◆ゲーム機をファミコンと呼ぶ母親(オカン)たち◆ ファミコン世代の母親(オカン)たちは家庭用ビデオゲーム機のことを何でもかんでも「ファミコン」と呼んでしまう。もはやインターネットミーム化して久しい手垢まみれのあるあるネタであるが、今回はこの所謂
「オカンミーム」について改めて考察してみたい。
オカンミームの特筆すべき点としてその有効範囲の広さが挙げられる。たとえば古くからゲームボーイなどハンドヘルド機がファミコンと呼ばれた例や、さらにプレイステーションなどCD-ROM系のハードすら容赦なくファミコンと呼ばれた例などがゲーム雑誌の読者コーナーやWEBサイトなどで報告されてきた。もはや彼女らにとって
「ゲーム機=ファミコン」であること以上の理解は必要ないようだ。
たとえば、かつて発言小町ではネオジオと推定されるゲーム機が
「黒いファミコン」と称されたこともあった。
(※注釈:この書き込みについては創作を疑う声も上がっている)リビングのテレビに、黒くて大きいファミコンが繋がれていました。雑誌を参考にしながらつくったインテリアには似つかわしくないので、夫にはそのファミコンを早く処分するようにお願いをしていました。
(中略)
ファミコンと、文学全集の本のように棚においてあった大きなカセットを全部持って、車で近所のゲームの買い取りをやっているところに持っていきましたが、うちでは扱えないと断られてしまいました。買い撮りすらしてもらえないものを大事にしていた夫に改めて腹が立ち、粗大ゴミを出すところに全部置いてきてしまいました。段ボール箱に入れたらあふれるくらいあったので、すっきりしました。
もし筆者が妻に同じことをやられたらショックで仏門を叩くレベルである。
◆強烈で根強いバイアス◆ またオカンミームはその息の長さも特徴的である。
例として
行政のゴミ分別表が挙げられる。これは日本全国の各自治体がそれぞれ作成し公式サイトにアップしているものなのだが、この令和の時代に、もうとっくの昔に生産が終了した「ファミコン」の項目を、何の疑問もなく載せている自治体がいくつも存在することが弊ブログの調査によって判明したのだ。

これは即ちファミコンが誕生して40年が経とうとしているのにもかかわらず、
いまだにオカンミームは現役バリバリであることを意味する一例と言っていいだろう。我々ファミコン世代の母親たちにかかっている認知バイアスはそれほどまでに根強いのだ。
参照記事:幻の「ファミコンデッキ」大調査 ~行政のゴミ分別表にしか存在しない謎のゴーストハード~ なお、ファミコン世代が現在40代から50代だとして
(諸説あり)、その母親たちは現在60代から90代になっているだろうから、かつて我々を「いつまでファミコンやってるの!」と叱ってくれた彼女たちは今やおばあちゃん或いはひいおばあちゃんになっている。その一方で現在の子育て世代の中心である20代~40代の母親たちはゲームネイティブ世代であることから、今の時代、そのようなミームは通用しないといった指摘が
togetterなどで散見されるが、そんなことは当たり前であってわざわざ混同する意味がわからないというのが正直なところだ。
とはいうものの便宜上、本稿ではファミコン世代の母親たちのことを
「オカン世代」と呼んで、現在の子育て世代と区別するものとしよう。
◆ファミコン一般名詞化の特殊性◆ さて、話は1980年代半ばの第1次ファミコンブーム期まで遡るわけであるが、この時代、全国各地へ爆発的に普及していた「ファミコン」は家庭用ビデオゲーム機のなかでは群を抜いて高い認知度を獲得。ただしオカン世代からすれば「ゲーム機」という概念自体が新しすぎるため理解が追いつかず、なにやらテレビを不法占拠するピコピコ
(※)とうるさい謎の物体がすべて同じに見えてしまうという悲劇が各家庭で起こったのだ。
(※注釈:ゲーム機の総称として「ピコピコ」と呼ぶオカンも存在するが、今回のテーマからは外れるので本稿では言及しない) セガ・マークIII、PCエンジン、メガドライブといったハードがおそらくその標的となったであろう。彼女らが節操なくそれらの物体に対して、覚えたての「ファミコン」という言葉を投げつけるようになったのは想像に難くない。このようにしてオカンたちは
「ファミコン」をゲーム機の総称と誤認していくのだった。
これは
“商品名の一般名詞化(普通名詞化)”と呼ばれる現象であり、専門的には提喩(シネクドキー)に含まれる比喩の一種とされる。ただし
ファミコンの場合はやや特殊な例と言えるかもしれない。
てい‐ゆ【提喩】
比喩法の一。全体と部分との関係に基づき、「花」(全体)で「桜」(部分)を、「小町」(部分)で「美人」(全体)を表現する類。シネクドキ。
なぜならカップヌードル、オセロ、セロテープ、ウォシュレット、テトラポッドなど元々商品名だったものが一般名詞化するケースは珍しいことではないのだが、そのなかで唯一とは断言できないまでも「国民的な知名度を誇る商品のなかで」という条件付きならばおそらく唯一「ファミコン」だけが
そのジャンルで名称を受け継がれた商品が存続してないからだ。
たとえばニコニコ大百科の
普通名称化している商標や固有名詞の一覧を覗いてみると、そもそもそのリストから生産終了した商品を見つけること自体が困難であり、見つけたとしても死語になっている言葉ばかりなのであった。
つまり商品名の一般名詞化という現象は
その商品が継続的に生産されつづけているからこそ発生する現象と言い換えることもできる。にもかかわらず、とっくの昔に生産が終了している「ファミコン」だけがその理
(ことわり)から外れているのだ。ご存知のとおり、商品名の存続性という点でいえば「ファミコン」の名を受け継いだハードは後続のスーパーファミコンのみ。そのあとに出たハードは当初「ウルトラファミコン」になると予想されたこともあったが結局「NINTENDO64」としてリリースされ、それ以降、任天堂からファミコンの名を受け継いだゲーム機は登場していないのである。
(※ニンテンドークラシックミニシリーズは除く) ただ、この特殊性については世代交代を繰り返すことが宿命であるビデオゲーム機というジャンルの性質を考えるとそこまで首をひねることではないのかもしれない。このジャンルにおける一般名詞化の第1号がたまたま「ファミコン」だったというだけで、そのあと別のハードへ名称が置き換わっていくはずが、ゲームネイティブ世代が子育て世代になったことや、スマホやタブレットの普及、ゲームハード種類の減少化などの事情があいまって、いつのまにかこのジャンルにおける一般名詞化がファミコンで止まってしまったのではあるまいか......。
そう考えるとオカンミームは根強いというよりも、そもそもゲーム機の一般名詞化がたまたま「ファミコン」の1回きりだったのだ。それ以降は
ゲーム機が一般名詞化する必然性自体がなくなったのかもしれない。
◆ゲーム機の総称誤認ではない例◆ いずれにせよオカンミームとは「ファミコン=ゲーム機の総称」という認知バイアスが引き起こす現象という解釈が妥当のように思えるのであるが、実はそうでもない例も存在する。
それは前述した行政のゴミ分別表のなかにだけに存在する「ファミコンデッキ」という項目についてだ。これはおそらく、もともと存在した「ファミコン」という項目がお役所解釈のもと独自の進化をとげた結果「ファミコンデッキ」などという、この世の存在しない謎のゴーストハードが誕生してしまった稀有な例なのだが、令和の現在にいたっても日本全国の自治体のゴミ分別表にまるで諱
(いみな)のようにに刻まれているその姿は、不思議を通りこしてもはや不気味ですらある。
先日、そんな
ファミコンデッキについての記事をエントリーしたらコメント欄にて興味深い指摘を頂いたので以下引用しよう。
何故デッキを付記するのか考えてみた
おそらく「ファミコン」をハード側でなくソフトメディア側と認識してるのではないか
するとその台座部分である「デッキ」が必要であるから
カセットデッキ、ビデオデッキと同じ扱いになる
2022/02/13(00:57) 12440.名無しさん URL
つまり「ファミコンデッキ」とはゲーム機の総称を「ファミコン」と誤認することによって発生したネーミングではなく
“ゲームの記録メディアの総称を「ファミコン」と誤認すること”によって発生したネーミングだった可能性があるというのだ。
実はこの論考は先日アップした
「ファミコン≠本体」論をめぐる雑考につながる部分でもあるのだが、このエントリーのなかで筆者は、そもそもファミコンという言葉自体には
“商品名としてのファミコン”と
“ジャンルとしてのファミコン”の2つの意味が内在していることをSNSリサーチ調査によって突き止めたのだった。
(※突き止めたというより確認したと表現したほうがいいかもしれない)
これはどういうことかというと、たとえば「大量のレコードが捨てられていた」と聞いたらレコードプレイヤーのことではなく、文字通り大量のレコードが捨てられていたと誰もが思うだろう。また「大量のCDが捨てられていた」と聞いたらCDプレイヤーのことではなく、文字通り大量のCDが捨てられていたと誰もが思うだろう。しかしファミコンの場合は必ずしもそうではなく「大量のファミコンが捨てられていた」と聞いたら、本来「ファミコン」はファミコン本体のことを指す商品名なので大半の人間が本体のことを連想するのであるが、
3割近い人間はファミコンソフトのことを連想するというリサーチ結果となったのである。
つまり世の中には「ファミコン=ファミコンソフト」という認識が有り得るということなのだ。それはそのままゲームの記録メディアの総称を「ファミコン」と誤認することもあり得ると考えて差し支えないだろう。
◆ファミコンデッキ誕生の瞬間(妄想)◆ では、オカン世代にそのような倒錯が起こったと仮定して「なぜ起こったのか」というメカニズムについて考えてみよう。週刊文春1986年1月30日号にこんな記述があった。
出典:週刊文春1986年1月30日号 オカンたちがファミコンを理解するためにはまずは自分たちの知っているものに当てはめる必要があったらしい。この記事ではファミコンがレコードにたとえられているが、筆者はどちらかというとカセットに例えた方が妥当だったのではないかと考えている。
オカン世代がカセットと聞いて想起するのは他ならぬカセットテープしかあるまい。

ファミコンの通常カセットの大きさはカセットテープとほぼ同じくらいであった。しかもそれらはしばしば、子どもたちから「ファミコン」とも呼ばれているではないか。それが省略だったのか、それとも概念だったのかはわからない。しかしその色とりどりの物体はたしかに子どもたちから「ファミコン」と呼ばれていたのだった。ではそれを再生する紅白のあの物体はきっと“デッキ”なのだろう。いやデッキに違いない。
カセットテープを再生するのはカセットデッキ。
CDを再生するのはCDデッキ。であるならば......。
ファミコンを再生するのは
“ファミコンデッキ”に違いない!

出典:丹波篠山市(兵庫)のゴミ分別表より
この世にファミコンデッキが生まれた瞬間である。
もちろん前段の冒頭でも述べたがあくまでもこれは例外であり、SNS調査のデータをそのまま借りるならば多くて3割くらいのオカンがそう誤認していた可能性があるという話に過ぎない。商品名であり概念でもある
「ファミコン」という言葉の特異性に起因する混乱のひとつと見做すべきであろう。逆に言えばそれほどまでにオカン世代にとってゲーム機とは、捉えどころのない未知の物体だった、と言い換えてみてもいいかもしれない。
◆まとめ◆ 遠い昔――
人類は困難にぶち当たったとき名前をつけて理解を放棄してきた。理解を放棄すればそれ以上考えなくて済むからだ。悩まなくて済むからだ。しかしそれは同時に試行錯誤の歴史でもある。それ以上考えられないときに人類は初めて「名前をつける
(理解を放棄する)」からだ。
筆者にはずっと疑問に思っていることがあった。それはなぜオカンたちはゲーム機のことを
そのままゲーム機と呼ばずにわざわざ「ファミコン」と提喩(ていゆ)するのかということだ。それはゲーム機という概念自体を理解できないからなのだろう。筆者はそうやってこの疑問を片付けようとしたわけなのだけれども、こうして考察を進めていくにつれ彼女たちは予想以上に混乱していたことがわかるのだ。それはきっと我々を理解しようと歩み寄ってきてくれた結果だったのではないか。筆者にはそう思えてならないのだった。
そうでなければそのまま「ゲーム機」と呼べばよかったのだから......。
|  | 次回は「ピコピコ」について考察するぜ!! |
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