これはファミコン雑誌「ハイスコア」の竜王掲載伝説を、12年間にわたって追いつづけた筆者の調査記録である――

前回の記事は
こちら。
◆仮処分の内容◆ ハイスコア事件は正式名を「昭和62年(ヨ)第2513号著作権仮処分申請事件」といい、その仮処分の内容については、かつて明治大学法学部教授によって運営されていたサイト「法学情報(夏井高人研究所)」内のコンピュータ関連判例を紹介するページに
「ドラゴンクエストⅡ事件仮処分決定」というタイトルで公開されている。

これはあくまでも決定内容のみを示すもので、判決に至る経緯などはいっさい記載されてない。主文によるとハイスコアは今後
『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載した雑誌を発行してはならないという判決を申し渡されている。これをもって「発禁になった」と判断することもできるのだが、実際には発禁になってないのにも関わらず発禁になったというデマを流されている
「どらくえ3事件」のような例もあるので慎重な解釈が必要であろう。
なぜなら、この判決にはあくまでも“『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載した雑誌を”という禁止条件がついており、逆に言えば
『ドラクエ2』のゲーム画面さえ掲載しなければ発行してもいいと読み取ることができるからだ。
果たして、仮処分後のハイスコアはどんな運命をたどったのであろうか、、、
◆マスコミの発禁報道◆ 当時のマスコミの報道を見てみよう。まずは朝日新聞1987年2月25日夕刊から。
そこには「ドラゴンクエスト2のナゾ解き掲載に待った 東京地裁が仮処分」という記事が掲載されていたのだが、驚いたことにハッキリと
「発売の禁止などを命じる仮処分決定を出した」と書いてあるではないか。この記事からは
“『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載した雑誌を”という禁止条件が丸々抜け落ちているのだった。この書き方では99%の読者がそのまま「発禁になった」と捉えるだろう。
次に日本経済新聞1987年2月25日夕刊の場合。なんと、こちらは
見出しに「発禁」という文字が!
しかも朝日新聞と同様、禁止条件についてはまったく触れられていなかった。『ドラクエ2』の人気が社会現象化している最中に起こったハイスコア事件は、ゲームの「なぞ解き」が著作権違反にあたるかどうかという前例のない争いだったため、世間からの注目も高かったであろうが、この見出しでは99%の読者がそのまま「発禁になった」と捉えるであろう。
つづいて読売新聞1987年2月25日夕刊には、人気ファミコンゲーム「攻略法掲載ダメ」と題された記事があり、そこにもがっつり「東京地裁雑誌発行差し止め」という文字が刻まれていた。

差し止め(さしとめ)
権利の侵害を防ぐため、他人の行為を禁止すること。他人の違法な行為によって自分の権利が侵害されるおそれのある場合、裁判所を通じて、その行為を行わないように相手に請求することができる。
差し止めという言葉は「発禁」よりも少しニュアンスが変わってくるのであるが、何かしら禁止されたことを伝えているのには変わりない。
記事によるとエニックスは、1987年1月28日発行の「ハイスコア3月号」に『ドラクエ2』に関する謎解き方法が無断掲載されたことに抗議したとある。にも関わらず4月号にも同様の特集が組まれることを知ったエニックスはハイスコアメディアワークと英知出版を相手取り、ゲームソフトの著作権侵害を理由に発行差し止めの仮処分申請を行い、東京地裁は2月25日、これらの訴えを認める決定をくだしたという。しかも
「ファミコンゲームの著作権をめぐり、雑誌の発行が差し止められたのは初めて」と記されており、その新奇性が強調されていた。
さらに時代が下って、ファミコン通信1992年10月2日号の場合。

「時効」という特集にてハイスコア事件がとりあげられていたのだが、このように、ファミコン雑誌にすら「発売禁止が命じられた」と書いてあるのだった。並みいる大手新聞社やメジャーゲーム誌が、何の躊躇もなく「発禁」と書いているのだから、これはもう
発禁説を疑うほうが難しい状況である。
◆業界の冷ややかな反応◆ つづいて週刊誌報道も見てみよう。ファミコン正統書「ファミコンとその時代」において“ドラクエ訴訟事件を最初に報道した週刊誌”と紹介されていた週刊ポスト1987年3月13号である。

この人気ソフトの攻略法を紹介したゲーム誌「ハイスコア」4月号が「著作権の侵害にあたる」として東京地裁から発売禁止の仮処分を受けた。
出典:週刊ポスト1987年3月13号
こちらにも「発売禁止の仮処分を受けた」と記載されていたのだが、新聞各社よりも内容が詳しかった。
週刊ポストが伝えるところでは、エニックス社長・福島氏の言い分として、ハイスコアが3月号で『ドラクエ2』の特集をしたいと言うので、「ゲームの謎解きはしない」「発行前に事前チェックをする」という条件でサンプルROMを貸し出したという。しかしこれに対してハイスコア編集長・甲斐氏は「そんな約束をしたことはありません」とキッパリ否定。記事の内容は編集部が決めることであってエニックスの注文はお門違いだ、と反論するのだった。
興味深いのは、ゲームの攻略に関する前例のない著作権闘争にマスコミが注目するなか、当の業界関係者たちが「適当なところで手打ちになるはず」「お互い縁を切る気はない」「一種の出来レース」と、
皆一様にして冷ややかな反応を示しているところである。まるでハイスコア事件がヤラセだったとでも言わんばかりの口ぶりだ。これは後世に伝わっている話とずいぶん温度差があるではないか。ハイスコアは業界に嫌われることも厭わない攻めのB級ファミコン雑誌だったはずである。エニックスと一芝居打つような仲ではなかったはず、、、
新たな疑問は生んだものの、以上、私が調査した限りでは、どのマスコミも例外なく発禁報道をしていたのである。しかしながら不思議なことに“『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載した雑誌を”という禁止条件を伝える媒体は皆無であった。
|  | つづく |
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ドラクエ訴訟の原点「ハイスコア事件」をめぐる調査記録
(1) もうひとつの竜王伝説
(2) 公式ガイドブックの謎
(3) 消えたドラゴンロード
(4) マスコミの発禁報道
(5) そして都市伝説へ…
(6) 竜王説は生きていた
(7) 信じ抜いたすえの邂逅
(8) 堀井雄二のネタバレ観
(9) すべての伝説を越えて
(番外編) ファミマガ編集長の視点
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