<任天堂と電通の関係といえば?> 両社の関係については、ときどきネット上でも話題になっている。まあ関係っていっても普通の会社同士の関係だと思うのだが、そのいくつかを挙げてみよう。
・山内溥元社長の子息は元電通社員
山内溥元社長の子息である山内克仁氏は1985年に電通に入社。10年後に任天堂アメリカに入りその後、本社へ戻った。2011年9月現在は広報室企画部部長として在籍中だと思う。・任天堂の広告・プロモーションが電通
基本的にはすべて電通関西。過去には博報堂だったこともあるらしい。・任天堂・電通ゲームセミナー
1990年から3年間に渡って実施されたゲームセミナー。その後、任天堂は2003年に再びゲームセミナーを開催するが、そのときは電通は関わっていなかったとされている。・エヌディーキューブ株式会社を設立
任天堂と電通、ゲームの新分野を目指し新会社設立 (ニュースリリース:2000年2月29日)・Wiiの間株式会社を設立
お茶の間復権を願いWii上で新しい動画配信サービス「Wiiの間チャンネル」を2009年春に開始(ニュースリリース:2008年12月25日) これらは任天堂と電通の関係が語られる際に、かならずと言っていいほど挙げられる有名な事柄である。しかしこの手の話題で、
任天堂と電通がファミコンソフトをつくっていたというエピソードを語る人間は少ない・・・・・・
<では、クイズです> 電通といえば日本最大の広告代理店であり「広告界のガリバー」とも呼ばれる大会社だ。そんな電通が一体どんなファミコンソフトを作っていたのだろうか。今から5つヒントを出すから考えてみてほしい。
ヒント1 1988年発売 この時点でピンと来たひとは立派なファミコン戦士だ。今すぐファミコマンドーになれるぞ。 ヒント2 ファミコン+広告 しまったー、ヒント簡単過ぎたか。もう、ここで半分のひとはひとがわかってしまったと思う(笑 ヒント3 ディスクシステム うわー、ここまで言っちゃったら、もう、このクイズ成立しないよー ヒント4 マリオシリーズ げげっ、もう、ほとんど答えみたいなもんじゃん! ヒント5 永谷園 これでもわからないひとは、たぶんこのソフトを知らないんだろう。なんか、ごめん・・・・・・<正解発表!> さて、答え合わせだ。
任天堂と電通が協力して作ったファミコンソフトとは!?
・・・・・・
『帰ってきたマリオブラザーズ』!!
1988年11月30日に書き換え専用ディスクとして発売された『帰ってきたマリオブラザーズ』はその名のとおり『マリオブラザーズ』のリメイク版である。そしてその最大の特徴は
ゲーム中に永谷園の広告が入ってることだろう。
したがってこのソフトは任天堂と永谷園がコラボしたファミコンソフトということで有名だ。しかしそれを仕掛けたのが電通だったということについては、おそらくぜんぜん知られてないだろう。
どれだけ知られてないかというと、のちに任天堂と電通が共同で『Wiiの間』を展開する際に(上記リンク参照)、設立した会社へ出向となった
元電通社員ですら知らなかったくらいである。
そのときのやりとりが任天堂公式サイト
社長が訊く『Wiiの間』に掲載されているので見てみよう。以下、適当に要約して引用。
別府(Wiiの間株式会社社長) ゲーム中に広告が入るなんて任天堂にとっては大決断だと思う。 今までそういったものは無かったですから。
岩田(任天堂社長) いや、大昔に永谷園さんと『マリオ』をやりました。 あれは電通さんとやったはずですよ!?
湯川(Wiiの間株式会社) そうなんですか? すみません、勉強不足で・・・・・・ |
そんな僕も最近、任天堂の関連本を読んで知ったのだった。で、そのあとに「社長が訊く」にてこのやりとりを発見した次第であります。
<『帰マリ』はもっと評価されていい!?> よく、ゲームは略称で呼ばれるようになったら流行った証しと言われるが『帰ってきたマリオブラザーズ』のことを『帰マリ』なんて言ってるやつを僕は見たことがない。
しかしながら『帰ってきたマリオブラザーズ』は数あるファミコンソフトの中でも、あることに関してはナンバー1なのだ。それは販売価格。実はこのソフト、
全ファミコンソフトの中でもっとも販売価格が安かったのである。
書き換え専用ディスクが500円だったというのは、ファミコン少年なら誰でも知ってると思うが(当時、クソゲーと500円玉をにぎりしめて玩具屋へ走ったひとは多いはず(笑)、このソフトは永谷園の広告が入っている代わりに100円安かった。つまり、たった400円で書き換えができてしまったのだ。
この記録は今後もやぶられることは無いだろう。
また、内容に関しても『帰ってきたマリオブラザーズ』には特筆すべきことがある。それは単なる『マリオブラザーズ』のリメイクではなかったということだ。どちらかというとアーケード版のリメイクに近いらしい。以下『マリオブラザーズ』と比べ、アーケード版に近づいたと言われている要素を挙げてみる。
・敵キャラクターなどのグラフィック
・シェルクリーパーが起き上がる際、シャツを着ながら甲羅をひっくり返す行為
・ファイヤーボールがひと回り大きい
・マリオがファイヤーボールに触れると赤くなって死ぬ(焼死)
・マリオがフリーザーに触れると青くなって死ぬ(凍死)
・床下のつららが復活
・ボーナスステージの床が見えなくなる
・ジャンプ中に十字キーの左右ボタン入力で空中のコントロールが可能
(参照サイト:レトロゲームの供養寺他)
比較画面を用意したので見比べてみてくれ。上が『帰ってきたマリオブラザーズ』で、下が『マリオブラザーズ』だ。

亀のグラフィックやファイヤーボールの大きさが違うことが一目でわかると思う。
その上『帰ってきたマリオブラザーズ』には、永谷園スロットや、得点イベントなど、オリジナル要素もたくさん盛り込まれており、ファミコンドット時代のマリオの楽器を弾く姿、飛び上がって喜ぶ姿など、他では見られない貴重な動きを見ることができる。
また、コマーシャル時、スロット時、ゲームオーバー時などに流れるBGMもすべてオリジナルであり、当然それらも
他では聴けない貴重なマリオサウンドとなっているのだ。しかしこれらの楽曲は残念なことに、マリオサウンドを網羅するような企画CDやランキングなどでは大抵スルーされているのが現状だ。
その理由はおそらく権利関係だろう。つまり、『帰マリ』の音楽は『帰マリ』でしか聴くことができないということだ。
<その他の“任電作品”はあるのか> 任天堂と電通がつくったファミコンソフトは、じつは他にもいっぱいあるのかもしれない。
かつて、両社は“株式会社マリオ”という会社をつくったことがあった。以下、INSIDE Developer's Profile「
第16回 株式会社マリオ」より引用。
(前略) 設立されたのは1991年4月ですので丁度スーパーファミコンが発売された頃になります。 任天堂と電通、そして電通の子会社の電通プロックスという会社が出資していました。 (中略) 社長は任天堂の池田宏氏。この方は東映アニメーションで演出/脚本をしていた方で 任天堂に来てからは情報開発部長や製造本部長を勤めたほか、ハドソンと共同出資で 設立した招布の社長も勤めています。 (以下省略)
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サンリオの子会社であるキャラクターソフトが発売した『ハローキティワールド』、そして『サンリオカーニバル2』を制作したのはこの会社である。

したがって広い意味で言えば、これらも任天堂と電通がつくったファミコンソフトと言えなくもないが、それ以外のことは現在何もわかっていない。
ちなみに、キャラクターソフトの他のソフトに関しては、アスキーなどが開発しているようだ。<関連動画> 最後に『帰ってきたマリオブラザーズ』の関連動画を貼っておきます。
お茶漬け海苔、マリオカレー、五目チャーハンの素のゲーム内CM集。いいスウィングしてる(笑
以下、永谷園の広告。
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