◆夢とロマン◆ 私は「パックマン=食べかけのピザ」説に騙されたい。それが後付けのリップサービスだとか。メディアの捏造だとか。そんなことは一生知らないままのほうがきっと幸せなのだ。昔から「嘘は墓場までもっていけば真実になる」というではないか。一度ついた嘘は最後まで押し通してもらいたい。他の誰かの名誉を傷つけたり、社会的信用を失うレベルで史実との整合性が取れてなかったりしているわけではないのならば、ビデオゲームの誕生譚に歴史学的事実など私は求めないのだ。むしろ
「夢」と「ロマン」があったほうがいいとすら思ってしまうのは、当事者でも関係者でもない、ただビデオゲームが好きで享受してきた側の人間によるエゴに過ぎないのだろうか?
ご存知「食べかけのピザから着想を得て生み出された」というパックマン誕生譚は、古来より様々なメディアで言及されてきた。
(出典:ナムコ名作ゲーム集,1996)※追記 当初はナムコ広報部によって広められ、いつしか開発者ご本人である岩谷徹
(敬称略)の口からも語られるようになったようである。
世界的なヒット作が、こういう
何でもない日常から着想を得て生まれたなんて示唆に富んでいるではないか。類型の誕生譚として、任天堂の横井軍平が新幹線のなかで電卓遊びに興じているサラリーマンの姿からゲーム&ウオッチの着想を得たというエピソードが想起される。おそらく本当のオリジナリティとは奇抜だったり斬新だったりするようなものではなく、ありふれていなければならないのだ。ありふれているにも関わらず今まで誰も気づかなかったアイデアこそ本当のオリジナリティなのだ。なぜなら、ありふれていたからこそ皆の琴線に触れることができ、世界的なヒット作へつながるのだから。
そう考えると大変学びがあるエピソードではないか......。
(出典:電撃オンライン 2003年9月4日)
(出典:樹の上の秘密基地 2003年12月19日) 勿論、このパックマン誕生譚は手放しで受け入れられてきたわけではなかった。
そもそもナムコ以前にトミーから同名の玩具が出ていたり、漢字の「口」から発展したものという別のエピソードが存在したり、映画「スターウォーズ」のミレニアムファルコン誕生のきっかけも食べかけのピザだったり(それをパクった?)と色々ツッコミどころがあったのだ。しかしどれもこれも決定的な否定材料にはなり得なかった。少なくとも私にはそう思えたのだ。
あの日が来るまでは!
◆後付けのリップサービス◆ パックマン誕生からおよそ37年経った2017年2月2日――
それは、とあるネット媒体によって突然もたらされたのだ。なんと「食べかけのピザから着想を得た」という有名な誕生譚が
「後付けのリップサービスだった」とキッパリ全面否定されてしまったのである。

これを明らかにしたのはゼビウスの開発者で知られる遠藤雅伸
(敬称略)だった。彼は
「もはや否定するのも大人げない状況になっている」とあくまでも状況の説明という形で、結果的には大人げなく否定してみせたのだ。恐るべき高度な否定テクニック!笑。
そもそもこの発言は彼が「ゲームアーカイブの現代的意義」という章で、オーラルヒストリー系の重要性について説いている際に飛び出したものだった。
具体的には僕を含めてゲーム開発の黎明(れいめい)期を担った人たちがだんだんお亡くなりになっていく中で「ホントのことをお話してからお亡くなりになってほしい」という趣旨です。この「ホントのこと」というのは、メディアやネットが育てた伝説に対し、当事者としての一次情報を残して欲しいということです。例えばゲーム「パックマン」の開発に際して(以下略)
なるほど。メディアやネットが育てた伝説に対して一次情報を残すために、これからは積極的に
「ホントのこと」を話していこうということならば僭越ながら大歓迎だ。ビデオゲーム界には解明されてない謎がまだまだ星の数ほどあるし、中には
「任天堂がラブホテルをやっていた」という証拠がまったくない都市伝説みたいなものもある。そのような話に当事者の皆さんが片っ端からバンバン白黒つけてくださるなら、こんな素晴らしいことはないだろう。
◆メディアの捏造◆ しかし、その槍玉として「パックマン=食べかけのピザ」説のような架空のキャラクターの誕生譚を挙げるのは予想外というか、拍子抜けというか、正直「そこなの?」感は否めないのだ。しかも
当事者としての一次情報も何も「パックマン=食べかけのピザ説」をずっと主張してきたのは、製作者である岩谷徹ご本人だったはず......。
と思っていたら何のことはない。そもそもこの話はご本人も了承済みだったらしく、記事では以下のように続けられていたのだ。
同僚の岩谷徹先生(パックマン開発者、現・東京工芸大学教授)とは「そういう事情を話してから逝きましょう」と言い交わしている。逆に開発当時の事情が話されないままだと、「岩谷さんはピザを食べたときに……」といったメディアが捏造(ねつぞう)したウソが事実として残る恐れがあります。後世の研究者のためにも、信頼のおける一次情報で事実を残したい。そういう趣旨からDiGRA Japanでオーラルヒストリーが継続されています。
メディアの捏造だって!?
これは言葉が穏やかではない。我々が思っている以上にご本人たちにとっては由々しき事態なのかもしれない。しかしピザの話はナムコの広報誌「NG」ですら当たり前のように掲載してたのだから、これを捏造というなら、かつて自分たちがメーカーぐるみで捏造してことを告解したようなものではないか。覚悟が半端ないぞ!?

勿論、本当はそう言ってないのにメーカーにそういうことにされてしまって、広報部がメディアで拡散したことによって伝説化してしまい、いつしか自分からも言うようになったものの良心の呵責に耐えきれず、死ぬ前にどうしてもカミングアウトしたかったという積年の思いの果てなのかもしれない。実は岩谷が「パックマン=食べかけのピザ」説について胸襟
(きょうきん)を開く素振りを見せたのはこれが初めてではないのだ。
2000年12月15日に発行された「ゲームマエストロVol.1」にて彼は以下のような発言をしていたのである。



岩谷
もう伝説となっているので、それで押し通してします。
「ピザの一片を取ったらパックマンに見えた」と(笑)
何気にぶっちゃけておられる。
しかし私はこのときまったく逆の解釈をしたのだ。ああ、これは我々に
神話の共犯者になるよう訴えているんだなあと受け取ったのである。ならば喜んでついていこうじゃないか!
ゲームはもはやプレイするだけが楽しみではなくなってきている。とくにパックマンのような巨大IPはグッズを集めたり、部屋に飾ったり、歴史を愛でたり、そのビデオゲーム自体がつづってきた物語を楽しむものになってきていると私は考える。したがって、いや、だからこそ誕生譚は神話であるべきなのだ。創世神話であるべきなのだ。世界中のあらゆる地域・民族のあいだに伝承されている創世神話がそうであるように理屈など不要。リアリティなど不要。科学的根拠なんかもいっさい要らない。そこに「夢」と「ロマン」さえあれば、我々は世界の成り立ちを知ることができるのだ。世の中には信じることで幸せになれる物語がたくさんあるではないか。世界で一番売れている本がその筆頭だ。それは「聖書」というのだけれど、中身はゴリゴリの神話なんだよ。登場人物が海を割ったり、生き返ったりするのだよ。でも地球に住んでる全人類のおよそ3割。実に25億人もの人間がそれを“ホントのこと”だと信じていて、普通に暮らしているんだよ。つまり何が言いたいかっていうと、現実の創世神話がまるでファンタジーなのだから、架空のキャラクターの誕生譚もファンタジーでいいじゃないかってことなのだ。重要なのは事実かどうかではない。信じるか信じないかだ。信じるに足り得る何かがあるかどうかだ。だから私は「パックマン=食べかけのピザ」説に騙されたい。信じたいから騙されたいのだ.....。
というようなことを私はそのとき妄想したのである。笑。だが20余年経って製作者のご本人が、これからは積極的に「ホントのこと」を話していきたいということならば、我々のような部外者は尊重するしかあるまい。むしろ今まで楽しませてくれて感謝の気持ちでいっぱいだ。少なくとも私はそう思っていたのだった。
あの日のが来るまでは!
◆360度ちゃぶ台返し◆ それは2020年1月11日発売「昭和40年男」祝・2020記念号で起こった。パックマンの特集に登場した岩谷のインタビュー記事の一文に、私は思わず椅子からずり落ちてしまったのだ。
こちら。



何の気なしに食べていたピザの形が、口を開けたキャラクターに見えたのです。
まだ言うとんのかーいッ!笑。
|  | いっそのことピザ屋とコラボすればええやん。(やってた) |
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