◆2つの発売日◆ 近年、レトロゲーム研究者たちの間で、世に周知されている発売日が間違っている可能性が限りなく高いファミコンソフトとして『ファミコンジャンプ 英雄列伝』の名前が挙がっていることをご存知だろうか。いわゆる「ファミコンジャンプ発売日問題」である。
なんと、このファミコンソフトには
資料によって発売日が2つ存在するのである!

なぜ、そのようなことが起こっているのか?
果たして本当の発売日はいつなのか?
今回はそんな謎めいた「ファミコンジャンプ発売日問題」を調査している日本ビデオゲーム考古学会
(※)より執筆依頼を受けて、私オロチがまとめ上げた調査報告である。
※オロチも参加しているゲーム研究団体。◆周知される2月15日説◆ 『ファミコンジャンプ』の2つの発売日とは、すなわち1989年の
2月15日と、同年の
2月25日のことであり、結論から先に言ってしまうならば
2月15日とするは間違いで2月25日が正しい可能性が限りなく高いのであるが、前述の通り、現在、圧倒的に周知されているのは、なぜか間違っているほうの2月15日説なのだった。

SNS界隈に目を向けると、毎年2月15日には「今日はファミコンジャンプの発売日」という周年を祝うtweetが同時多発的に発生。ここ近年は、発売日という理由だけで特定タイトルがトレンド入りする事案も少なくない。また、そのような風潮に目をつけた一部メディアが発売日のファミコンソフトに関するニュース性のない記事を量産。Yahoo!ニュースへ配信しては一般ネットユーザーのアクセスを稼いでいる光景も珍しくなくなった。
しかしながら、そのような記事の多くがWikipediaなどWEB情報の寄せ集めで構成されていることから、しばしば内容の不正確性が指摘されてきた(
※)。「ファミコンジャンプ」の発売日情報も例外ではなく、WEB情報がそのソースとなっていることは、「ファミコンジャンプ 発売日」でGoogle検索すると「1989年2月15日」という情報が一発で出て来る仕様となっていることからも伺えるのだ。
※Googleで「ファミコンジャンプ 発売日」を検索すると出てくるWikipedia情報 また、Wikipediaに記載された「ファミコンジャンプ」の発売日(2月15日)の出典は、現在、2018年10月10日に発売された『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー』というレトロゲーム本になっているのだが、何十年も前の出来事の出典が、こうした、ごく最近の書籍になるケースが多く見られるようになっており「
情報ロンダリング問題」が叫ばれている。不思議なことにこのページも、Wikipediaに残るアーカイブでさかのぼってみると、少なくとも2005年9月3日(より正確には「週刊少年ジャンプ」のページが最古で2005年7月31日)から2017年3月までは発売日に出典が明記されていなかったのだ。(
※)
これは一体、どういうことか?
つまりWikipediaの『ファミコンジャンプ』の発売日には元々は出典など明記されていなかったのである。逆に言えば「明記されていなかった」という事実に我々は
“この問題の根深さ”をおぼえるべきなのだったのだ。正直、私オロチも少なからず執筆活動などをしており、間違った情報が掲載された書籍にかかわったこともあるため、これは自戒を込めて申し上げるのであるが、この問題は本当に根深い、、、とてつもなく根深い、、、
そこで、何とかしなければ。立ち上がったのが日本ビデオゲーム考古学会のメンバーたちであった。そもそもこの団体の設立からして、『ファミコンジャンプ』に2つの発売日があることがメンバーによって発見されたことがきっかけだったのだ。何かを正そうとか、誰かを裁こうとか、そんな気持ちは1mmもなく、ただ純粋な知的好奇心。それだけが彼らの原動力である。そんなメンバーたちが「ファミコンジャンプ発売日問題」を解明するために選んだのは
「ファミコンジャンプの発売日が掲載されていそうな確認しうるありとあらゆる媒体・資料をあたる」という、もっとも単純で、且つもっとも険しい道だったのだ。その調査活動は散発的に1年ほどつづき、この度、あらかたの資料を調べ尽くして一定の結論に至ったというわけである。
◆当時のファミコン雑誌◆ それでは、さっそく主だった資料を見ていこう。
まずは『ファミコンジャンプ』が発売される前のファミコン雑誌から。1988年9月2日発売の「ファミコン必勝本」1988年 No.18によると『ファミコンジャンプ』は1988年12月発売予定とあった。
※「ファミコン必勝本」1988年 No.18(資料提供:ナポりたん) この頃の他誌としては「Beep」1988年11月号、「ファミマガ」1988年 No.20、「ファミコンチャンピオン」1988年12月号、「ファミコン通信」1988年 No.23などが、それぞれ同じく1988年12月表記となっていることが確認された。
※「ファミコンチャンピオン」1988年12月号の表記は「12月X日」 ファミコンソフトの発売予定日が延期されることは当時、普通によくあることだったのだが、ファミコンジャンプの場合、原因がハッキリしており、1988年12月15日付の日経流通新聞によると「IC(集積回路)が不足しているため、来年に延期した」とのことである。開発が進まないという、ありがちな理由ではなさそうだ。
調査をすすめると、具体的な日にちがファミコン雑誌において初めて現れたのは「ファミマガ」1988年 No.22 12月2日号であることがわかった。同誌によると『ファミコンジャンプ』の発売は1989年2月25日予定となっていたのだ。なんと、この時点で既に2月25日ではないか!
どうやら
『ファミコンジャンプ』の発売日は最初から2月25日だったようだ。
※「ファミマガ」1988年 No.22の表記は「2月25日発売予定」 のちに発行された「ファミコン通信」1988年 No.24、「ハイスコア」1989年2月号、「Beep」1989年2月号、「ファミコンBEST」第5号、「ファミコン必勝本」1989年 No.4なども発売日を2月25日と表記していたことが確認されている。
※「ハイスコア」1989年2月号の表記は「2月25日」 つまり『ファミコンジャンプ』の発売日は、たとえば2月15日だったものが25日になったというような小刻みに延期されたものではなく、資料を見る限りでは
1988年12月からいきなり1989年2月25日になっていたのである。
なお、ファミコン雑誌以外の資料としては、1988年12月12日付けの日本経済新聞朝刊15pにファミコンジャンプの記事が掲載されており、そこでも「来年二月二十五日発売する」と表記されていることが判明している。(資料提供:BAD君)
◆公式見解は?◆ 言うまでもなく『ファミコンジャンプ』は集英社の看板漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の創刊20周年を記念してつくられたお祭りファミコンソフトであり、販売は当時、キャラゲー専門メーカーと呼ばれたバンダイが担当していた
(※)。
であるならば、そもそもの大本営である「週刊少年ジャンプ」ほど信頼できる資料はないであろう。調査できる範囲では、1989年新年1・2合併号をはじめ、NO.9 2月13日号、NO.12 3月6日号などがそろって
2月25日表記だったのである。
※一部シンセイが担当。詳細は後述。
※週刊少年ジャンプNO.9 2月13日号「キム皇のファミコン神拳EXPRESS」より(資料提供:スペマRP) さらに、発売元のバンダイに注目してみると、何のことはない。当時放映されたTVコマーシャルや、玩具屋等で配布されたチラシ、令和の現在でもアクセスできる公式サイトのデータベースまでもが
2月25日表記ではないか!
※発売前に配られたチラシ(資料提供:あかみどり)
※当時放映されたTVコマーシャル
※現在でもアクセスできる公式サイトのデータベース「ファミコンジャンプ」検索結果より これはもはや間違いなく
99.9パーセント「2月25日が正しい」ということでファイナルアンサーではないだろうか?
◆週刊売上情報の動き◆ さらにダメ押しとして、当時の「ファミマガ」に掲載されていた週刊売上情報を見てみよう。

※資料提供:ナポりたん CESAゲーム白書2010年版によると『ファミコンジャンプ』の売上本数は110万本であり、しばしば内容のわりに売れすぎたことが身内からもネタにされてきたわけだが
(※)、そんなオバケタイトルならば初週からランクインしているはず。
しかしながら、この表を見る限り、『ファミコンジャンプ』がランクインしているのは2月20日からのデータと27日からのデータとなっているのだった。もし2月15日から発売されていたならば、こうはいかない。この以上の証拠はもはや必要なかろう。
※Vジャンプ2013年7月号「ビクトリー・ウチダの社長への道!!SP」参照◆2月15日説の起源◆ そうなってくるとなおさら気になるのは15日説の起源である。
ここで、改めて断っておきたいのであるが、以下の結論は日本ビデオゲーム考古学会のメンバーが調査できる範囲の関係資料をシラミつぶしに調査した結果であり、確定情報ではないということを予めご了承いただくとして、いよいよ発表するならば、どうやら異変が起こったのは1990年3月23日に発売された「ファミコンロムカセットオールカタログ(ファミマガ1990 No.7付録)」臭いのだ。

なんと、そこには
2月15日表記が輝いているではないか!
『ファミコンジャンプ』発売以来、調査しうるすべての資料が2月25日表記だったのにも関わらず、それから1年以上経った時期に発行された書籍が、突如として2月15日表記になっていたのである。その裏にはどんなドラマが展開されたのであろうか。通常、これらのデータベースはメーカーの確認が入って初めて成立するものであるため、その過程において何らかの人為的ミスが起こった可能性は十分考えられるが、本旨でないためこれ以上の詮索はやめておこう。ともかく我々が調査した限りでは
そこから2月15日表記の連鎖がはじまっていたのだった。
この2月15日表記は、翌年のファミコンロムカセットオールカタログ'91(ファミマガ1991 No.9付録)、1995年8月20日発行の「超絶大技林'95年夏版」、96年春版、96年秋版と、徳間書店の発行する書籍に受け継がれていくこととなった他、なぜか、1991年9月13日発売の「週刊ファミコン通信」1991年9月27日号をはじめとするアスキー系の雑誌にも見られるようになるのであった。
※週刊ファミコン通信 1991年9月27日号(資料提供:ナポりたん)
※CONTINUE Vol.2 (資料提供:ナポりたん) やがて2000年9月24日、毎日コミュニケーションズが発行した、大技林の流れを組む「プレイステーション対応CD-ROM版 広技苑2000年夏版」や、太田出版発行「CONTINUE」Vol.2、Vol.3、宝島社発行「僕たちの好きなTVゲーム'80年代懐かしゲーム編」など様々な出版社の発行物にまで連鎖していくのである。
◆途絶えなかった2月25日説◆ そんな2月15日表記の勢力は思いのほか強力で、発生から現在の2021年2月に至るまで、およそ9割以上のゲーム雑誌、WikipediaなどWebサイトが採用する流れとなり、それどころか2000年代に発行された「ファミコンプリート」、「ファミリーコンピュータ1983-1994」といった初期カタログ本から、近年発行ラッシュがつづいたレトロゲーム本たちに至るまで、ほぼ全ての書籍に採用されてしまっているのが現状である。
そんな中でも、かろうじて2月25日説を採用する流れが途絶えなかったのは、今思えば
奇跡に近かった。
※ゲーム年鑑1989の該当ページ (資料提供:あかみどり) 特筆すべきは1992年5月27日から1993年4月29日にかけてアスキーより発行されたゲーム年鑑シリーズの「1989年版」で、当時、この書籍だけが2月25日説を貫いていたのだ。その理由として、この書籍はアスキー発行でありながら実質は別の編集プロダクションが担当していたため、新たな担当者がメーカーへ直接、問い合わせしていたからだという話が伝わっている。
また、翌1994年1月7日に発売された角川書店「ぼくらのTVゲームHistory ファミコン10年!」が2月25日説を採用したことは
“ある種の偉業だった”と表現しても大げさではあるまい。

なぜなら巻末に掲載されたファミコンソフトリストの存在である。その冒頭に誇らしげに刻まれていたのは
資料協力:任天堂株式会社というパワーワードだったのだ。

実はこの手のレトロゲーム本のファミコンソフトリストに任天堂が資料協力する例は過去にほとんど例がなく、この事実は研究者たちを大いにざわつかせたのだった。逆に言えば、このリストの信憑性はとてつもなく高いということになるだろう。
ちなみに、2月25日説は一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会が毎年発行している「CESAゲーム白書」には脈々と受け継がれており、無事に、というべきか、2013年6月28日発売、NTT出版発行のファミコン正統書「ファミコンとその時代」に採用される運びとなったのはお見事としか言いようがない。さすがは元任天堂のファミコン開発者・上村雅之氏が満を持して上梓した著書といったところか。
※「ファミコンとその時代」ファミコンの国内ミリオンセラータイトル一覧より。このデータは2010年版「CESAゲーム白書」が出典となっている
※メディア芸術データベース「ファミコンジャンプ」検索結果より しかしそんな氏が所属する立命館大学ゲーム研究センターがデータ提供をしているはずの(
※)、文化庁「メディア芸術データベース」ではどういうわけか超絶大技林を出典として2月15日説を採用していたり、2018年7月7日に「週刊少年ジャンプ」の創刊50周年を記念してリリースされた「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョン」の
公式ページでは発売日こそ2月25日になっていたが、
なぜか発売年が1988年となっていたり、、、状況はより一層、混乱を極めている。
※公式ページの『ファミコンジャンプ』の画像をクリックしたら現るページ 我々はそんな現状に、ファミコンジャンプ発売日問題の根深さを改めて痛感させられたのだった。
◆2月15日説の可能性◆ ここで、2月15日説の可能性について言及しておきたい。
当時のチラシやTVコマーシャル、現在でも閲覧できる公式サイトのデータベースまでもが2月25日を発売日としていたとしても
「何らかの理由で2月15日も正解」という可能性は0ではないからだ。
たとえば1988年12月15日付の日経流通新聞によると『ファミコンジャンプ』は「百貨店、スーパー、がん具専門店などのほか、一部書店ルートでも販売する」とアナウンスされている。また「ファミコン通信」1991年5月2日号 No.9によると書籍ルートのほかにコンビニでも販売されていたらしいのだ。弊ブログが同タイトルの話題を取り上げた際、コメント欄にも同様の証言がいくつか寄せられていたのは記憶に新しいところである。
※(資料提供:ナポりたん であるならば、もしかしたら書店ルート販売のほうが2月15日だったのではないかというのが
2月15日書店ルート発売日説である。なぜ書店ルート販売を10日も早める必要があったのか。なぜ書店ルート発売日が2月15日だった証拠資料が見つからないのか(当時のジャンプを調べた限りそのような記述は存在せず)、色々疑問は残るものの、たとえば出版業界では慣習的に出版社から取次に搬入されて以降を「搬入発売日」とすることから(
※)、もしかしたら書店流通分に限っては2月15日が発売日と内部でアナウンスされていた可能性も否定できないわけだ。
ここで『ファミコンジャンプ』には型番ありのシンセイバージョンが存在することが想起される。(
※)
資料提供:石之丞 実は『ファミコンジャンプ』は1タイトルでありながら、バンダイ版とシンセイ版と2種類存在することがわかっており、それぞれ玩具流通と書店流通だったのではないかという可能性も指摘されている。
資料提供:石之丞 箱に記載された住所を見てみるとシンセイ版の郵便番号が5ケタになっていることから、当初は、シンセイ版のほうが後期版と見られていたが、調査が進むとバンダイ製ファミコンソフトの箱の郵便番号が5ケタ表記に変更されたのは1989年になってすぐの時期である可能性が非常に高く、この時期のバンダイ製ファミコンソフトは発売日が延期されるなどの影響で、発売順と郵便番号の表示が前後しているケースもあることから必ずしも3ケタより5ケタの方があとに販売されたわけではないことが判明している。したがって「書店流通=15日説=シンセイ版」は完全に否定できるものではなく、謎は一層、深まるばかりである。
いずれにせよ、日本ビデオゲーム考古学会は2月15日説の火を完全に消したわけではないとのことだ。
◆調査資料一覧表◆ 最後に、日本ビデオゲーム考古学会のメンバーが調査した主な資料の一覧表を貼っておくことにする。これはあくまでも調査用のメモであり、公開用資料でないとのことであるが、許可を頂いたのでそのまま公開しようと思う。したがって体裁が整ってない部分には目をつむって頂きたい。
※ニンテンドークラシックミニファミリーコンピュータ週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョンのホームページの記載はなぜか1988年となっていますが、おそらく誤字です。 こうして見ると、1990年3月に突然、2月15日説が現れて、その後、勢力を拡大していった様子がわかるのだ。なお、ファミコン必勝本やマル勝ファミコン1989年NO.16付録「ファミコンRPGオールカタログ」の提唱する2月23日説については、見なかったことにしよう(笑)
|  | ファミコンジャンプ、謎多きソフトやで、、、 |
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<情報提供のお願い> 日本ビデオゲーム考古学会では「ファミコンジャンプ発売日問題」に関する情報を随時募集しています。この調査はまだまだ続行中です。つきましては、この記事のコメント欄や、メンバーのTwitterのほうへドシドシ情報をお寄せくださいませ。
その際はハッシュタグ「#日本ビデオゲーム考古学会」あるいは「#日ビ考」を付けてくださると、よりありがたいです。どうぞ、よろしくお願いします。
日本ビデオゲーム考古学会とは?
twitterのDMなどで活動。主に日本のレトロゲームを研究する任意団体である。通称:日ビ考。
所属メンバー(五十音順)
あかみどり@akamid83
オロチ@oroti_famicom
スペマRP@spmrp
天道ブイ@tvgamepv1
ナポりたん@naporitanPG
ノヒイ ジョウタ@toroshan
BAD君@BigAfroDogg
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