ドラクエ訴訟の原点「ハイスコア事件」をめぐる調査記録(6) ~竜王説は生きていた~
これはファミコン雑誌「ハイスコア」の竜王掲載伝説を、12年間にわたって追いつづけた筆者の調査記録である――

前回の記事はこちら。
◆決定的な証言◆
当時のファミコン雑誌による竜王掲載事情や、マスコミの発禁報道の調査をつづけていた私は、肝心なハイスコア誌面に登場した竜王だけは見つけることができずに四苦八苦していた。そんな私のもとへ朗報がもたらされたのは2012年10月のことである。twitterにて元ナムコ社員でのちにハイスコアの編集に携わった大森田不可止氏が、当時の思い出を語っておられたのだ。私はその一連のtweetのなかに「竜王掲載説」についての決定的な証言があることを見逃さなかったのである。
以下がその発言だ。
竜王説は生きていた!
なんと、当時バリバリ編集部で働いていた人物から、ハイスコア事件に関する詳細な内部事情が明かされたのだった。しかも「竜王を紙面に出した」というどストライクな証言をされているではないか。やはり竜王は掲載されていたのか。しかしそうなってくると不可解なのは本説をこれみよがしにデマ扱いしたWikipediaであるが、それよりも気になるのは『ドラクエ2』の攻略記事が直接引き金になったとされる当時のマスコミ報道や判決文との齟齬(そご)である。これは一体、どういうことだろうか。
こうなったら何が何でもハイスコアをかき集め、竜王を探し出すしかあるまい。ハイスコアはマイナー誌だったからこそ現存数が少なく、今や滅多なことでは市場に出回らない幻級の希少本となっている。とくに86~87年あたりの初期ナンバーは1冊入手するだけでも困難を極めるのは既にお伝えした通りであるが、だが、そんなことでこのマヒした知的好奇心が治るなら、まんげつそうなど要らないのだ。
年月にすると、そこからさらに5年を費やした私は、とうとう1986年3月創刊号から1987年12号までのハイスコアをほぼ入手することに成功したのだった。

勇者でも何でもないのに、、、
これほどまでに竜王を探している人間がいるなんて信じられない!
(しかもそれが自分だなんて)
◆ノンブル欠落の怨念◆
しかし、予想だにしない落とし穴が私を待っていたのだった。結果から言うと私はあいかわらず竜王を見つけられなかったのだ。なぜなら、そもそもハイスコア誌面には『ドラクエ』の攻略記事そのものがなかったのである。
初代『ドラゴンクエスト』が発売されたのは1986年5月27日。当時、RPGはパソコンの世界で人気を博していたものの、ファミっ子たちにウケるかどうかは未知数だったのだのだろう。「特集を組まない」という編集部の判断は妥当だったのかもしれない(あるいは組みたくても組めなかったのかもしれないが)。

ただし1987年1月26日に発売された次回作『2』の頃になると状況は一変していた。ドラクエ人気はとどまることを知らず、メディアによる情報合戦は嵐のように暴風化するばかりだったのだ。当然、ハイスコアも例外ではなかった。否、渦中にあったと言うべきであろう。
その凄まじさを物語るのが、1987年4月号の1ページ目に挟まっていたこの一枚の紙切れである。

たしかノンブルとは「本のページ数」を表す言葉だったはずだが、こんなゴリゴリの印刷用語を載せた紙切れを1ページ目に挟んでくるとは只事ではない。これはどちらかというと読者向けというよりは流通向けのメッセージだったのだろう。本誌を持ってみると妙に薄くて軽いのだった。そしてページを開くとその意味がわかったのである。なんとノンブルが81を超えているではないか。それなのに「全ページ数は80ページ」とはこれ如何に、、、
アミューズメント業界紙「ゲームマシン」1987年4月1日号の記述を思い出してみよう。
そういうことか!
つまり、ハイスコアは仮処分によって『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載した雑誌を発行できなくなってしまったため、すでに出来上がっていた1987年4月号から『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載しているページを除外して、改めて発行したのである。ノンブルの欠落はそのとき生じたのだが、修正している余裕がなかったのでそのまま発行したのである。
また、どうしても除外できないページに関してはゲーム画面を黒塗りすることで対処したのだった。

※『ドラクエ2』のゲーム画面が黒塗りされた箇所
それにしても、ノンブルが欠落したまま発行された雑誌など、出版業界の歴史を通しても前代未聞ではないだろうか。そう考えると私には、この紙切れが編集部の「怨念の一枚」に見えてくるのだった。ラダトームのじいさんに呪いを解いてもらわねばなるまい。
◆遅きに失したおわび文◆
極めつけは1987年12月号に掲載されていた以下のおわび文だ。

内容は、エニックスの了承を得ないまま『ドラクエ2』の攻略記事を書いたことで裁判沙汰となったことについて、同社に陳謝すると共に読者におわびをするというもの。残念ながら“何を載せたか”についての言及はなかったのであるが、そこにはさりげなく新事実も記載されていたのだ。
それは何かというと、ハイスコアは3月号の内容が原因となって4月号以降、仮処分を命じられたはずなのだが、おわび文では3月号のほかに5月号のことまで謝罪しているのである。つまり5月号でも何かやらかしたということだ。さっそく手にとってみると、、、

もう表紙からして、いきなり『2』ではないか!
前回、それが原因でエニックスから「つうこんの一撃」をくらったくせに、「ハイスコアかいしんの一撃」なんて言ってる場合ではない。それとも「会心」と「改心」を掛けているのだとしたら秀逸な皮肉ではあるが、、、
ともかく中身を見てみよう。恐る恐るページをめくってみると、、、

イラストッッ!
なんとハイスコアは仮処分でゲーム画面の掲載を禁止されていたことを逆手に取って、5月号ではイラスト&文章でローレシアの城からハーゴン大神殿までの攻略記事を載せていたのだった。イラスト&文章での攻略でエニックスに怒られたといえば「どらくえ3」事件を想起させるが、時系列的にはハイスコア事件のほうが先に起こっていることを忘れてはいけない。つまり、ハイスコア1987年5月号こそイラスト&文章の攻略記事でエニックスを怒らせたパイオニアだったわけだ!
この号では、さらに思わぬ発見があった。

なんと、いなづまの剣のネタバレが載っていたのである。
つまり、ゲームラボが唱えていた「いなづまの剣説」の根拠はこの5月号である可能性が高いということだ。ただし仮処分のきっかけとなったのはあくまでも3月号であるため、対決の原因になったとまでは言い過ぎであろう。したがって「いなづまの剣説」は×とせざるを得ない。ひとつだけ救いがあるとしたら、ゲームラボ以外で「いなづまの剣説」を唱えている人間など一人もいなかったところだろうか。

良かった。
デマに騙されたファミっ子はいなかったんだね!
◆まとめ◆
今回の調査では竜王説に有力な証言が浮上。4月号が改定された証拠を確認。また、いなづまの剣説の×が確定した。以下にまとめてみよう。
次はいよいよ仮処分の原因になったとされる3月号の内容を紹介したいと思うのだが、その前にどうしても確かめたいことがあるのだ。前述のように私は結局、ハイスコア誌上に竜王の姿を見つけられないでいた。そうなると気になるのは冒頭で紹介した大森田氏による「竜王」発言の真意である。
こうなったら直接ご本人に伺うしかあるまい。

前回の記事はこちら。
当時のファミコン雑誌による竜王掲載事情や、マスコミの発禁報道の調査をつづけていた私は、肝心なハイスコア誌面に登場した竜王だけは見つけることができずに四苦八苦していた。そんな私のもとへ朗報がもたらされたのは2012年10月のことである。twitterにて元ナムコ社員でのちにハイスコアの編集に携わった大森田不可止氏が、当時の思い出を語っておられたのだ。私はその一連のtweetのなかに「竜王掲載説」についての決定的な証言があることを見逃さなかったのである。
以下がその発言だ。
敵が多くて、ページ単価の低い三流出版は、きわどい球で切り抜けないといけないんだが、相変わらず優秀なゲーマーに、業界を知らない編集者。エニックスからクレームは以前からあった。編集長は気にしなかったけど、ゲーム会社は死活問題。エニックスの出版差し止め仮処分になる。
元々は編集者が知識不足で、ドラクエのタブー、竜王を紙面に出したこと。エニックスからクレームが来て、当時のエニックス社長の福島さんと、編集長が電話で会話してた。訴訟になりそうだったので、準備も開始。頼んだ弁護士は強気だったんだが・・・
ある日突然、仮処分が決まってTVで大報道。私は面白がって、開発スタッフと観てたけど。裁判になれば勝てるはずだったのに、仮処分とマスコミ報道で、実質的に負けになったな。法律は守ってくれないんだと思った瞬間。これで、編集長のゲームの報道だって主張が負けたんだな。出典:Togetter
竜王説は生きていた!
なんと、当時バリバリ編集部で働いていた人物から、ハイスコア事件に関する詳細な内部事情が明かされたのだった。しかも「竜王を紙面に出した」というどストライクな証言をされているではないか。やはり竜王は掲載されていたのか。しかしそうなってくると不可解なのは本説をこれみよがしにデマ扱いしたWikipediaであるが、それよりも気になるのは『ドラクエ2』の攻略記事が直接引き金になったとされる当時のマスコミ報道や判決文との齟齬(そご)である。これは一体、どういうことだろうか。
こうなったら何が何でもハイスコアをかき集め、竜王を探し出すしかあるまい。ハイスコアはマイナー誌だったからこそ現存数が少なく、今や滅多なことでは市場に出回らない幻級の希少本となっている。とくに86~87年あたりの初期ナンバーは1冊入手するだけでも困難を極めるのは既にお伝えした通りであるが、だが、そんなことでこのマヒした知的好奇心が治るなら、まんげつそうなど要らないのだ。
年月にすると、そこからさらに5年を費やした私は、とうとう1986年3月創刊号から1987年12号までのハイスコアをほぼ入手することに成功したのだった。

勇者でも何でもないのに、、、
これほどまでに竜王を探している人間がいるなんて信じられない!
(しかもそれが自分だなんて)
しかし、予想だにしない落とし穴が私を待っていたのだった。結果から言うと私はあいかわらず竜王を見つけられなかったのだ。なぜなら、そもそもハイスコア誌面には『ドラクエ』の攻略記事そのものがなかったのである。
初代『ドラゴンクエスト』が発売されたのは1986年5月27日。当時、RPGはパソコンの世界で人気を博していたものの、ファミっ子たちにウケるかどうかは未知数だったのだのだろう。「特集を組まない」という編集部の判断は妥当だったのかもしれない(あるいは組みたくても組めなかったのかもしれないが)。

ただし1987年1月26日に発売された次回作『2』の頃になると状況は一変していた。ドラクエ人気はとどまることを知らず、メディアによる情報合戦は嵐のように暴風化するばかりだったのだ。当然、ハイスコアも例外ではなかった。否、渦中にあったと言うべきであろう。
その凄まじさを物語るのが、1987年4月号の1ページ目に挟まっていたこの一枚の紙切れである。

▲お知らせ▲
ハイスコア4月号は、一部ノンブルが欠落していますが、全ページ数は80ページです。
たしかノンブルとは「本のページ数」を表す言葉だったはずだが、こんなゴリゴリの印刷用語を載せた紙切れを1ページ目に挟んでくるとは只事ではない。これはどちらかというと読者向けというよりは流通向けのメッセージだったのだろう。本誌を持ってみると妙に薄くて軽いのだった。そしてページを開くとその意味がわかったのである。なんとノンブルが81を超えているではないか。それなのに「全ページ数は80ページ」とはこれ如何に、、、
アミューズメント業界紙「ゲームマシン」1987年4月1日号の記述を思い出してみよう。
「ハイスコア」四月号は結局、該当ページの削除されたものがその後、改めて発行、発売された。
そういうことか!
つまり、ハイスコアは仮処分によって『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載した雑誌を発行できなくなってしまったため、すでに出来上がっていた1987年4月号から『ドラクエ2』のゲーム画面を掲載しているページを除外して、改めて発行したのである。ノンブルの欠落はそのとき生じたのだが、修正している余裕がなかったのでそのまま発行したのである。
また、どうしても除外できないページに関してはゲーム画面を黒塗りすることで対処したのだった。

※『ドラクエ2』のゲーム画面が黒塗りされた箇所
それにしても、ノンブルが欠落したまま発行された雑誌など、出版業界の歴史を通しても前代未聞ではないだろうか。そう考えると私には、この紙切れが編集部の「怨念の一枚」に見えてくるのだった。ラダトームのじいさんに呪いを解いてもらわねばなるまい。
極めつけは1987年12月号に掲載されていた以下のおわび文だ。

内容は、エニックスの了承を得ないまま『ドラクエ2』の攻略記事を書いたことで裁判沙汰となったことについて、同社に陳謝すると共に読者におわびをするというもの。残念ながら“何を載せたか”についての言及はなかったのであるが、そこにはさりげなく新事実も記載されていたのだ。
それは何かというと、ハイスコアは3月号の内容が原因となって4月号以降、仮処分を命じられたはずなのだが、おわび文では3月号のほかに5月号のことまで謝罪しているのである。つまり5月号でも何かやらかしたということだ。さっそく手にとってみると、、、

もう表紙からして、いきなり『2』ではないか!
前回、それが原因でエニックスから「つうこんの一撃」をくらったくせに、「ハイスコアかいしんの一撃」なんて言ってる場合ではない。それとも「会心」と「改心」を掛けているのだとしたら秀逸な皮肉ではあるが、、、
ともかく中身を見てみよう。恐る恐るページをめくってみると、、、

イラストッッ!
なんとハイスコアは仮処分でゲーム画面の掲載を禁止されていたことを逆手に取って、5月号ではイラスト&文章でローレシアの城からハーゴン大神殿までの攻略記事を載せていたのだった。イラスト&文章での攻略でエニックスに怒られたといえば「どらくえ3」事件を想起させるが、時系列的にはハイスコア事件のほうが先に起こっていることを忘れてはいけない。つまり、ハイスコア1987年5月号こそイラスト&文章の攻略記事でエニックスを怒らせたパイオニアだったわけだ!
この号では、さらに思わぬ発見があった。

なんと、いなづまの剣のネタバレが載っていたのである。
つまり、ゲームラボが唱えていた「いなづまの剣説」の根拠はこの5月号である可能性が高いということだ。ただし仮処分のきっかけとなったのはあくまでも3月号であるため、対決の原因になったとまでは言い過ぎであろう。したがって「いなづまの剣説」は×とせざるを得ない。ひとつだけ救いがあるとしたら、ゲームラボ以外で「いなづまの剣説」を唱えている人間など一人もいなかったところだろうか。

※「ゲームラボ」1999年7月号 資料提供:ナポりたん
良かった。
デマに騙されたファミっ子はいなかったんだね!
今回の調査では竜王説に有力な証言が浮上。4月号が改定された証拠を確認。また、いなづまの剣説の×が確定した。以下にまとめてみよう。
【原因】
・『1』ラスボス(竜王)を掲載 ※有力な証言が浮上
・『2』銀の鍵の位置を掲載
・『2』ラーの鏡の位置を掲載
×『2』いなづまの剣の位置を掲載
・『2』塔の階段&宝箱の位置を掲載
・『2』ラスボス(シドー)を掲載
・『3』ラスボス(ゾーマ)を掲載
【結末】
×発禁になった
×回収になった
×廃刊になった
◎改正後、発行された
次はいよいよ仮処分の原因になったとされる3月号の内容を紹介したいと思うのだが、その前にどうしても確かめたいことがあるのだ。前述のように私は結局、ハイスコア誌上に竜王の姿を見つけられないでいた。そうなると気になるのは冒頭で紹介した大森田氏による「竜王」発言の真意である。
こうなったら直接ご本人に伺うしかあるまい。
![]() | つづく |
ドラクエ訴訟の原点「ハイスコア事件」をめぐる調査記録
(1) もうひとつの竜王伝説
(2) 公式ガイドブックの謎
(3) 消えたドラゴンロード
(4) マスコミの発禁報道
(5) そして都市伝説へ…
(6) 竜王説は生きていた
(7) 信じ抜いたすえの邂逅
(8) 堀井雄二のネタバレ観
(9) すべての伝説を越えて
(番外編) ファミマガ編集長の視点
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