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オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ誕生物語 ~リスナーが起こした奇跡~

◆夢のようなコラボゲーム◆

 1980年代中期――

 中島みゆき、とんねるず、小泉今日子、ビートたけしなどそうそうたる顔ぶれがパーソナリティをつとめるラジオ番組「オールナイトニッポン」は安定期を迎えていた。同番組はとくに若者層から絶大なる支持をあつめており、深夜枠ながらとんでもない聴取率を叩きだす怪物コンテンツとなっていたのだ。

 時を同じくして日本列島に一大ファミコン旋風を巻き起こしていたのが『スーパーマリオブラザーズ』である。

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 このビデオゲームは1985年9月13日に発売されるや否やたちまち全国を席巻。子どもたちのみならず若者層や親世代をも巻き込むほどのブームとなり、今では世界有数の怪物コンテンツとなったのは皆さんもよくご存知の通り。

 かつて、そんなモンスターとモンスターが邂逅(かいこう)して生まれた夢のコラボゲームがあった。それがディスクシステム版『オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ』である。

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 ※タイトル画面

 本作は3000本限定で生産され、2000本は抽選販売、残り1000本はニッポン放送本社窓口で店頭販売されたもので、おそらく任天堂が他社とコラボして看板タイトルであるマリオシリーズの「キャラクター差し替えバージョン」を公式リリースするのは前代未聞の試みであった。

 果たしてその舞台裏では、どんなドラマが繰り広げられていたのだろうか?


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 今回は、Youtubeチャンネル「International GamerZ Interview」様から許可をいただき、2016年に公開された動画「International GamerZ Interview #1 中島誠一 」及び「」の内容を基本として、当時の様々な資料からドキュメンタリー仕立てで構成した、知られざる『オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ』誕生物語の全貌をお届けしよう。




◆一本のビデオテープ◆

 きっかけとなったのは、とある中学生リスナーからの1本の投稿ビデオだった。

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出典:ファミコン通信1986年12月25日号

 1986年某日の深夜――

 スーパーマリオブラザーズの熱狂はニッポン放送の超人気深夜番組「オールナイトニッポン」をも包み込んでいた。ファミコン通信1986年12月25日号によると、ある放送回でパーソナリティのひとりが「ピーチ姫を見たい」と口走ってしまったもんだからさあ大変。日本全国のリスナーから放送局へ300本以上のビデオテープが送られてくる事態に発展してしまったという。とある中学生リスナーが送って来たビデオテープもその中の一本だった。

 ......!?

 たまたまそれを再生した編成部スタッフの手が止まる。そこには次々と立ちはだかるステージを超絶テクニックでもってバンバン最速クリアしていく超人的なマリオの姿が映っていたからだ。さっそくスタッフたちは緊急会議を開き、この子をラジオに呼ぼうという話になった。しかしよく考えたらラジオではプレイが見えない。困った。するとスタッフのひとりが言ったのだ。

 だったらビデオにして売ろうじゃないか!

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※増刷を伝える誌面広告(ファミリーコンピュータマガジン1986年4月18日号)
 
 世のスーパーマリオブラザーズフィーバーはとにかく凄まじかった。どれくらい凄まじかったかというと前年10月末に徳間書店より出版されたスーパーマリオブラザーズの攻略本が、たった2ヶ月で1985年の一般書籍を含む年間ベストセラー1位に輝いてしまうほど凄まじかったのだ。(*ちなみにこの攻略本は1986年も1位になっている)

 攻略本が売れるなら攻略ビデオもきっと売れるに違いない。オールナイトニッポン編成部がそのような答えにたどり着くのは当然の帰結だった。このとき、担当者に選ばれたのが当時、編成部に所属していた技術畑出身の中島誠一である。




◆攻略ビデオ「マリオの大冒険」◆

 中島はさっそくビデオの制作、及び販売許可を取得するため任天堂へ向かう。対応したのはときの総務部長・今西紘史だった。おそらく前例のなかった攻略ビデオの価値について任天堂自身も計りかねていたのだろう。色々とゆるい時代だったというのも手伝って、中島は拍子抜けするくらいすんなりと今西の口から「OK」をもらうことができた。

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 ※スーパーマリオブラザーズ マリオの大冒険(ベータ版) 提供:天道ブイ

 こうして1986年4月に攻略ビデオ『スーパーマリオブラザーズ マリオの大冒険』が発売されたのだった。

 この攻略ビデオには進行役として現在とは少し造形のちがう着ぐるみマリオが登場。アイテムや敵キャラクターの解説。ステージの最短クリア動画(正直そこまで上手くない)や、当時、すでにファミコン雑誌には取り上げられていた「無限増殖」や「ちびファイアマリオ」などのテクニックが紹介された。

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 ※ビデオ冒頭より

 また、ビデオの終盤には「GOGOマリオ!!(*)」なるスーパーマリオのBGMに歌詞を乗っけただけの謎の楽曲が収録され、ビデオ制作に協力した番組リスナーたち(通称:ファミコンウォリアーズ)の氏名がスタッフクレジットとして流されるという憎い演出で締めくくられている。*リスナーが投稿した歌詞でつくられた曲

 結局、このビデオは売れに売れ、気を良くしたニッポン放送はゲーム制作へと乗り出すことになったのだ。




◆運命のイタズラ◆

 レコード会社や出版社など、この時代、異業種からファミコンに参入する例は珍しくなかった。奇しくも1986年10月にはニッポン放送が20周年の節目を迎えることもお誂(あつら)え向きだ。しかしゲームを制作するといってもそこは素人集団。いきなり新しいタイトルを出すのは難しいということになり、だったらいっそのこと『スーパーマリオブラザーズ』に便乗して、オールナイトニッポンバージョンをつくってみたら面白いのではないかという話になった。クリボーを金曜日担当のサンプラザ中野にして、ピーチ姫は水曜日担当のキョンキョンにしよう。勝手に盛り上がる編成部スタッフたち。(*小泉今日子は実際にはステージ4のキノピオとなった)

 さっそく中島はそんな冗談みたいな企画書をまとめて再び任天堂へ向かった。この男イケイケである。すると対応したのやはり総務部長・今西だった。熱心に企画内容を説明する中島に今西は「今日の午前中にもそういう話が一件来ましてね」と不敵に笑った。しかも相手は超有名企業だったというではないか。これは難色を示されるか?

 そう思われたが、どういうわけか今西の口からは「考えておきまひょ」という前向きな回答を引き出すことができた。これには思わずガッツポーズだった。

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※現在の任天堂本社(イメージ図)

 しかし、それから待てど暮らせどまったく進展がない。
 
 ......。

 1週間後、しびれを切らした中島が任天堂へ電話をすると、再び「考えておきまひょ」という返事をもらったが、それからまたナシのつぶてであった。

 実は京都の人間の「考えておきまひょ」は「NO」の意味だったことを中島が知ったのは、それからずいぶんあとのことだった。勿論、それは彼がそのように自己解釈して勝手に納得していただけのことであり、京都の人間がすべてそのような言い回しをするわけではない。実際に任天堂がどのような腹積もりをしていたのかは他者の知るところではないのだが、そんな、すっかり諦めムードになっていた中島のもとへ総務部長・今西から電話がかかってきたのは、まさに運命のイタズラとしか言いようがなかった。

 このとき任天堂は社運を賭けた一大プロジェクトを始めていたのだ。ファミリーコンピュータディスクシステムである。

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出典:ゲームマシン1986年1月15日号

 業界紙「ゲームマシン」1986年1月15日号によると本システムは1月21日に発売される予定が延期となり、2月21日発売されることになったとのこと。当然、ローンチタイトルである『ゼルダの伝説』も同じ日にリリースされる予定になったのだが、今西曰く、ここで少々困ったことが起きたという。電話は以下のような内容だった。

 「今度、ゼルダの伝説というゲームを出すことになりまして」
 「もちろんファミコン雑誌には攻略記事を出すのですが」
 「それまでの空白期間はテレホンサービスで補おうという計画です」
 「しかしその番号を全国の皆さんへ伝える手段がありません」
 「是非とも、ニッポン放送で宣伝してくれませんか?」

 つまり社運を賭けた大型ソフトである『ゼルダの伝説』のリリース日から、ファミコン雑誌が店頭に並ぶまでの空白期間に混乱が起きることを防ぐためにも、任天堂はテレホンサービスの設置を決めたのだが、その電話番号を子どもたちへ伝える手段がなかったのだ。そこで白羽の矢が立ったのが少し前に、スーパーマリオブラザーズのオールナイトニッポン版なんていうケッタイな企画を持ち込んできたニッポン放送の中島だったというわけである。(*なお、テレホンサービス自体は数年間続いた)

 中島がここぞとばかりに承諾したのは言うまでもない。




◆災い転じて......◆

 しかしオールナイトニッポンは若者に絶大な人気を誇るモンスター番組。パーソナリティが一言「ピーチ姫が見たい」と漏らすだけで300本以上のビデオテープが殺到してしまうほどの影響力があった。そこで中島は電話を100台用意しないと回線がパンクすることを今西へ忠告する。中島が100台と言ったのは決して当てずっぽうではなく、ニッポン放送自身が実際に100台体制で対応しているからだった。

 しかし今西はオールナイトニッポンの影響力を過小評価していたのか、電話回線を増設するコストを惜しんだのか、ひとまず10台で対応すると言い放つ。粘りづよく説得したものの、結局、10台で対応するということで話は進んでしまった。

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 ディスクシステム版『ゼルダの伝説』とテレフォンサービス案内の紙

 それでも夜(*)はやってくる――

 中島は約束通りオールナイトニッポンの放送でそのテレホンサービスの電話番号を宣伝することにしたのだが、任天堂の電話の数が気がかりだったので、聴取者の少ない明け方に1回だけ発表することを決断。それがせめてもの配慮だった。(*正確な日付は不明だが『ゼルダの伝説』発売日前後の放送回と思われる)

 ......
 ......
 ......

 翌日の午前10時半頃。中島のもとへ一本の電話がかかってきた。ニッポン放送が契約している某有名広告代理店の担当者A氏からだった。なんでも任天堂の電話回線が見事にパンクして、総務部長が電電公社(現NTT)に呼び出しをくらったのだというではないか。しかもそれは中島が広告代理店を通さずに任天堂と直でやりとりしていたことを意味したのでA氏は怒り心頭である。

 「中島さん、やってくれたねえ」

 ただし、この一件でおそらく中島はクビになるだろうからA氏にしてみたら同時に喜ばしくもあった。電話越しの声は、そんなアンビバレンスな感情が入り混じったような響きをまとっていたに違いない......。

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※ファミマガでの第一報。この時点ではまだ1月21日発売予定となっている。(1986年2月号)

 一方、中島は頭が真っ白になっていた。任天堂の回線は結局、午前中いっぱいつながらなかったらしい。目玉が飛び出るくらいの、それなりの損害が出ていることは間違いないだろう。だからあれほど忠告したのに。ああ、もう終わった、すべてサヨナラだ......。中島はスタジオの隅でちんまりとするしかなかった。

 しかしそれは夕方16時か17時くらいだったか、そんな失意の彼のもとへ電話が鳴ったのだ。今度は任天堂の今西本人からだった。いったい何を言われるのだろう。いや、何を言われても仕方ない。ある種の覚悟をもって中島が受話器を取ると、今西は開口一番こう言ったのだ。

 「ラジオってすごいですね。笑」
 「えっ!?」

 「あの企画、やりましょう!」

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 災いが転じた瞬間だった。こうして『オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ』という夢のコラボが実現した、というわけである。

 もしあのとき、パーソナリティのひとりが「ピーチ姫が見たい」と言わなければ、番組リスナーたちがビデオテープを送ってくることはなかったし、番組スタッフがとある中学生リスナーの超絶テクニックに目を止めていなければ、攻略ビデオ『マリオの大冒険』が作られることはなかった。また、その攻略ビデオが売れてなければニッポン放送がゲーム制作へ乗り出すことはなかったし、中島が任天堂へ企画書を持っていかなかったら、ゼルダの伝説のテレホンサービスの話も来なかっただろう。そして、もしオールナイトニッポンが任天堂のテレホンサービスの番号を宣伝してなければ、任天堂の電話回線がパンクすることはなかったし、むしろ任天堂の電話回線がパンクしたことによって『オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ』の企画は消滅を免れたどころか、採用されるに至ったのだった。そう考えると、本作は番組リスナーが起こした奇跡だったと言っても過言ではなかろう。それは様々な運命のタテの糸とヨコの糸がうまい具合に交錯したことによって起きた奇跡だったのだ......。

 ちなみに前述のファミコン通信1986年12月25日号の記事によると「任天堂は後にも先にもこういったコラボは二度としない」とのことである。



<了>



◆中島誠一インタビュー動画◆

 さて、ここからは『オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ』の誕生物語をふくむ貴重な証言がてんこ盛りのYoutubeチャンネル「International GamerZ Interview」の動画「International GamerZ Interview #1 中島誠一」①から⑤を紹介させて頂きます。

 

 まずは中島誠一さんの生い立ちからニッポン放送へ就職。とある中学生から投稿されたビデオテープをきっかけにスーパーマリオブラザーズの攻略ビデオを制作し、オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズを企画するまでの経緯です。



 つづいて『ゼルダの伝説』テレホンサービスの一件から『オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ』の制作秘話。あのマリオの父・宮本茂さんとのやりとりなどを経て完成するまでの話。そして長い間、非売品と思われていた本作の販売経路の話です。

 後半はニッポン放送と同じフジテレビ系列であるポニーキャニオンからファミコン版『ウルティマ』や『AD&Dシリーズ』をはじめとするゲームソフトが制作された話です。



 つづいて『光GENJIのローラーパニック』開発秘話。これもとんでもなく面白い!

 ゲーム内容はアレだったけどファンが何枚も買ったことよってそれなりに売れたという話。当時落ち目だったディスクシステムを救ったということで任天堂から感謝すらされたという。そしてジャスラックの話。なおジャスラックと契約した初のビデオゲームについては『ポパイ』などすでにジャスラックシールが貼ってるファミコンソフトが存在するため、解釈のわかれるところです。

 後半は超マイナーマルチメディアゲーム機CD-iの話。



 CD-iの失敗の後、フジサンケイグループに移った中島さんは、かつて一斉を風靡した「動物占い」を生み出します。つくづくヒットメーカーやな!

 これもまたとんでもなく面白い話です。そしてニンテンドーDS専用ソフト『大合奏!バンドブラザーズ』の話。担当者だったファミコンの父として知られる任天堂の上村さんの話。



 最後はゲームの未来の話。テレビやラジオの話。教育論。100の質問で締めくくられていました。それにしても中島さんは、さすが超人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」を手掛けていたせいなのか話がものすごく上手で面白いですねえ。

 興味のある方は是非、ご視聴くださいませ!



orotima-ku1.pngオールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ誕生の裏にこんなドラマがあったとは!



<出典>
・International GamerZ Interview #1 中島誠一 ①
・International GamerZ Interview #1 中島誠一 ②
・ファミコン通信1986年12月25日号
・スーパーマリオブラザーズ マリオの大冒険(ビデオ)
・ゲームマシン1986年1月15日号
・『ゼルダの伝説』 説明書、テレフォンサービス案内の紙
・ファミリーコンピュータマガジン1986年2月号
・ファミリーコンピュータマガジン1986年4月18日号(※この号から隔週化)
・ファミリーコンピュータマガジン1986年5月16日号
 他

<協力>*敬称略
・日本ビデオゲーム考古学会
・天道ブイ

<Special thanks>
・BAD君「ファミコン周辺機器@宇宙一(月面探査中)」
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コメント

とても面白く拝見させていただきました。
すごいドラマがあったんですね。
任天堂がこれ以後、こういったコラボはしていない。っていうのは、正攻法ではなく、特別な繋がりのコラボって意味なんでしょうかね?

キャラクターすげ替えだとドキドキパニック→マリオUSAなんて、コラボから本家に逆すげ替えだし。
マイクタイソンのパンチアウトは景品版から選手コラボ?でのキャラクターすげ替えだしなぁ。
正攻法だとそれなりにありそうなんですよね。

ディスクシステムの発売日延期はよく覚えてます。
確かドルアーガーの塔か何かの攻略本に載ってた漫画にもうすぐディスクシステムが登場って話が載ってて、ずっと楽しみにしていたのですが、なかなか続報でず。
ようやくオロチさんの記事にもあるファミマガで記事が載ってたので喜び勇んで発売日に買いに行ったら、店の人がまだ入荷されてないって話してくれたので。。。
そこから1か月待ち遠しかったなぁ。
オープニング画面でテレビ画面から、鐘の音が鳴った時には子ども心に衝撃的でした。

そういや今日はファミコン発売日でしたね。

マリオシリーズのキャラ替えコラボはしないという意味でしょうかねえ。まあおそらく当時の担当者がそういってたというリップサービスではないですけど、捨て台詞的なものでしょうねえ。それくらい「特別なはからないをしたんだよ」という気持ちの表れと解釈しています。
まあ、過去にはディスクシステム以外にゲームは出さないと言ってたくらいのメーカーですから。それくらいのことは言うだろうと、あまり深く考えず受け止めていました。

>漫画にもうすぐディスクシステムが登場って話

JICC出版局のファミコン攻略ムックの中のコラムかな?

中山美穂のトキメキハイスクールで攻略情報を電話で聞けると言うのがありましたが
持ってた友達は全然電話がつながらないと嘆いてましたね

>JICC出版局のファミコン攻略ムックの中のコラムかな?
ありがとうございます。

表紙絵の記憶から、小学館の入門百科グラフィック2 ドルアーガの塔 の中の記事のようです。
(ただ、中身については記憶なので、不確かですが)

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