◆魔王クッパと愉快な息子たち◆ コクッパたちが初めてマリオの前に現れたのは今から30年以上前。ファミコン版『スーパーマリオブラザーズ3』(1988年10月23日)がデビュー作だった。このとき魔王クッパは片足を上げながらノリノリで
「俺様の息子たちだぜ!」 (要約) と彼らを紹介している。
説明書には7人まとめて
「コクッパ7兄弟」 と記載されていた。
そう、彼らは血のつながった兄弟らしい。
出典:ファミコン版スーマリ3説明書より 兄弟たちはクッパのことを「オヤジ」と呼び、畏れながらも慕っているようである。
なお、母親についてはシリーズを通していっさい登場せず、誰なのか。なぜ出てこないのか。もうこの世にいないのか。など何ひとつ明かされていないため謎の存在となっている。
(※少なくともピーチ姫が卵を産む姿を想像するのはやめたほうがいい) ◆NESキッズたちの心を鷲掴み!?◆ マリオ3で華々しくデビューしたコクッパたちは、勢いそのまま、SFC版『スーパーマリオワールド』(1990年11月21日)に
「コクッパ7人衆」 として登場。
任天堂が王者のプライドを賭けて世に放ったファミコンの正統後継機「スーパーファミコン」のローンチタイトルという大舞台で、個性豊かなステージボスの役割を見事に果たすと、3年間のブランクを経て1993年7月14日にはスーパースコープ専用ソフト『ヨッシーのロードハンティング』にも出演。7人はややスローペースながら着実にキャリアを積み重ねていったのだった。
※その後、デラックスボンボンに連載されたスーパーマリオを題材とした本山一城の漫画シリーズにも一部出演。 ただしそれは日本でのお話......。
出典:「The Adventures of Super Mario Bros. 3」Episode: 20より 実はコクッパ兄弟の活躍は海外のほうが目覚ましい。
彼らは出演ゲームがなかった期間にもDIC ENTERTAINMENTが手掛けたアニメシリーズ「The Super Mario Bros. Super Show!」(1989年) や、「The Adventures of Super Mario Bros. 3」(1990年)、「Super Mario World」(1991年)といった作品にレギュラー出演しており、NESキッズの心にその存在感を刻み込んでいたのである。
(※ちなみに魔王クッパは、しばしば彼らを甘やかす親バカとして描かれた) おそらく、日本未発売の超マイナーマリオ作品CD-i版『Hotel Mario』(1994年4月5日)に登場したのも、海外では普通に人気があったからなのであって、とくに驚くべきキャスティングではなかったであろう。なぜなら、彼らは
「Koopalings」 という愛称で親しまれるキャラクターとなっており、マリオ世界のステージボスとしての地位をゆるぎないものに踏み固めていたのだから......。
※本作はしばしば「マリオ史上最悪のクソゲー」と称されることもあるが実際は奥が深い良作。(参照動画 ) しかしその陰には、ひとりの米国任天堂社員による
“偉大なアシスト” があったことは、あまり知られていない。
◆コクッパたちの名前の由来◆ 宮本茂のゲームデザイン論は独特だ。彼はしばしば自分が生み出したキャラクターに正式な名前をつけなかった。べつに愛着がないわけではないのだろう。ただ単に「そのとき必要なかった」という天才的な判断によるものだ。あのマリオですら当初はジャンプマンだのミスタービデオだの適当に呼ばれていたくらいである。
(※) コクッパにしてもクッパの子だから「子クッパ=コクッパ」という何のひねりもない呼称であったことは想像に難くない。もっと言えばノーマルステージが7つだから7兄弟ということにした。マリオ世界の神の手心によって「そうなった」だけのことである。
出典:NES版『Super Mario Bros 3』説明書より しかし米国任天堂(NOA)はNES版『Super Mario Bros. 3』(1989年7月15日)を自国展開するに当たって、コクッパ7兄弟に名前のないことを疑問に思ったのだろう。白羽の矢が立ったのは製品アナリストとして同社に勤めていたDayvv E. Brooksなる人物だった。当時のNOAにはローカリゼーション部門がなく、製品の翻訳作業は彼の部署が担当していたのだ。
彼は元々タワーレコードで働いており、しばしばDJを嗜
(たしな) むのほどの音楽好きだったので、欧米で活躍したアーティストや著名人など
実在の人物 をモチーフすることを思いつく。
(※ ) さっそく、それぞれの名前の由来となった人物を『3』登場順に解説していこう。
<Larry Koopa>
まずは青モヒカンのラリーである。彼の名前の由来となった人物は、Brooks本人の証言によるとアイルランド出身のロックバンド「U2」のドラマーLarry Mullen Jr.らしい。しかしこれはのちに撤回され、現在では「誰でもない」ことになっている。何かしらの大人の事情があったのかもしれない。
VIDEO 動画は1993年に発表されたU2の「Numb」のPV。やられたい放題されてるのはギタリストのThe Edge(ジ・エッジ)で、ドラマーのLarry Mullen Jr.は2:27あたりから登場する。
<Morton Koopa Jr.>
つづいて褐色パワー系男子のモートンである。彼の名前の由来になった人物は日本ではまったく無名だが、アメリカではトーク番組の名物司会者/俳優として活躍したMorton Downey Jrだ。
VIDEO 動画は1989年3月7日に放送されたThe Morton Downey, Jr. Show。
<Wendy O. Koopa>
次はクッパ兄弟のなかでは唯一の女性。ウェンディの名前の由来となった人物はハードコアパンクバンド「PLASMATICS」のフロントウーマンだったWendy O. Williamsである。彼女はあられもない過激な衣装でパフォーマンスすることで知られ、ステージ上で自慰行為をして逮捕されるなど数々の伝説を残している。
VIDEO 動画は1981年にニューヨークで行われたライブの様子。お尻丸出しの衝撃的な格好をしている。この服はどこで売っているのだろう!?
<Iggy Koopa>
つづいてはコクッパ兄弟一の頭脳派。黄緑パイナップル頭のイギーである。彼の名前の由来となった人物はアメリカのガレージロックバンド「The Stooges」のフロントマンとして活躍したパンクの神様ことIggy Popだ。ちなみに「ジョジョの奇妙な冒険」に出てきたスタンド使いの犬「イギ―」の由来もこの人物である。
VIDEO イギ―の代表作「Lust For Life」のオリジナル盤は1977年のリリースだが、このPVは1996年に公開された映画のサウンドトラックに採用されたことで制作されたもの。このときアラフィフに近かった彼が一生懸命、カメラの前でパフォーマンスをしている姿にはリスペクトしかない。誰が江頭2:50やねん!笑。
<Roy Koopa>
次はグラサンピンク野郎のロイである。彼の名前の由来となった人物はテキサス出身のロカビリー/ポップス歌手Roy Orbisonだ。Brooksによると眼鏡から着想を得たんだとか。本邦においてこの米国歌手の知名度は(米国に比べれば)おそろしく低いと思われるが、彼の代表作「Oh, Pretty Woman」は誰もが聴いたことのある楽曲であろう。
VIDEO そう。リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが出演したアメリカ映画「プリティーウーマン」(1990年)の主題歌である。
<Lemmy Koopa>
つづいて玉乗り系エンターティナー男子のレミーである。彼の名前の由来となった人物はイングランドのヘビメタバンド「Motörhead」のベースボーカルだったLemmy Kilmisterだ。Brooks自身は熱狂的ファンではなかったがMotörheadの音楽的な重要性については高く評価していたという。
VIDEO 動画は1980年10月にシングルとしてリリースされた代表曲「Ace Of Spades」のオフィシャルビデオ。
<Ludwig von Koopa>
最後は7人兄弟のリーダー的存在(自称)である青髪ロングヘアーのルドウィッグだ。彼の名前の由来となった人物は音楽室の壁に貼ってある無造作ヘアーの赤マフラーおじさん、こと、ドイツの偉大なる作曲家Ludwig van Beethoven(ベートーベン)である。なんで急に「クラシック!?」と思ったかもしれないが、Brooksによると実は一番最初に名前を付けられたのはルドウィックなのだという。なんでも髪の毛から着想を得たんだとか。
VIDEO 動画は彼の代表作「運命」。正式名は「交響曲第5番」である。ちなみに初演は1808年12月22日らしい。江戸時代やないかい!
以上。
個別ネームを与えられ、個性を獲得したコクッパたちの人気が海外でますます鰻登りになったのは言うまでもない。
(※なお、アニメ版とは一部名前が異なるコクッパもいる) 。やがて箱推しだけでなく単推しのファンがつくようになるなどファンダムはさらに拡大していった。そこには輝かしい未来しかなかった。誰もがそう思っていた。
そう、あのときまでは......。
◆突然の事件、渦巻く疑念◆ それは何の前触れもなくやってきた。
ファミコン、SFC、漫画、アニメと、手堅くキャリアを積んできたコクッパたちの扉が突然、閉ざされてしまったのだ。1994年に出演した『Hotel Mario』を最後に、まるでデキの悪い嘘のようにパタリと出番がなくなってしまった。おそらく彼らにはまったく心当たりがなかったであろう。なぜ。なぜ。どうして。誰一人として状況を理解できないまま、なんと
9年のも歳月が無為に過ぎ去ってしまった のである。
そして運命の2002年7月19日――
ついに事件は起こってしまった。GC版『スーパーマリオサンシャイン』の発売である。なんと、そこには
「クッパJr」 なる新キャラが鳴り物入りで登場しているではないかッ!
※SFC版『ヨッシーアイランド』に登場したベビィクッパは魔王クッパの幼少期の姿でありクッパJrとは異なる。 えっ、えっ......
なに!?
......
なに、なに、なに!?
戸惑いを隠せず、お互いの顔を何度も見合わせるコクッパたち。この意味不明な事案。得も言われぬ不安。もしかしてあのバカオヤジが勝手にどっかでつくってきた腹違い弟だろうか。それとも気まぐれで養子でも取ったのだろうか。様々な憶測が飛びかうものの、いつまで経っても何ひとつハッキリすることはなかった。
結局、クッパJrとの関係が曖昧なまま兄弟たちは2003年11月21日に発売されたGBA版『マリオ&ルイージRPG』に
「コクッパ軍団」 として再登場。それからしばらく沈黙したあとWii版『NewスーパーマリオブラザーズWii』(2009年12月3日年)で6年ぶりに復活を果たし、しかもこのときクッパJrとの初共演が実現したのだった。
よーし、また大暴れしてやるか......。
出典:『NewスーパーマリオブラザーズWii』説明書 より 複雑な感情を秘めながらも久々の出番に喜ぶコクッパたち。しかしそこに待っていたのは絶句だった。それも圧倒的絶句。なぜなら説明書においてクッパJr.は単体で紹介されていたのにも関わらず、兄弟たちは全員まとめて
「クッパの手下」 とだけ記載されていたのだから。この扱いの格差は何なのだろう?
ますます疑念が深まっていく......。
なんだかオイラたち、時間をかけて少しずつ兄弟じゃなかったことにされてるような気がするなあ、とは思っていたけれど、ここにきて「手下」ってなんだろうね。まるで
息子ですらないみたい じゃないか。アッハッハ......。
◆無慈悲な神◆ 当然、猜疑心
(さいぎしん) にさいなまれていたのはファンも同じだった。コクッパたちとクッパJr.の曖昧な関係をハッキリさせてほしい。できれば誰もが望む“最高”のカタチで。そんな切実なファンダム感情に背なを押され、勇気ある一歩を踏み出したのがゲーム雑誌「Game Informer」である。本誌は2012年1月1日発行の234号において、ついにマリオ世界の創造神・宮本茂への謁見を許されたのだ。
注目のインタビュー内容がWEB版にて公開されていたので該当部分を引いてみよう。
<原文>In Super Mario Bros. 3, the Koopalings were supposed to be Bowser's children. But there's also Bowser Jr. Are they all his kids, and are they all from different mothers? Is Bowser Jr. a Koopaling? SM: Our current story is that the seven Koopalings are not Bowser's children. Bowser's only child is Bowser Jr., and we do not know who the mother is. <翻訳文>Koopalingsは『スーパーマリオブラザーズ3』ではクッパの息子たちのはずでしたが、クッパJr.もクッパの子どもですよね。もしかして異母兄弟ですか?クッパJr.もKoopalingsですか? 宮本茂:私たちの考えでは現在コクッパ7兄弟はクッパの子どもではありません。クッパJr.こそクッパの一人息子 なのです。なお母親が誰なのかはわかりません。 まさかの一人息子ッ!
それは耳を疑うような言葉だった......。
振り返れば、魔王クッパの息子たちというやんごとなき血統を引っさげて、ビデオゲーム史に残る名作『スーパーマリオブラザーズ3』で華々しくデビュー。その後の出演作品は決して多くはなかったものの、海外では実在の人物をもとにした個別ネームが与えられアニメシリーズにも出演。ゆっくり着実に巨大なファンダムを醸成していったコクッパたちに対して、宮本が与えたのは
「クッパJr.こそ一人息子」 というあまりにも唐突で、不条理で、無慈悲な試練だったのである。
※小田部羊一による最初期のコンセプトーアート(出典:Super Mario Wiki) せめて「息子」だけならまだオヤジが勝手にどっかでつくってきた腹違いの弟の可能性もあったなのに、よりにもよって「一人息子」だなんて逃げ道がなさすぎるじゃねえか。「一人」て。じゃあ、オイラたちはいったい何なんだよ?
全部、嘘だったのかよ。オヤジ。
なんとか言えよ。オヤジ。
オヤジ―ッッ!!!
……
……
……
◆ファンダムは永遠に......。◆ その後――
コクッパたちがどうやってこのドメスティックな悲劇を乗り越えて今に至っているのかは知る由もない。
きっと我々には及びもつかない葛藤や怒りや悲しみのドラマがあったことだろう。一説にはJr.は長男で、コクッパたちこそ第二子以降の弟たちであり、魔王クッパは王位継承をめぐる政争に彼らを巻き込まないため早めに手を打ったのではないかと言われているが、真相は闇の中である。ただひとつだけ確実なことが言えるとしたら、コクッパたちは
今でもバリバリ現役で活躍している ということだ。
※Wii U版『マリオカート8』公式サイト より。 親子でないことが公にされて以来、コクッパ七兄弟は
「クッパ7人衆」 と改められたものの、「マリオカート」シリーズや「スマッシュブラザーズ」シリーズにひっぱりだこである。さすが地獄を見てきた者たちだ。面構えが違う。
なお、かつて彼らがWii U版『マリオカート8』に参戦したとき日本では、大手ゲームメディアですら「影がうすい」だの「数合わせ要因」だのネタにしていたが
(※ ) 、前述のように彼らの活躍をもっとも歓迎したのは海外ファンダムなのであって、少なくとも不人気イジリをするような連中のほうなど最初から向いてはいないのだ。Koopalingsの海外ファンダムの盛り上がりは令和の現在でも、何ひとつ変わらないのだから......。
つい先日もこのようなtweetが話題となっていた。
出典:May 14, 2022 @MarioBrothBlog (※アーカイブ) コクッパたちの強さランキングである。
算出方法は今までコクッパたちが敵として出演したタイトルの登場順を調査。順番が遅いほどポイントが高いという解釈で集計するというもの。注目の1位は青髪のルドウィッグ。2位のロイに9ポイントの差をつけて堂々の優勝であった。さすが自称リーダー!
※今ではすっかり強キャラの貫禄だが、初登場時はハジケていたルドウィッグさん。(マリオ3説明書より) 彼らがたとえ魔王クッパの息子でなかったとしても。そんなことはKoopalingsを愛することをやめる理由にはならないのだ。ファンダムは永遠なのである。
筆者のお気に入りはイギーたん!
<注釈> ※英語圏でのクッパ(Koopa)はカメ一族全体をあらわす言葉であり、魔王クッパ自身は「Bowser」という個人名で表される。したがってクッパJr.の英名は「Bowser Jr.」である。 <参考資料> ・任天堂公式サイト ・Koopalings | MarioWiki | Fandom ・Koopalings - Super Mario Wiki, the Mario encyclopedia ・Dayvv Brooks - Super Mario Wiki, the Mario encyclopedia ・How A Mario Character Was Named After Motorhead's Lemmy (KOTAKU) ・Mario's Creators Answer Burning Questions About The Series (Game Informer) ・ファミコン版『スーパーマリオブラザーズ3』説明書 ・NES版『Super Mario Bros. 3』説明書 ・SFC版『スーパーマリオワールド』説明書 ・CD-i版『Hotel Mario』説明書 ・『NewスーパーマリオブラザーズWii』説明書 ・「The Adventures of Super Mario Bros. 3」 Episode:20 <修正> 2022/5/22 × スーパーマリオカート8 → ○ マリオカート8
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