歴代ハード・主要ソフトから見た任天堂株価の30年史
2011年11月27日21:59
ネタ・コラム
※2016年7月18日更新の最新版はこちら。
<任天堂株価の30年史>
今回は任天堂の歴代ハード(ファミコン以降)、その主要ソフトと株価の関係について調べてみたよ。でもそれだけじゃ面白くないから、経済界の主な出来事なども盛り込んでみた。
まあ30年史って言っても実際は28年くらいだけどね!
【表の見方】
・表は1ヶ月ごとの平均株価を折れ線グラフにしたもの
・目盛りは縦が値(2000円単位)、横が年月(6ヶ月単位)
・株式分割ってのは発行済みの株を分割すること
株の数が増える分、値は下がるので持ち主に直接的な損得は無い
・色付の文字はその月に発売された任天堂の主な商品(基本的に発売日付近の線と重なっている)
で、その横の数字はそのときの株価(商品の値段じゃないので注意)
・大きな文字は経済界の出来事
<任天堂株価 1983年~1991年>

まずはファミコン発売年である1983年~1991年ごろまで。
本格的なファミコン黄金時代がはじまったのはだいたい86年くらいだと思うが、さほど株価が上がってない理由は正直わからん。しかし「ゲームボーイ」の発売、そして『テトリス』の爆発的ヒットによってせきを切ったように株価が上昇。ブラックマンデーなんのその、一気に2万円台を突破した。
任天堂は勢いに乗ったままスーパーファミコンを投入することになる。
<任天堂株価 1991年~1998年>

次は1990年~1998年ごろまで。
スーファミでさらに調子に乗るかと思われた株価だったが、湾岸戦争の影響からか(株式分割の影響もあるだろう)、じりじりと下がり始め『スーパードンキーコング』が発売されたころには3分の1となってしまった。
『サテラビュー』がどん底というのが何とも象徴的である(笑 しかしここで任天堂の窮地を救ったのはまたしてもゲームボーイのソフトだった。
1996年2月に発売された『ポケモン赤・緑』は驚異的なセールスを記録。「バーチャルボーイ」の失敗や「64」の不振などものともせず、任天堂の株価を一気に回復させた。同ソフトは今もなお世界一売れたRPGソフトとして語り継がれている。
<任天堂株価 1998年~2006年>

次は1999年~2006年ごろ。
アジア通貨危機の影響か一時下落していた株価だったが、そこでまたしても救世主として登場するのがポケモンシリーズである。1999年に発売された『ポケモン金・銀』はこれまた驚異的なセールスを記録。株価を一気に2万円台に押し上げた。
だがそこで「64DD」が水を差す。そして世界を震撼させた同時多発テロの影響か、株価は一変、滑り台状態に。「ゲームキューブ」投入は回復どころか、そんな急降下を止めることすらできなかったようだ。
そして、このときばかりは今まで何度も任天堂の株価をV字回復させてきたポケモンシリーズでさえ歯が立たず一瞬上がっただけだった。ただし、この『ポケモンルビー・サファイア』も、ものすごい売れたので、急降下を止めたと見ることもできる。
なんにせよ株価はあれよあれよと言う間に1万円台を割ってしまった。
任天堂はゲーム業界においてもソニーにトップの座を明け渡しており、苦しい状況が続いていたのだ。しかしここからが任天堂の真骨頂!
「DS」の投入でファニックスのごとく奇跡の復活を遂げることとなる。
<任天堂株価 2006年~2011年>

最後は2006年~2011年7月まで。
ここから任天堂の株価は奇跡の復活どころか、狂ったように上昇しまくり。おかげで画像の高さがえらいことになってしまった(笑
どうやら2005年11月に発売された『脳トレ』が起爆剤となったようだ。それから2006年9月にかけて『おいでよ どうぶつの森』『Newスーパーマリオブラザーズ』『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』を発売。いずれもモンスター級のメガヒット作となり任天堂株価フィーバーの立役者となった。
さらに、そこからの「Wii」投入も大成功。株価は爆発的うなぎ登り状態。任天堂史上、最高値の7万越えを達成するもその反動か、1年ももたず2万円くらいガクンと下がったあとリーマンショックの影響か、一気に3万円台を下回ってしまう。
そこから、任天堂株価の救世主ポケモンシリーズ『ポケモンブラック・ホワイト』の発売でちょっと上昇するものの、「3DS」のから回りで、株価が下落したのはニュースにもなり、記憶に新しいところだ。
2011年8月以降は現在にいたるまで、1万円は切らないあたりでふらふらと横ばい状態である・・・・・・
<周期性とポケモン効果>
任天堂の株価はこのように、ファミコン発売以来、山あり谷ありを繰り返している。大雑把に見るとピークが3回あったといえるだろう。ではそれらに周期性はあるのだろうか。
ピークの年(太字)を並べてみよう。
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
ピークとピークの間隔は最初は10年、そのつぎは8年。2年のズレを考慮すれば、次に任天堂株価がピークに達するのは2016~2018年ごろじゃないかという推測が成り立つ。
もちろんだからといって任天堂株価は8-10年周期だと結論付けるののは早計であろう。
つぎにポケモンシリーズが任天堂の株価に与える影響について。
ずっと見てきた限りポケモンの新作の発売は任天堂の株価を(多かれ少なかれ)必ず上げていることに注目したい。じゃあ、この表に載ってないポケモンシリーズはどうなんだってことで、以下の作品について調べてみた。
すると、いずれも発売月付近の株価が上昇していることがわかったのだ。
このことから次のことが言える。ポケモンシリーズの新作が出れば任天堂の株価が上がる!
<おことわり>
以上は、あくまでも任天堂の歴代ハードと、主要ソフト、それから私オロチが勝手に選んだ経済界の出来事から見た株価であり、当然、株価の変動にはその他の要因がたくさんあるだろうってことはわかって書いてます。ご了承ください。
また、この記事を信じて万が一、損したなんてことがあっても、私オロチは責任を負いません。ただし、逆に儲けたってひとがいたら責任を負います。祝儀ください(笑
※2016年7月18日に最新版を更新しましたのでどうぞこちらもよろしくお願いします。
・【最新版】主要ハード・ソフトから見た任天堂株価1983-2016年 「周期性」と「ポケモン効果」【予想的中!!】
<任天堂株価の30年史>
今回は任天堂の歴代ハード(ファミコン以降)、その主要ソフトと株価の関係について調べてみたよ。でもそれだけじゃ面白くないから、経済界の主な出来事なども盛り込んでみた。
まあ30年史って言っても実際は28年くらいだけどね!
【表の見方】
・表は1ヶ月ごとの平均株価を折れ線グラフにしたもの
・目盛りは縦が値(2000円単位)、横が年月(6ヶ月単位)
・株式分割ってのは発行済みの株を分割すること
株の数が増える分、値は下がるので持ち主に直接的な損得は無い
・色付の文字はその月に発売された任天堂の主な商品(基本的に発売日付近の線と重なっている)
で、その横の数字はそのときの株価(商品の値段じゃないので注意)
・大きな文字は経済界の出来事
<任天堂株価 1983年~1991年>

まずはファミコン発売年である1983年~1991年ごろまで。
本格的なファミコン黄金時代がはじまったのはだいたい86年くらいだと思うが、さほど株価が上がってない理由は正直わからん。しかし「ゲームボーイ」の発売、そして『テトリス』の爆発的ヒットによってせきを切ったように株価が上昇。ブラックマンデーなんのその、一気に2万円台を突破した。
任天堂は勢いに乗ったままスーパーファミコンを投入することになる。
<任天堂株価 1991年~1998年>

次は1990年~1998年ごろまで。
スーファミでさらに調子に乗るかと思われた株価だったが、湾岸戦争の影響からか(株式分割の影響もあるだろう)、じりじりと下がり始め『スーパードンキーコング』が発売されたころには3分の1となってしまった。
『サテラビュー』がどん底というのが何とも象徴的である(笑 しかしここで任天堂の窮地を救ったのはまたしてもゲームボーイのソフトだった。
1996年2月に発売された『ポケモン赤・緑』は驚異的なセールスを記録。「バーチャルボーイ」の失敗や「64」の不振などものともせず、任天堂の株価を一気に回復させた。同ソフトは今もなお世界一売れたRPGソフトとして語り継がれている。
<任天堂株価 1998年~2006年>

次は1999年~2006年ごろ。
アジア通貨危機の影響か一時下落していた株価だったが、そこでまたしても救世主として登場するのがポケモンシリーズである。1999年に発売された『ポケモン金・銀』はこれまた驚異的なセールスを記録。株価を一気に2万円台に押し上げた。
だがそこで「64DD」が水を差す。そして世界を震撼させた同時多発テロの影響か、株価は一変、滑り台状態に。「ゲームキューブ」投入は回復どころか、そんな急降下を止めることすらできなかったようだ。
そして、このときばかりは今まで何度も任天堂の株価をV字回復させてきたポケモンシリーズでさえ歯が立たず一瞬上がっただけだった。ただし、この『ポケモンルビー・サファイア』も、ものすごい売れたので、急降下を止めたと見ることもできる。
なんにせよ株価はあれよあれよと言う間に1万円台を割ってしまった。
任天堂はゲーム業界においてもソニーにトップの座を明け渡しており、苦しい状況が続いていたのだ。しかしここからが任天堂の真骨頂!
「DS」の投入でファニックスのごとく奇跡の復活を遂げることとなる。
<任天堂株価 2006年~2011年>

最後は2006年~2011年7月まで。
ここから任天堂の株価は奇跡の復活どころか、狂ったように上昇しまくり。おかげで画像の高さがえらいことになってしまった(笑
どうやら2005年11月に発売された『脳トレ』が起爆剤となったようだ。それから2006年9月にかけて『おいでよ どうぶつの森』『Newスーパーマリオブラザーズ』『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』を発売。いずれもモンスター級のメガヒット作となり任天堂株価フィーバーの立役者となった。
さらに、そこからの「Wii」投入も大成功。株価は爆発的うなぎ登り状態。任天堂史上、最高値の7万越えを達成するもその反動か、1年ももたず2万円くらいガクンと下がったあとリーマンショックの影響か、一気に3万円台を下回ってしまう。
そこから、任天堂株価の救世主ポケモンシリーズ『ポケモンブラック・ホワイト』の発売でちょっと上昇するものの、「3DS」のから回りで、株価が下落したのはニュースにもなり、記憶に新しいところだ。
2011年8月以降は現在にいたるまで、1万円は切らないあたりでふらふらと横ばい状態である・・・・・・
<周期性とポケモン効果>
任天堂の株価はこのように、ファミコン発売以来、山あり谷ありを繰り返している。大雑把に見るとピークが3回あったといえるだろう。ではそれらに周期性はあるのだろうか。
ピークの年(太字)を並べてみよう。
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
ピークとピークの間隔は最初は10年、そのつぎは8年。2年のズレを考慮すれば、次に任天堂株価がピークに達するのは2016~2018年ごろじゃないかという推測が成り立つ。
もちろんだからといって任天堂株価は8-10年周期だと結論付けるののは早計であろう。
つぎにポケモンシリーズが任天堂の株価に与える影響について。
ずっと見てきた限りポケモンの新作の発売は任天堂の株価を(多かれ少なかれ)必ず上げていることに注目したい。じゃあ、この表に載ってないポケモンシリーズはどうなんだってことで、以下の作品について調べてみた。
* 『赤・緑』系バージョン o ポケットモンスター ピカチュウ(1998年9月12日、ゲームボーイ) o ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン(2004年1月29日、ゲームボーイアドバンス) * 『金・銀』系バージョン o ポケットモンスター クリスタルバージョン(2000年12月14日、ゲームボーイカラー専用) o ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー(2009年9月12日、ニンテンドーDS) * 『ルビー・サファイア』系バージョン o ポケットモンスター エメラルド(2004年9月16日、ゲームボーイアドバンス) * 『ダイヤモンド・パール』系バージョン o ポケットモンスター プラチナ(2008年9月13日、ニンテンドーDS) Wikipediaより引用。 |
すると、いずれも発売月付近の株価が上昇していることがわかったのだ。
このことから次のことが言える。ポケモンシリーズの新作が出れば任天堂の株価が上がる!
<おことわり>
以上は、あくまでも任天堂の歴代ハードと、主要ソフト、それから私オロチが勝手に選んだ経済界の出来事から見た株価であり、当然、株価の変動にはその他の要因がたくさんあるだろうってことはわかって書いてます。ご了承ください。
また、この記事を信じて万が一、損したなんてことがあっても、私オロチは責任を負いません。ただし、逆に儲けたってひとがいたら責任を負います。祝儀ください(笑
※2016年7月18日に最新版を更新しましたのでどうぞこちらもよろしくお願いします。
・【最新版】主要ハード・ソフトから見た任天堂株価1983-2016年 「周期性」と「ポケモン効果」【予想的中!!】
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