◆情緒あふれる社風◆ 「オモいカルチャーをオモチャーと言う」「クーソーしてから、寝てください」など奇抜なキャッチフレーズで一世風靡したナムコは、遊びをクリエイトする超発想集団として活躍したゲームメーカーである
(現在はバンダイと合併)。ただしその根底に創業者・中村雅哉が提唱する
「第5次産業=情緒産業」という理念が流れていたことを知る人間は意外と多くない。
ファミコン参入以前からナムコは「情緒」をキーワードに、オリジナリティあふれる製品をつぎつぎと世に送り出していたのである。
出典:ゲームマシン1984年1月1日号 その着想については
天才数学者・岡潔(おかきよし)を想起させる。西洋思想が支配していた数学の世界へ日本的情緒を持ち込み数々の功績をのこした岡のように、おそらく中村もアミューズメント産業へ「情緒」という概念を持ち込みたかったのではあるまいか。
書籍「セガVS任天堂」ではそんな彼の姿勢が以下のように説明されている。
ただ漫然とアタリの製品を複製したのではない。「とにかくオリジナルなものを作れ」というのが中村の指令。七八年にインべーダーゲームが大ヒット、業界がわれ先にコピーに走った時も中村はそれを許さず、独自ゲ—ムの開発を推進して対抗、ユニークな製品を継続的に送り出せる研究開発体制を作り上げてきた。中村は陣頭指揮でゲームソフト会社への脱皮を進めてきた。ハードではなくソフトで情緒を満足させる産業。ハイテク時代は同時に「情緒産業」であると考えてきた。 出典:セガVS任天堂,154p(1993年発行)
インベーダーゲームには
あの任天堂ですら追随したというのに
(※)、ナムコはあくまでも独自ゲ—ムの開発にこだわったという。ちなみにこのとき生まれたのがあの名作STG『ギャラクシアン』だ。
※近年の評価では『ギャラクシアン』をインベーダー追随作品と位置付けることが多くなっているが当時はその技術力の高さから革新的ゲームとまで言われ追随作品とは見なされていなかった。
そんなナムコのものづくり精神がゲーム業界だけにおさまらなかったのは言うまでもない。顕著な例といえるのがその名も「情緒ロボット」と呼ばれる一群の製品である。
そのラインナップは受付ロボット「受付小町」や相棒である給仕ロボット「キュージくん」。音楽を演奏するロボットバンド「ピクパク」など多種多様。
出典:アナタとワタシのナムコ伝09「マッピー」 ナムコの看板ゲームキャラクターのひとりマッピーも、元々は迷路脱出ロボットとして製品化された情緒ロボットなのだ。
印象深い広告がある。
※当時のナムコポスター(左)と誌面広告(右) やや通俗的な構図ではあるものの「弊社の訴える情緒とは高尚なものではなく、もっと他愛もないものですよ」というメッセージ性は伝わってくるだろう。
◆自由奔放すぎる広報誌◆ 今回紹介するのは、そんな自由奔放なナムコの
情緒リミッターが外れてしまったような広報誌「namco COMMUNITY MAGAZINE NG(エヌジー)」である。

NGはいわゆるナムコ黄金期の真っ只中である1983年に季刊誌として創刊。主にナムコ直営アミューズメント施設などで無料配布されており、1986年に月刊誌となってからは有料となったようだが、あいかわらず無料で配られるケースも多かったらしい。
内容はナムコの新作ゲームを中心とした様々な製品の紹介はもちろんのこと、中村社長へのインタビュー記事や看板キャラクターの双六、過去の求人広告特集など盛りだくさん。

出典:NG 1983年 第2号

出典:NG 1985年 第8号

出典:NG 1987年 10月号
また、ファンと編集部が交流する読者コーナーや『ワルキューレの伝説』のキャラクター原案者として知られる冨士宏の漫画、ナムコ出身のSF作家・大場惑によるショートショートなど千差万別多種多様。
とくに月間化してからその自由奔放さに磨きがかかったようである。

出典:NG 1987年6月号
たとえばこちらのページ。
新作ゲームの紹介記事のはずなのに、なぜか
裸で螺髪(らほつ)のズラをかぶりサングラスをかけて笑顔でゴミ箱に入っているキッチュな男性の写真が添えられている。この異常な情報量の多さは何だろうか。写真を文章で説明しただけなのに既に胸焼けしそうだ......。

出典:NG 1987年3月号
こちらは、あの世界的映画監督ジョージ・ルーカスと中村社長の対談記事。
あらためて申し上げるがNGはあくまでも一企業の広報誌である。日本がバブル景気に湧いていた時代だったとはいえ、こんな豪華な対談記事がゲーセンで無料配布されていた小冊子に載ってしまうなんて
座標がバグっているとしか考えられない。(笑)

出典:NG 1987年7月号
そして名物の投稿コーナーは、かつて公式サイトからナンセンスと評されたことがあるだけあって
(※)、その内容は編集部と読者の垣根をこえた無礼講宴会場と言ったところか。
たとえばとある投稿者の手厳しい応援メッセージを受けて、なぜかブチ切れてしまった編集部が読者全員にケンカを売るという暴挙に出た
伝説の「宣戦布告事件」など、そのやりとりはしばしばメジャー誌だったらありえない明後日の方向へ展開することも少なくなかった。
◆トガリまくりの竜馬くん◆ そんなアグレッシブなNG誌面の中でも、ひときわトガリまくっていた存在だったのが、エモーショナル・トイという1985年から1987年にかけて発売された玩具シリーズのひとつ
「はげまし人形 龍馬くん」である。
出典:NG 1985年11月号 彼が初めて紹介された記事を読んでみると、歴史上の人物としての坂本龍馬が説明されているにも関わらず「ジュラ紀に栄えた土佐に生まれた」だの「お姉さんのターミネーター乙女に特訓された」だの「体重3万トン」だの
デタラメな記述が何のフォローもなく、これでもかと書き殴られているではないか!
もともと坂本龍馬が大嫌いならともかく、モチーフ商品を開発させてもらっている立場であるにも関わらず坂本龍馬を茶化すようなマネをするなんてのは
甚だしく敬意を欠いた行為のように見えるが、それは何十年後かにジジイになって読み返してるからそう思うだけなのかもしれない。かくいう私も恥ずかしながら十代後半から二十代にかけてはアングラ系ロックバンド活動なんかしており
(※)、
訳もなく全方位に中指を立てる「無礼の極み」のようなクーソー人間だったことが懐かしく思い出される。
そもそもNGは
ごく限られた若年層コミュニティ向けの小冊子だったことを忘れてはいけない。きっとそこにはその時代、その年齢にしか通じないノリみたいなものが存在したはずだ。少なくとも何十年後かに、すっかり壮年になったファミコン世代のジジイに読まれることなど想定してないことだけは確かである。ただ、そのような考慮ポイントを差し引いてみても龍馬くんのトガリっぷりには我々の心をくすぐる何かがあるのだ。
たとえば彼の連載コラム「だまされちゃいかんぜよ」の第1回を読んでみよう。
出典:NG 1987年5月号 要約すると、ファミコンばかりやっていた少年が大きくなってゲーム会社に勤めるようになったが犬になつかれないばかりか人間にもまったく相手にされないという悲しい人生を送っている一方で、冒険ばかりしていた少年が大きくなって新聞記者になったら犬がしっぽをふって近寄ってきたという
自虐とも皮肉とも取れる何とも言えない話が寓話チックにかたられている内容だ。
たとえば高橋名人の「ファミコンは1日1時間」という名言には
ファミコン以外の外遊びもするようにという明確な思いが込められていた一方で、こちらのコラムは「たぶんそういうことが言いたいんだろうな」と察することは容易であるものの、登場人物の扱いが露骨なファミコン否定(或いはゲームメーカー)否定となっているため理解よりも不審感のほうが勝ってしまうのである。とてもじゃないがファミコン版『ゼビウス』のヒットで本社ビルを建てたという都市伝説が囁かれるくらいの恩恵を受けているゲームメーカーが臆面もなく、自らの広報誌に載せていい内容だとは到底思えない......。
だが先ほどから述べている通り、我々は
「現代の価値観」というモノサシで30年以上も前のコラムを計ってはいけないのである。時代背景を無視した解釈など無意味だ。
出典:朝日ジャーナル1986年4月11日号 このコラムが掲載された1986年は文藝春秋や朝日ジャーナルといった週刊誌が初めてファミコンを批判的に取り上げるなど
(出典「ファミコンとその時代」)、全国のPTAを中心に
ファミコンバッシングの熱が高まっていた時期だったことを見逃す私ではなかった。そこで鍵を握るのは「だまされちゃいかんぜよ」という題名だったのだ。
つまり作者は、あえてこのような毒にも薬にもならない御伽話
(おとぎばなし)を架空の文学者にさせることで、当時世にあふれていたであろう
ファミコン反対派の説教話にだまされるな!というメッセージをNG読者たちへ訴えたかったに違いない。
出典:NG 1986年11月号 その証拠に文中に記載されている穴田悟なる人物は『源平討魔伝』等のキャラクターデザインを担当したナムコ社員であり、また、
龍馬くんやがんこ職人などエモーショナル・トイシリーズを手掛けたそのひとなのであった。児童文学者を詐称したのはあくまでもパロディの一環だったと見るべきであろう。
穴田はNG誌上で
竜馬くんを名乗り、コラムを書いたり漫画を書いたり自ら広告モデルになったりと八面六臂
(はちめんろっぴ)の奮闘ぶりを見せており、当時のNGには欠かせない存在だったようだ。若き日の渡辺徹をほうふつとさせる男前ではないか......。
◆無記名コラム「NATURE SPECIAL」◆ そんな龍馬くんが活躍した頃のNG誌面のトガリっぷりはときに
高次元の彼方へと我々をいざなうこともあった。瞑想マシーン「忘我」の開発エピソードを見てみよう。
小山氏:
なんでもやらせてくれていた、という一例で……『忘我(ぼうが)』を覚えていますか? 私が入社した1990年当時、「もう5年も研究している」と先輩が言っていた機械です。入社したばかりのある日、先輩に実験台にされたことがあるんですが。
──どのような機械なんでしょう?
小山氏:
メディテーション(瞑想)ができるというか、リラックスができるというか、あの世に連れて行かれそうになる機械です(笑)。入社したばかりのある日、先輩に「ちょっと来て」と呼ばれて黒い椅子に座らされ、頭にバイザーのような機械をかぶせられたんですよ。すると、風や匂いが出たりして、目のあたりに光が回りながら照射されたり、何か独特の音楽を聴かされたりして……たぶん10秒ぐらいで意識を失ったと思います(笑)。当時は「第6次産業を目指したマシン」とか言われていましたね、『忘我』。
──「第6次産業」というのは?
石川氏:
私もいまだによく理解できていませんが(笑)、中村いわく、「小売業やサービス産業が第3次なら、第4次は情報を扱う産業。第5次はその延長の情緒産業だよ」と。そこまでは理解できましたが、第6次は「さらにその先の宗教的なものも含む」とか言っていました。
宗教の時代がやってくる!
結局のところ『忘我』は発売までには至らなかったとのことであったが、ここで語られている通りなら創業者・中村雅哉は1980年代半ばには
「第6次=宗教的産業」というさらなる高次元ステージを見据えていたことになるだろう。
※この第6次産業については、今でもバンダイナムコの公式サイトに中村自身が語っている内容がニュースリリースとして残っている。 当然、ナムコ直属の紙媒体であるNGがそんな社風の影響を受けないわけがなく、1987年頃からは啓発的・精神的・宗教的な内容の記事が増えていったのだった。たとえば「NG」1987年7月号に掲載されたNATURE SPECIAL「太陽の陽の下で」と題された
無記名コラムで語られているのはなんと日本神話である。
出典:NG 1987年7月号 ただしそれは「古事記」や「日本書紀」など正統なものではなく、かといって「武内文書」など古史古伝にも見られない、某神道系新興宗教団体の教義などに見られる
スピリチュアル風味強めの解釈による日本神話となっているため異質さが際立っている。
以下、冒頭部分を引いてみよう。

●天地創造より愛をこめて
万象が作られる以前は、一切が無であった。古文献によると“アシカビの世”といわれ、霧のような葦牙(アシカビ)のような世界で、無=0、零=霊、そのものの世界であった。(以下略)
アシカビとは葦
(あし)という植物の若い芽を意味する言葉であり「古事記」にはもっとも初期に現れた別天津神
(ことあまつかみ)の一柱として宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)という名の神様が登場している。國學院大學
「神名データベース」によるとこの神様は道教など古代中国思想の影響を受ける以前のより素朴な日本的思惟をとどめている存在であり、天地開闢
(かいびゃく)のとき最初に生まれた神様だとする説すらあることを考えると、アシカビを前面的にフィーチャーすること自体に不自然さはないのだが、次の「無=0、零=霊」という記述で一気に言霊
(ことだま)系自己啓発臭がただよいはじめ、以降はもはや丹波哲郎のイメージしかない「大霊界」という言葉が飛び出すなどオカルトエンジン全開状態。こんな御大層なものを読まされた
NG読者の少年少女たちはさぞかし戸惑ったことだろう。
※ちなみに私オロチは当時から宗教・神話・オカルト大好き人間だったのでぜんぜんいけたクチだ。 さらに読み進めて行くとこのコラムは「天岩戸伝説→太陽の恵み→フロンガス問題」という強引な流れになっていて最終的に「もっと太陽の光を浴びよう」という唐突な太陽礼賛で締めくくられていた。すなわちそれはインドア遊びの否定に他ならない。つまり前述の龍馬くんといいこの宗教コラムといい行きつくところはインドア=ゲームの否定なのだ。
そもそもNGの発行に関してはナムコの企業案内資料にて
「ゲーム一辺倒では冒険心を満たすことができません」と説明されていたことを考えると
(※)「一貫性がある」という言い方もできるのであるが......。
ちなみに高橋名人が誕生したのは1985年5月3日に千葉県で開催された「コロコロまんがまつり スターフォース発売前大会」と言われているので、実はゲームメーカーが
ファミコンを否定するような発言をしたのは高橋名人よりもナムコのほうが先なのである。
※当時高橋名人は「ゲームは1日1時間」発言で問屋業界から非難されたらしい。
その後、NATURE SPECIALは枠が縮小される形でトーンダウンしていったものの第2回「月」、第3回「火と水」とあいかわらず自然をテーマに頑張っていたのだが、第4回目にして路線変更。なぜか
自社製品のエモーショナル・トイ「がんこ職人」をプッシュする提灯記事へと変貌を遂げている。あれれ~、おっかしいな~。ねえねえ、たしかエモーショナル・トイといえば龍馬くんもだよね!?
下手な詮索はやめておこう。かくして号を重ねるごとに醸成されていったNG編集部の「反骨精神」は
とある読者のメッセージが引き金となって大爆発することになるのだが、それはまた別のお話。
|  | ②へつづく |
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<ナムコの広報誌「NG」トガリまくった世界>
① ゲーム否定派!?の龍馬くん
② 前代未聞の宣戦布告事件
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