のある大人目線の考え方でガキんちょには理解し難いものでしたよ(笑)。
ファミコン神拳は子供目線で、なけなしのお小遣いでゲームソフトを買う子供に悲しい思いをさせたくないからクソなゲームははっきりクソゲーだと言うぜ!って姿勢でクソゲーを使ってたから、文字通りのクソレベルのゲームを指す蔑称だったと思うんですがね。
いやなーんか、クソゲーという言葉を使いたがる人達がBeepの対談記事を黄門様の印籠のように持ち出して定義がどうのこうの言うのが違和感が拭えないんですよね。
どうにもこれもまたファミコンの歴史が曲げられた案件に思えてしまうんですよねぇ・・・。
10582さん
身銭を切るという話になると、当時、リアルタイムで定価で買ったやつ以外何も言うなという極端な話になってしまうので、慎重に議論がひつようになりますね。
10583さん
文章に書いたのですが、私は「神ゲー」という言葉は陳腐化したというより、最初から陳腐な言葉だと思っています。
10587さん
なるほど。たしかにそうですね。
ただ、みうらじゅん氏が発したクソゲームという言葉に彼の「そこがいいんじゃない」の精神が込められていると思ったのはあくまでも私の解釈であって、私がクソゲーのページをやっていた1997年は、すでに大学生だったので、リアルタイムでそう思ったと書いたつもりじゃなかったんですよ。そこは語弊があったかもしれませんね。しかも90年代後半はファミコン氷河期時代、つまり捨て値で売られていた時代だったので、痛手もそこまでありませんでした。逆に現役時代、私が小学生だった時代はクソゲーなんて言葉をつかったかどうか、実はあまり憶えてません。もしかしたら私が、つまらないゲームでも、ある程度、頑張ってやってしまう性格だったのが関係するかもしれません。
身銭を切るという話になると、当時、リアルタイムで定価で買ったやつ以外何も言うなという極端な話になってしまうので、慎重に議論がひつようになりますね。
10583さん
文章に書いたのですが、私は「神ゲー」という言葉は陳腐化したというより、最初から陳腐な言葉だと思っています。
10587さん
なるほど。たしかにそうですね。
ただ、みうらじゅん氏が発したクソゲームという言葉に彼の「そこがいいんじゃない」の精神が込められていると思ったのはあくまでも私の解釈であって、私がクソゲーのページをやっていた1997年は、すでに大学生だったので、リアルタイムでそう思ったと書いたつもりじゃなかったんですよ。そこは語弊があったかもしれませんね。しかも90年代後半はファミコン氷河期時代、つまり捨て値で売られていた時代だったので、痛手もそこまでありませんでした。逆に現役時代、私が小学生だった時代はクソゲーなんて言葉をつかったかどうか、実はあまり憶えてません。もしかしたら私が、つまらないゲームでも、ある程度、頑張ってやってしまう性格だったのが関係するかもしれません。
オロチさん
>「そこがいいんじゃない」の精神
私も同じ受け取り方でしたよ。言ってる事は「つまらないゲームをムキになってやっている自分が面白い」「なんか憎めない」くらいの、ごくありふれた話に思えましたね。変に持ち上げるでもこき下ろすでもなく。
>私がクソゲーのページをやっていた1997年
1997年というとあの「超クソゲー」以降の時代なので、それ以前とはクソゲーの認識が大きく違ってますね。
クソゲーをただ憎むのではなく笑い飛ばそうというコンセプトを提唱したのが超クソゲーで、笑い所を大文字+太字で強調するスタイルのクソゲーレビューサイトが当時溢れていたのも超クソゲーの影響でしょう。その後は2004年から始まったKOTYがクソゲー弄りブームを引き継ぐ形ですかね。
それ以前はクソゲーを弄るという発想はほぼ無かったと思いますよ(MD専門誌の最下位四天王がクソゲー弄りに近いけど、あれは購入者の怒りの方が強そう)。
いずれにしても今はクソゲーをシリアスな意味じゃなくてネタ的とか軽い煽りで使う人が多いんでしょう。
で、ネタとして使うという事は使い手(書き手)のセンスが問われるわけで、クソゲーの記事に不快感を示す人が多かったという事は、その時点でもうネタとして失敗だと思うんですよね。ネタがスベったのに「クソゲーは悪口じゃなくて、独特のニュアンスが~」とか説明しちゃうのがもうアチャーって・・・
メディアがクソゲーという言葉を使うべきか否かなんて結局書き手のセンス次第としか言いようがなくて、みうらじゅん氏クラスの文化人ならクソゲーを使っても含蓄のある面白い記事になるかも知れないけど、ギャグセンスに自信が無いなら止めとけば?って思いますね。もしくはどういう読者層に迎合するかという話にしかならんでしょう。何を議論していて何が決まるのかは知りませんけど。
>「そこがいいんじゃない」の精神
私も同じ受け取り方でしたよ。言ってる事は「つまらないゲームをムキになってやっている自分が面白い」「なんか憎めない」くらいの、ごくありふれた話に思えましたね。変に持ち上げるでもこき下ろすでもなく。
>私がクソゲーのページをやっていた1997年
1997年というとあの「超クソゲー」以降の時代なので、それ以前とはクソゲーの認識が大きく違ってますね。
クソゲーをただ憎むのではなく笑い飛ばそうというコンセプトを提唱したのが超クソゲーで、笑い所を大文字+太字で強調するスタイルのクソゲーレビューサイトが当時溢れていたのも超クソゲーの影響でしょう。その後は2004年から始まったKOTYがクソゲー弄りブームを引き継ぐ形ですかね。
それ以前はクソゲーを弄るという発想はほぼ無かったと思いますよ(MD専門誌の最下位四天王がクソゲー弄りに近いけど、あれは購入者の怒りの方が強そう)。
いずれにしても今はクソゲーをシリアスな意味じゃなくてネタ的とか軽い煽りで使う人が多いんでしょう。
で、ネタとして使うという事は使い手(書き手)のセンスが問われるわけで、クソゲーの記事に不快感を示す人が多かったという事は、その時点でもうネタとして失敗だと思うんですよね。ネタがスベったのに「クソゲーは悪口じゃなくて、独特のニュアンスが~」とか説明しちゃうのがもうアチャーって・・・
メディアがクソゲーという言葉を使うべきか否かなんて結局書き手のセンス次第としか言いようがなくて、みうらじゅん氏クラスの文化人ならクソゲーを使っても含蓄のある面白い記事になるかも知れないけど、ギャグセンスに自信が無いなら止めとけば?って思いますね。もしくはどういう読者層に迎合するかという話にしかならんでしょう。何を議論していて何が決まるのかは知りませんけど。
超クソゲーって本ですか?私は持ってないので調べたら1998年発行となってました。違ってたらすみません。少なくとも私は読んだことありません。超クソゲーも読んだことないのにクソゲー語って申し訳ない気もしますが、別の小さな小さな流れがあったと思っていただければ幸いです。
そんで私の場合、改めて考えてみると影響を受けたとしたら、必本とか、ジャンプ放送局だったんですよね。ただ当時は10592さんがおっしゃる通り、いわゆるクソゲーいじりみたいなノリではなくて、どちらかというと一発ネタ、つっこみ芸に近い感じですかね。
振り返ってみると、1990年代後半当時はファミコン集めてるやつなんて変人扱いされてまして、捨て値で売られてましたし、本当に御大層な趣味でも何でもなく、ファミコンやってるやつ=クソゲー愛好家みたいなところがあったんですよ。クソゲー愛好家にならざるを得なかったというか、なるべくしてなったというか、、、
もちろん面白いのもありますけど、全部集めるつもりでしたから、クソでも何でも買ってやってたんですよ。そんなバカげた行為を自己正当化するわけじゃないですけど、あえて高尚な趣味みたいに楽しむってノリが生まれまして、それがオロチのクソゲーな日々だったんです。だから私はクソゲーという言葉に対して人一倍、思いがあったのかもしれません。これは私のものすごい個人的な見解ですね。10592さんのおっしゃる大きな流れとは違うのかもしれません。
そんで私の場合、改めて考えてみると影響を受けたとしたら、必本とか、ジャンプ放送局だったんですよね。ただ当時は10592さんがおっしゃる通り、いわゆるクソゲーいじりみたいなノリではなくて、どちらかというと一発ネタ、つっこみ芸に近い感じですかね。
振り返ってみると、1990年代後半当時はファミコン集めてるやつなんて変人扱いされてまして、捨て値で売られてましたし、本当に御大層な趣味でも何でもなく、ファミコンやってるやつ=クソゲー愛好家みたいなところがあったんですよ。クソゲー愛好家にならざるを得なかったというか、なるべくしてなったというか、、、
もちろん面白いのもありますけど、全部集めるつもりでしたから、クソでも何でも買ってやってたんですよ。そんなバカげた行為を自己正当化するわけじゃないですけど、あえて高尚な趣味みたいに楽しむってノリが生まれまして、それがオロチのクソゲーな日々だったんです。だから私はクソゲーという言葉に対して人一倍、思いがあったのかもしれません。これは私のものすごい個人的な見解ですね。10592さんのおっしゃる大きな流れとは違うのかもしれません。
失礼しました。超クソゲーは1998年でしたね。勘違いでした。
考えてみれば1997年はまだインターネットで個人のホームページを持つのが珍しい時期ですし、クソゲーレビューサイトの氾濫は2000年くらいか?
オロチさんの場合はクソゲーを本来の意味(クソレベルに駄目なゲーム)で使っている正統派だと思うんですけど、超クソゲーに影響されて始めたようなクソゲーレビューサイトの多くは自分の突っ込み芸を見せたいがために何でもかんでもクソゲー認定するようになってきて、レトロゲームをエミュでちょっと遊んではいクソゲー、みたいな、終いには「初代スーパーマリオは後ろに戻れないからクソゲー」くらいの滅茶苦茶なものが出てきて、まあそこからですかね。クソゲーという言葉が嫌悪され始めたのは。
最初はちょっと面白みの味のある言葉だったのが、つまらない人間がつまらない使い方をしまくった結果一気に陳腐化したと。もうまんまコミュニティの一生のコピペの流れですね。
そしてクソゲーのハードルが逆に上がった気もしますね。「クソゲーと言うからにはそんなヌルいのじゃなくてデスクリ級のクソを持って来いよ」っていう感じで(笑)
考えてみれば1997年はまだインターネットで個人のホームページを持つのが珍しい時期ですし、クソゲーレビューサイトの氾濫は2000年くらいか?
オロチさんの場合はクソゲーを本来の意味(クソレベルに駄目なゲーム)で使っている正統派だと思うんですけど、超クソゲーに影響されて始めたようなクソゲーレビューサイトの多くは自分の突っ込み芸を見せたいがために何でもかんでもクソゲー認定するようになってきて、レトロゲームをエミュでちょっと遊んではいクソゲー、みたいな、終いには「初代スーパーマリオは後ろに戻れないからクソゲー」くらいの滅茶苦茶なものが出てきて、まあそこからですかね。クソゲーという言葉が嫌悪され始めたのは。
最初はちょっと面白みの味のある言葉だったのが、つまらない人間がつまらない使い方をしまくった結果一気に陳腐化したと。もうまんまコミュニティの一生のコピペの流れですね。
そしてクソゲーのハードルが逆に上がった気もしますね。「クソゲーと言うからにはそんなヌルいのじゃなくてデスクリ級のクソを持って来いよ」っていう感じで(笑)
なるほど。わかってきました。ゲームに接するスタイルの問題と濫用の問題なんですね。前者は言語道断ですし、後者はたしかに、コミュニティの一生というコピペを今、調べてみたのですが、これはまさに陳腐化の典型ですね。コミュニティ自体の、コンテンツ自体の陳腐化だ。ただクソゲーの場合、明確なコミュニティなんてものはなかったし、コンテンツとよべるほどのもんでもないので、中途半端にくすぶりつづけているという感じでしょうか。そんな言葉の扱いについてメディア側が議論するのは、非常に有意義だと思いますよ。だいぶ、状況が見えてきました。ありがとうございます。