◆女湯のミーム化◆ こちら↓の記事を読みました。この令和の時代に「女湯」というワードを『桃鉄』の宣伝記事のタイトルに掲げるなんて、いや、そうじゃないんだよなあ、というのが正直なところですね。
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女湯に名産品!? 長寿ゲーム『桃鉄』の新作が登場、オンライン対戦もできる | 日刊SPA! 思い起こせばファミコン時代は「女湯」が一種のミーム化していたような気がします。そもそもの始まりは、この『桃鉄』シリーズのスピンオフ元ともいえる作品『桃太郎伝説』でしたね。

この作品における女湯グラフィックはいわば定番ネタとなっておりました。ファミコン作品のみならずPCエンジン、ゲームボーイ、スーファミ、プレイステーションと幅広く展開していたのです。夜中に親に内緒でギルガメッシュナイトを見た経験はありませんか。当時のファミコン少年たちにとって『桃太郎伝説』の女湯とは、それに近い衝動だったように思います。
電鉄シリーズのそれはむしろ本家に倣ったものに過ぎません。しかしご存知のように『電鉄シリーズ』は本家よりも長続きしたため、その後もシリーズの伝統としてPS2、DS、GBAと伝統が引き継がれていくのです。
◆カジュアルな報酬システム◆ ハドソン(というよりさくま作品)の他ではナムコ作品にも女湯シーンがありました。『さんまの名探偵』です。

当時、『妖怪道中記』や『ドラゴンスピリット』、『スプラッタハウス』など一部のナムコのファミコン作品には女性キャラクターのちょっとエッチなポーズや裏技を仕込んでおくっていう流れがありました。『さんまの名探偵』の場合、ファミコンオリジナル作品っていうこともあったのでしょうが、他の作品のようなオマケ的エロではなく、割とがっつりゲームの進行部分にそのようなシーンを入れ込んでいるんですよね。探偵物ADVだったことも関係したでしょう。
当時は意味がわかりませんでしたが「ちゅぱ、ちゅぱ」とか、生々しすぎだろ!(笑)
忘れちゃいけないのは『オホーツクの消ゆ』です。和琴温泉でめぐみがバスタオルをはだけるシーンだけは強烈に覚えている元ファミコン少年も多いことでしょう。その際、スタッフのあいだで乳首の色について大激論になったのは有名な話です。(
※)
※ファミ通1987年19号より バカですねえ(いい意味で)
ゲームキャラクターの乳首の色で大激論してたひとが、のちに国民的大ヒットRPGをつくっちゃうんですから。天才は「細部にも妥協しない」とでも言っておきましょうか。また、女湯とは微妙にニュアンスが違いますが、ファミコンではカットになったものの『メタルスレーダーグローリー』におけるエリナのシャワーシーンなんかもありましたね。こちらは当時、ファンブックのみで拝見することができたのですが、のちに配信されたWii Uバーチャルコンソール版はノーカットらしいです。
※当時、ファンブックに掲載されていた問題のシーン このように、ファミコンにおける女湯というのは、非常にカジュアルな報酬システムとして(一部作品で)機能していたわけですね。
◆任天堂の乳首規制は存在するか?◆ そういえば、ちょっと話は逸れますが、私はずっと
任天堂には乳首規制がある派でした。どんな派閥やねん!(笑)
実際の話、ファミコンに登場する人間キャラクターのなかで唯一、女性が乳首を露出する裏技が仕込まれていることで有名な『ゴルゴ13』の作者さんに、私はその裏技の真相についてメールで直接、話をうかがったことがあったのですが、作者さん曰く、任天堂さんには「乳首規制」という言葉こそなかったものの「それはそれは厳しい検閲が存在した」というようなことを仰っていました。
※任天堂さんの厳しい検閲をかいくぐった伝説の裏技 しかし私はいつしか「任天堂には乳首規制などなかったんじゃないか」と考え直すようになったのです。そのきっかけとなったのは、こちらのソフトとの出会いでした。
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ポニーキャニオンから発売された『孔雀王』と『孔雀王2』であります。ご覧のようにこのシリーズのパッケージ絵にはがっつり女性キャラクターの乳首が描かれているんですよ。『2』のほうがより顕著ですよね。
ゲーム中の裏技とかではなく万人の目に触れるジャケットですよ。任天堂さんはいったいどういう判断でこれをOKしたのでしょうか。非常に気になるところです。
◆女湯ミームが極まってしまった作品◆ さて、話を女湯に戻しましょう。まだします!(笑)
私がファミコンにおける「女湯」ミーム化が極まったな!と思った作品は、実は、これら有名どころではないのです。とある無名作品なんですね。それはココナッツジャパンが1990年12月にリリースした人生ゲーム『爆笑!愛の劇場』なんです。え、あまりピンと来ないって?
ともかく見て下さい。この衝撃のパケ絵を。

ね、極まってるでしょ。
よくわからないですか?
では拡大してみましょう。

見て下さい。このジャネット。よく見たら男がシュノーケルつけて女湯のぞいてるシーンが描かれているじゃないですか。ムチャクチャですよね。ただ単に裸体が描かれている『孔雀王』シリーズとはわけが違いますよ。だって「のぞき行為」ってがっつり犯罪ですからね(笑)
なぜ、そんなものが堂々とゲームソフトのパッケージ絵になりえたのか。おそらく、この時代になると女湯のミーム化が極まっていて、「女湯をのぞく」という行為が「わんぱくな男子」くらいの記号的意味しかなくなっていたというのが私の見解です。だから当時、誰もこのジャケットに目くじら立てなかったし、制作、流通、消費に関わったあらゆる人間が、誰一人として違和感すらいだきませんでした。それどころか「爆笑!愛の劇場」「女湯」とかで検索してみてください。だーれも言及してませんよ。ファミコンだ、レトロゲームだ、わいわい!なんて叫ばれているこの時代に、だーれも言及してません。
この奇跡みたいな総スルー状態は、いったい何を意味するんでしょうか?
◆裸体が恥ずかしくなった理由◆ 中野明著「
裸はいつから恥ずかしくなったか: 「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)
」によると、古来より日本人にとって裸体は顔の延長であり、日常にありふれたものだったらしいです。江戸時代の銭湯は混浴だったという話は有名ですよね。


しかし明治初期、日本に来航した外国人たちが珍しがってジロジロ見てくるものだから、女性たちはやがて恥ずかしくなって隠すようになったということです。なるほど。日本人同士では「視線」がなかった。だから別に恥ずかしくなかったのに外国人から「視線」を浴びまくるようになってしまったため隠したと、そういうことだったんですね!
ここでいささか唐突ではありますが日本神話を想起してみましょう。イザナギが黄泉の国までイザナミを追いかけていったところ「わたしの姿を見ないでください」と言われた話です。これは
「見るなのタブー」と呼ばれる物語の類型のひとつで、有名なところでは「鶴の恩返し」にも同様のシーンがありますよね。思い出してください。そう言われた男性は何をしましたか?
そう。結局、見てしまうんですよ。
隠されると見たくなるのが男心であります。
今まで女性の裸体をまったく気にしなかった日本人男性も、隠されるようになった途端、気になるようになったわけです。それって、ファミコンの裏技とまったく同じ構図ですよね。裏技として仕込まれている少しエッチなグラフィックなんかは、たった数ドットの世界ですよ。我々ファミコン少年はそれを見るために、なぜ、あそこまで熱くなれたのでしょう。それは
「隠されていたから」ではありませんか。その証拠に『爆笑!愛の劇場』のパケ絵の女湯ですよ。なぜ、今まで誰にも言及されてこなかったのでしょうか。それはこの作品が無名だから。それもあるかもしれませんが、それは
「隠されてないから」ではありませんか?
「パッケージ絵=隠されていない」と解釈するならば、我々はそこに価値を見いださなかった。案外、それだけの理由なのかもしれません、、、
以上。『桃鉄』のセールスポイントに女湯を挙げる行為が如何に無粋なのか。わかっていただけたと思います。そこは触れないからこそ価値があるんですよ!
|  | 久々にコラム書いたと思ったらこれかい |
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