出典:NG 1988年3月号 同記事内のこちらのヒステリックな文章にも鬼気迫るものがある。
いったい何があったと言うのだろうか?
◆WHAT'S NAMCO◆ どうやら遠因となったは1987年11月号から始まった「WHAT'S NAMCO」というコーナーらしい。その第1回目は「NG編集部からVGF(ビデオゲームフリーク)への手紙」と題されたコラムが掲載された。
出典:NG 1987年11月号 内容は1960年代に創立されたナムコがときの権威へ反発し、いかに自分たちの価値観をつくりあげていったかという起業譚だったのだが、途中から様相が一変。
出典:NG 1987年11月号 「氾濫する情報と混乱する文化が生んだものは、人間らしさの崩壊だったのではないでしょうか」という反情報化・反消費化社会のような言説を語りだしたと思いきや、
今の子どもたちは自然を体で感じなくなった→イジメや自殺が増えたなんていう、かなりアクロバティックな論理展開が飛び出す始末。
これは元々ナムコ社内報「遊」にて社員向けに問題提議されたものらしく、よくよく読んでみるとそれなりにデータに基づいた見解だったようだが、私はファミコン世代なのでどうしても読者目線になってしまうことをお許し願いたい。ハッキリ言ってゲームメーカーの小冊子を読んでいたのにゲームを否定するような説教をされる意味がわからない。
出典:NG 1987年11月号 ただ、ジジイになった今ではわからんでもないのだ。この編集部の不可解な所業はいわゆる
「最近の若いもんは」のバリエーションのひとつだと考えると腑に落ちるのである。
戦後、現代社会の技術革新における利便性の向上には目覚ましいものがあり、一昔前はとんでもなく苦労したことが一瞬でできるようになったりする。したがって歳を取れば取るほど
世の中がどんどんイージーモードになっていくような気がするのは仕方ないことだ。ジジイになると昔は当たり前だった「しなくてもよかった苦労」を美化したくもなるし、そのような苦労に趣
(おもむき)を感じる酔狂人すら出てくる。それはキャンプで食べるカレーがやけに美味しい理屈と根底は同じなのだ。私はそのような若者論が害悪だとはまったく思わない。なぜなら若者のことを理解したい人間ほど若者論を口にするからだ。
そう考えるとNG編集部の「VGFへ手紙」による若者批判は
読者のことを理解したいという気持ちの裏返しだと解釈するべきであろう。
出典:1988年2月号 その後、WHAT'S NAMCOはまったく別のテーマを挟んで第4回目にふたたび啓発的コラムを発表。読者による様々な反響を掲載しつつ
「昔よく貸本屋のオヤジに釣銭チョロまかされたけど夢があった」という正直何が言いたいのかよくわからない話を力説するのだった。
現に、まったくピンと来ない読者もたくさんいたようで「WHAT'S NAMCOは何のためにやってるの?」という疑問が編集部へ殺到していることが記事の片隅で明かされていた。こういうところを包み隠さないのがNGっぽくもあり......。

しかしそんな問いに対しても編集部は
「生きるため」という雲をつかむような返答をしており、余計に混乱を招くのみであった。そもそも「何のためでも誰のためでもない」という語句が文章にリズムをつけるための枕詞みたいなものではなく本心から出た言葉であるならば、そんな漠然とした気持ちで始まったコーナーが第三者に理解されるわけがないので、疑問が殺到するのは当たり前である。
ただ、これも当時の時代背景を考えると印象が変わってくるのだ。

この特集が組まれた1988年2月はナムコが長い間、活動してきたファミコンという舞台に一定の距離をおこうと模索していた時期と重なるのである。ちょうど『妖怪道中記』でPCエンジンへ初参入したのが1988年2月なのだ。
出典:ゲームマシン1989年9月1日号(アーカイブ) 翌1989年2月には『フェリオス』でメガドライブにも参入しているし、同年7月にはあの有名な
「ファミコン契約更改」事件が起こっている。このナムコ屈辱の日に至るまで社内外で様々なゴタゴタがあったことは、後年のSNSにおいて多くの関係者各位が証言しているところであり、今さら私が説明するまでもないだろう。
(※) そんな渦中にあったNG編集部の「生きるため」という言葉には、ある種の迫力がこもっているではないか......。
◆NGはナムコのPR誌ではない!?◆ しかしそれを許さなかったのが熱心な読者の一人・N村えるふである。
出典:NG 1988年3月号 N村は編集部に対して
「NGはナムコのPR誌でしかなかった」と啖呵を切ったあと「読者コーナーでゲームの話ばかりするな」「WHAT'S NAMCOを読んでも何も感じない」「お茶を濁さずハッキリ堂々とものを言え」という忌憚
(きたん)のない言葉をぶつけたのだ。
すると編集部(オヤジ)はN村に対して一定の理解を示すような返答をしていたにも関わらず、同じ号のWHAT'S NAMCOのコーナーで宣戦布告するという事態へ突入するのだった。それが本記事の冒頭で紹介した「宣戦布告」のページである。
出典:ゲームマシン1983年3月15日号(アーカイブ) 「ナムコのPR誌でしかない」という言葉の何がそんなに癪
(しゃく)に障ったのか。外野の人間にはサッパリわからないだろう。なぜなら、創刊を伝える当時の業界紙「ゲームマシン」を参照するまでもなく1983年にNGがナムコの新製品をPRするために生まれた社外用PR誌であることはナムコ自身が認めている明白な事実のだから。
だが、熱心な一部の読者や当時のNG編集部にとっては違ったらしい。つまり彼らはNGが
メーカー広報誌以上の存在になることを望んでいたということなのである。
出典:NG 1988年4月号 次号1988年4月号ではさすがに前回の宣戦布告に対して多くのリアクションが届いたようで、ある読者は「ナムコの敷いたレールの上を歩くつもりはない」とバッサリ斬り捨て、ある読者は「今のNGにはハングリー精神が消えうせた」「内輪ネタだけで盛り上がっているだけ」と真摯な意見を述べ、ある読者は「ナムコのPR誌で何がイケないんだ!」と憤りをあらわにしていた。
さらに次の号では発端となったN村えるふが満を持して再登場。
出典:NG 1988年5月号 腕をケガした少年がゲームセンターで友達の補助を受けながらプレイしていたという思わせぶりな話を披露したN村は「こういう行動にはハートがある」と主張。今回の騒動に関係あるのか、ないのかイマイチよくわからないこの話に対して読者コーナー担当のオヤジが
「バカ言ってんじゃねえ、そいうやつは迷惑だ。世間じゃ通用せんぞ」と反論するという、泥沼の様相を呈したところで私はこの事件を追うのをやめた。
キャラだとはわかっているものの、正直この「オヤジ」という読者コーナー担当者の
わざとらしい“べらんめえ口調”がいよいよ鼻についてきたからだ。そもそも率直な気持ちを自分たちの言葉で包み隠さず訴えている少年少女たちに対して一枚キャラクタを乗せている大人が相手をするはフェアじゃない。少なくともそれがN村の意見を頭ごなしに否定し口汚く罵
(ののし)っていい理由にはならないはずだ。投稿者のメッセージに担当者が露悪的なコメントをつけるという点だけでいうとかつてファミコンショップTVパニックで無料配布されていた「TVパニックプレス」の末期を想起させる。
(※) というわけで、以降の宣戦布告事件は「第2の刺客」が現れたり「編集部ドラクエ3絶賛事件」が起きたりと色々ありながらも収束に向かっていくことになるのだが、さいごに印象深い読者メッセージをひとつだけ紹介させてもらおう。


私の周りにも季刊NGはいつも楽しみにしてとりに行ってたのに、今はもうとらなくなった友人が一人や二人ではない。確かWHAT'S NAMCOができてから季刊のファンだった人が見捨てたようですね。ようするにWHAT'Sを見てからNGの輪の中に入りこんだヤツがNGを変えて、いや崩壊させてしまったのである。何がNGの原点だ? NGの原点はナムコのPR誌だ。それで十分おもしろかったのよ季刊は。出典:NG1988年9月号
古参投稿者の至極まっとうな意見である。NGにとっては最も耳が痛いであろう芯食ってるメッセージだったのではないだろうか。あいかわらずオヤジは「バカいってんじゃねえ」と悪態をついているが、ここで注目すべきはS子の
「みんな、WHAT'S NAMCOをひきずりすぎ」発言だ。どうやら消火活動に舵を切ったようである。卑怯だね。大人は。(笑)
ちなみにオヤジはこの1988年9月号を最後に読者へのコメントはしなくなり、とくに何のアナウンスもなく、翌10月号を最後にスタッフクレジットからも名前が消えていた。
◆世代をこえたシンパシィ◆ 私オロチは小学生のときにファミコン全盛期を迎えたバリバリのファミコン世代だった。この世代はクソゲーをやり慣れてしまったせいで世の中にどこか冷めていて達観しているところがあり、夢を見ず冒険もせず
好きなことさえできれば多くを望まないというスタンスで生きていると分析されることがある
(※)。
また、我々は「氷河期世代」とも呼ばれバブル崩壊後の日本でロクに就職もできなかった
谷間世代(ロストジェネレーション)とさんざん揶揄されてきた。N村のようなアツい思いをもってる人間ですらこうやって頭から否定され潰されてきたのだ。それでいて「夢のない時代」とはずいぶん笑わせてくれる。ファミコンソフトをつくっていながら「もっと自然と触れ合え」だの、情報を氾濫させている側でありながら「人間らしさの崩壊」だの、この世の沙汰は本当に欺瞞
(ぎまん)だらけのウソだらけ。今さら驚きやしない。むしろそんなトガリっぷりが懐かしくもあり微笑ましくもある。なぜなら我々は冷めてるから!(笑)
出典:NG 1988年3月号 ただひとつだけ気になることがあった。宣戦布告文の「NGスタッフの多くは昭和30年代生まれ」という一文がふと頭をよぎったのだ。念のため調べてみると彼らは
「しらけ世代」と呼ばれていた1950年~1964年生まれの世代だということが判明したのだ。
しらけ世代(しらけせだい)は1960年代に活性化した日本の学生運動が鎮火したのちの政治的に無関心な世代。(中略)真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者にも適用された。(中略)彼らが就職した時期はオイルショック後の低成長期で、後の就職氷河期ほど酷くはないものの、オイルショック前に就職した上の世代に比べると就職環境は厳しかった。
しらけ世代とファミコン世代......。
驚くほど境遇が似ているではないか!
私は不覚にもWikipediaの
「真面目=かっこわるい」という解説に納得してしまったのだ。振り返ってみれば、ゲーム紹介記事で大仏のズラを被ったサングラスの男がゴミ箱に入って笑っていた理由も、龍馬くんの新製品情報で坂本龍馬の説明がことごとくデタラメだった理由も、ナムコのPR誌であるにも関わらずナムコのPR誌であることを拒んだ理由も、すべて真面目がかっこわるいというキーワードで合点がいくからである。
出典:NG 1988年8月号 さらに言えば私がNGのトガッた記事を拒絶しながらも、そこはかとないシンパシィを感じていた理由もどうやらこれだったらしい。同じような境遇の世代同士で何となく通じ合うものがあったのだろう。なんとも因果な話ではないか......。
🐍🐍🐍
結局、WHAT'S NAMCOは1988年12月号をもって掲載されることがなくなり、折りしも日本はその直後に
「平成改元」という大きな節目を迎えている。
※ちなみに「WHAT'S NAMCO」最後の特集は藤子不二雄インタビューという今までとはまったく毛色の違う内容だった。
それ以降のNGは人気投票で1位を獲得し毎月表紙を飾っていたてヒロイン・カイが降板し、雑誌の顔であるロゴも変更され、さらに隔月発行となるなど、まるで憑き物が落ちたように何もかもを刷新。「ディズニーランド」や「バレンタインデイ」の特集をするような健全な広報誌へと成長を遂げていくのであった。
|  | めでたしめでたし! |
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<ナムコの広報誌「NG」トガリまくった世界>
① ゲーム否定派!?の龍馬くん
② 前代未聞の宣戦布告事件
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