コメント
こんにちは。いつも楽しく読ませていただいています。
ファミコンの歴史を調べていて疑問なのですが、「任天堂はナムコにライセンス優遇措置をあたえた」「しかし、ナムコが他メーカのゲームを委託販売していたのに怒って、任天堂はナムコから優遇措置を取りあげた」というような話は、どのくらい信憑性があるのでしょうか。
というのも、①もともと任天堂はサードパーティ参入を想定していなかった、②ナムコはファミコン発売年の83年に「5年契約」でライセンス契約を結んでいた、という事情があるので、「ナムコの契約は1983年から5年という有効期間で結んでいため、任天堂がサードパーティ急増の対策として作ったライセンシー制度(1986年策定)の影響を、1988年まで受けなかった」と解釈したほうが自然なのではと思えるからです。
(つまり任天堂はナムコを意図的に優遇したわけではない)
また、任天堂が88年にナムコとの同内容の契約更新を拒んだのも、ファミコンを取り巻く環境が激変しているのに、5年前に決めたような古い内容のままで契約更新をするほうがむしろおかしい、というように受け取れます。
個人的には↑のように考えますが、任天堂がナムコに怒っていたという話には、何か明確な情報源はあるのでしょうか。
(ナムコの社長が任天堂に怒っていたのはインタビュー記事で確認していますが)
ファミコンの歴史を調べていて疑問なのですが、「任天堂はナムコにライセンス優遇措置をあたえた」「しかし、ナムコが他メーカのゲームを委託販売していたのに怒って、任天堂はナムコから優遇措置を取りあげた」というような話は、どのくらい信憑性があるのでしょうか。
というのも、①もともと任天堂はサードパーティ参入を想定していなかった、②ナムコはファミコン発売年の83年に「5年契約」でライセンス契約を結んでいた、という事情があるので、「ナムコの契約は1983年から5年という有効期間で結んでいため、任天堂がサードパーティ急増の対策として作ったライセンシー制度(1986年策定)の影響を、1988年まで受けなかった」と解釈したほうが自然なのではと思えるからです。
(つまり任天堂はナムコを意図的に優遇したわけではない)
また、任天堂が88年にナムコとの同内容の契約更新を拒んだのも、ファミコンを取り巻く環境が激変しているのに、5年前に決めたような古い内容のままで契約更新をするほうがむしろおかしい、というように受け取れます。
個人的には↑のように考えますが、任天堂がナムコに怒っていたという話には、何か明確な情報源はあるのでしょうか。
(ナムコの社長が任天堂に怒っていたのはインタビュー記事で確認していますが)
ナムコは85年にATARIの株を買っています。ATARIといえば任天堂と仲が悪いということで有名ですよね。何度か訴訟沙汰になってますし。ナムコ自体もNESがらみで任天堂を訴えてます。
ただしこちらのtogetter元ナムコの中の人だった方が「ナムコがタイトル出しまくって任天堂が怒った」と言ってますね。
https://togetter.com/li/530829
様々な要因があったと思われます。
ただしこちらのtogetter元ナムコの中の人だった方が「ナムコがタイトル出しまくって任天堂が怒った」と言ってますね。
https://togetter.com/li/530829
様々な要因があったと思われます。
ご丁寧に情報元を紹介していただき、ありがとうございます。
ただ、言いたいこと(疑問点)としては、
「任天堂→ナムコのファミコンライセンス契約は「優遇」と呼ばれることが多いが、実際は任天堂がサードパーティ増加を想定していないとき=カートリッジ生産数を制限する必要がないときに長期契約を結んでしまったために起こった、任天堂の「失敗」だったのではないか」ということになります。
なので、任天堂からすると「ナムコとあのような契約を結んだのは失敗だった。次回の契約更新時(1988年)には絶対修正しよう」と早くから考えていたのではないか…という主張です。
話が伝わりにくい、あるいはファミコンの歴史について何か勘違いしていれば、すいません。
ただ、言いたいこと(疑問点)としては、
「任天堂→ナムコのファミコンライセンス契約は「優遇」と呼ばれることが多いが、実際は任天堂がサードパーティ増加を想定していないとき=カートリッジ生産数を制限する必要がないときに長期契約を結んでしまったために起こった、任天堂の「失敗」だったのではないか」ということになります。
なので、任天堂からすると「ナムコとあのような契約を結んだのは失敗だった。次回の契約更新時(1988年)には絶対修正しよう」と早くから考えていたのではないか…という主張です。
話が伝わりにくい、あるいはファミコンの歴史について何か勘違いしていれば、すいません。